平和を願うこと
少し前の話ですが、落ち着いたので投稿します。お世話になっている方から、この場所には行くと良い。と言われていた場所。「知覧」そこは、日本が第二次世界大戦において「特別攻撃隊」という名称で編成された作戦部隊の方々が、その知覧から飛び立ち沖縄海域でたくさんの命を落とされた、出発の場所である。知覧には歴史資料館があり、当時の「特攻」で出撃される皆様の「辞世の句(遺書)」がたくさん展示されている。特攻という作戦一式戦闘機(隼)という飛行機に片道分の燃料と250kgの爆弾のみを装備し、飛行機ごと敵艦隊へ体当りするというもの現代では到底考えられない作戦いや、実は当時も考えられないものだったという証明が、現地へ行ってわかったことだった。資料館の近くにお堂があり、中には観音様がいらっしゃる。当時の方はその観音様をおとずれては拝み、出撃されたそうです。その観音様の呼名は夢ちがい観音どうかこの現世で起きていることは、来世では違う夢にして頂きたい。どうかこの悪夢は、醒めて違う夢になって欲しいと願いを込めてお参りされたそうです。資料館の中には、たくさんの辞世の句が展示されていた。年の頃17,18歳の青年がどうやってこの文章を書けたのか想像もつかないほどの内容だった。でも、必ず書いてあったのは感謝だった。父母へ兄弟へ故郷への感謝は必ずと言っていいほど記してあった。読めば読むほど胸がいっぱいで、感情が外れて苦しいほどだった。私が住んでいる広島県には原爆資料館があるが、同じ戦争の悲惨さを知る場所ではあるが、何か違うものを感じた。本当に行って良かった。特攻で出撃された方が守ったものとは何かそんなことを考えさせられた。戦争は絶対にしてはならない。だが、この特攻という作戦を当時の方がどう向き合い、何を守ったのかを、私は次の世代へ伝えていきたい。