鼻毛を抜くということ。

 


まず、このページを開いて頂いたことに感謝の意を伝えたい。


そして、ここから読み終えるまでの時間をあなたの人生から空虚なものとして奪う事を心からお詫びしたい。

 


今回のテーマは、「鼻毛」である。


卓球ネタではない。


すくなくとも卓球にせよ鼻毛にせよ、優劣をつけるのは些か烏滸がましいとさえ思うのだ。

 

卓球は人間が作ったスポーツだが、鼻毛は人間ではなく、神から賜ったものであるからだ。

 

さて、あなたの体にももれなく生えていることだろう。


あのイケメン俳優、アイドル歌手、女子アナだってそうだ。

 

鼻毛は生えている。

 

私たちの人生からは切っても切り離せない。

抜いてもまた生えてくる。

宿主に死が訪れるその日まで、私たちは運命共同体なのである。

 

ちょうど、この記事のペンを執る数時間前に、筆者である私は抜いたのだ。


鼻毛を。

 

そして涙を飲んでごみ箱に葬送した。

私とて、望んだことではなかったからだ。

 

いつからか、あなたは邪魔者扱い、或いは無下に扱ってはいないだろうか。

 

鼻毛を。

 

もしもあなたの愛する恋人、妻、夫に鼻毛が生えているとしたら、あなたはそれでも愛せるだろうか。

 

答えはYESだろう。

 

さっきも言った通り、誰しも鼻毛は生えていて、自分にも相手にも鼻毛は生えている。

 

しかしそれは、決して平等ではない。

本数も長さもメラニン色素の濃度も、決して等しいとは限らないのだ。

 

濃いやつもいれば薄いやつもいる。

長いやつもいれば短いやつもいる。

 

みんな違ってみんないい。

 

私と小鳥と鼻毛と。

 

部屋とYシャツと鼻毛。

 

だが、ここで一番の問題は長さである。

 

鼻毛はその宿主の鼻のきわから出てはいけないという鉄の掟が存在する。

 

確かに出たいだろう。


鼻くそにまみれたこの暗く狭い世界から飛び立ちたい、羽ばたきたいという気持ちを抑えることのできない、熱き鼻毛たちは確かに存在する。

 

―美しくその命を散らす彼らの覚悟を称え、以後華毛と書かせて頂く。―

 

だがそれは聡明ではないのだ。

 

宿主に鼻毛処理のタイミングを知らせるようなものだ。

 

先ほどごみ箱に送られた、あの熱き男達のように。

 

だからこそ、我々は彼ら華毛達の意思を継ぎ、強く太く、そして長く生きていく義務がある。


多くの散った華を踏み超えて。

 

宿主である我々が、自ら華として咲かせねばならない。

 

 

言い方を変えよう。

 


その覚悟が無い者に、華毛を抜く資格など無いのだ。