さて、タイトルが長くなりました。
カテゴリーは国際結婚に一応なってますが、友達として、仕事で、留学先で、外国人と付き合うのなら、頭の片隅に記憶しておいて損はないと思うこと。
“外国人”とひとくくりにしてしまいましたが、私の場合はいつも通り、イタリア人、範囲を広げても西欧人のことだと思って読んでいただければ幸いです。
どんなことかと先に言ってしまいますと…
海外で、見返りを求めて人に親切にするな。
と、いうこと。
そもそも、親切は見返りを求めてするものではないのですが、
日本人としては、「ありがとう」の一言くらいあってもいいんじゃない?と、感謝の言葉くらいは求めてしまうもの。
それに、日本人の間では、感謝の言葉はもちろん、何かしら御返しがあることが多いのではないでしょうか?たとえ、見返りを求めてした親切でなくても。
それは、これまた日本人特有の、義理堅い性格とか、恩返しという考えが日本人にはあるからだと思います。
それがイタリア人にはあまりない。
ま、事の大小にもよりますがね。
例えば、よかれと思って他の人の仕事を手伝えば、
「あぁ、シェコはこれがしたいんだ。」
と解釈されるわけ。
だからもちろん感謝の言葉などありません。
語学学校で出会ったヨーロッパ、南北アメリカの生徒たちも、以前働いてた仕事場(日本語講師とは全く関係ない)でも、ダンナの実家でもそんな感じ。
べつに見返りがほしくてしていることでなくても、感謝の言葉くらいは欲しいと思ってしまうもの。
そう思うと、私のまわりの人たちが、とても冷たい人たちに思えたのです。
そんな話をダンナにしたら…
「そう思うなら、手伝う必要なんてないんだよ。
感謝されないってことは、相手も必要としてないってことだろ?」
と、そっけない返事。
でも、ダンナの返事からすると…
私が親切だと思ってやってたことはだだのおせっかいだったってこと?!
ま、確かに、イタリア人、手伝ってほしけりゃ「手伝って!」ってハッキリ言うよね。
日本人の場合は手伝って欲しくてもなかなか「手伝って」と言えないわけで、
周囲が助けが必要かどうか判断して手伝うことも多いのではないでしょうか?
それに気付いたのが数年前。
それ以来、頼まれてもいないのに手伝う時は、
「自分がしたくてしてるんだ。」
と思うようにしました。
そうすれば、感謝の言葉なんて期待しない。
例えば、週末、ダンナの実家での食事の時。私はいつも後片付けを手伝います。
だからといって感謝されたことはありません。
義妹なんて私が片付けるの見てても全く手伝わないしね。
義妹にしたら「そんなのマンマが全部やるわよ。どうしてシェコが手伝うの?」ってな考えでしょう。
でも、私が片付けを手伝うのは、毎週、ご飯を用意してくれるマンマのため。
これくらいはして当然だという、私の勝手な思い込みから。
だから、マンマにありがとうと言われなくても、義妹が手伝わなくても何も思わなくなりました。
今から2年前。
マンマが腕の骨を折った時、
仕事の合間にマンマのシャンプーを手伝いに行ったり、アイロンをかけに行ったりしました。
これまで、私が風邪をひいたりしたとき、ホームドクターや、薬局に走ってくれたのはマンマでしたから、その恩返しにと思ってやっていたのですが…
マンマの腕が治ってきて、動かせるようになったとき、
「ありがとう。」という感謝の言葉と胡蝶蘭をもらいました。
その時、
「あぁ、今回、マンマは本当に助けが必要だったんだなぁ。」
と思ったのでした。
その時のマンマの「ありがとう」という言葉と、鉢植えの胡蝶蘭には“本当の感謝の気持ち”を感じました。
期待していなかったので、そのマンマのジェスチャーが嬉しかったものです。
~教訓~
海外で、頼まれてもいないのに他人を手伝う時は、見返りはもちろん、感謝の言葉も期待するな!
日本とは違うのです。世間体とか、建前を気にして手伝うようでは、感謝さえされません。
「そもそもそんなつもりで手伝うわけではない。」と思っていても、
自分ががんばって手伝っているのに、感謝の一言もないと、日本人としては「?」と疑問に思えてくるものです。
日本ではよく聞く「ありがとう」という言葉を耳にしないのですから。
が、たとえ海外でも、人が働いてるのに、私だけのんびり座ってられないという日本人も多いはず。
私もそうです。笑
でも、その時は、自分が手伝いたくて手伝ってるんだということを肝に銘じましょう。
感謝の言葉を期待してはいけません。
手伝っても感謝されないから腹が立つというのなら、手伝わないことです。
手伝わなくても文句は言われないはず。
日本人にはなかなか理解しがたいことですが…
私がイタリアに住んで感じたことです。