『「血液型と性格」の社会史 血液型人類学の起源と展開』(松田薫、改訂第二版)(その3) | ほたるいかの書きつけ

『「血液型と性格」の社会史 血液型人類学の起源と展開』(松田薫、改訂第二版)(その3)

 このシリーズも、当初の目的、即ちABO FAN氏がつけた難癖(私がエントリ中で血液型性格判断の歴史についての詳細を知りたい方は大村政男『血液型と性格』を見てくださいと書いたことに対し、大村本を引用するだけでも「アウト」だと言ったこと)に対する反論が一応前回前々回で終わったと思っているので、最後にこの本(『「血液型と性格」の社会史』)を理解する上で参考になる部分を紹介しておく。

 まず、何度も繰り返すが、特に戦前の「血液型と性格」についての詳細を知りたい方は、是非この本を読むべきだ。少なくとも事実関係については実に詳細に書かれている。ただし、推測の部分については注意が必要だ。
 で、どういう内容が書かれているか、いままで関連する部分しか紹介していなかったので、ここであらためて目次を出しておく(大見出しのみ)。改訂第二版であることに注意。
第一章 「血液型人類学」のはじまり
第二章 「血液型進化論」の展開
第三章 軍隊と心理学
第四章 古川竹二の血液型気質学説
第五章 「探偵趣味の会」と「日本民族衛生学会」
第六章 血液型大行進
第七章 血液型と病気
第八章 時代の流れの変わり目
第九章 長崎医科大事件
第一〇章 戦時下での血液型と性格
第一一章 血液型にこだわる古畑種基
第一二章 現在までの欧米の動向
補章 止むことのない社会病理
なお資料として国や民族ごとの詳細な血液型頻度分布が掲載されている。
 最初のほうで、血液型の発見や人類学への応用(血液型は遺伝するので、当然頻度分布が民族によって異なり、頻度の類似性などから民族の移動等の歴史を考察することができる)が語られており、単に「血液型と性格」にとどまらない範囲をカバーしている。また、1933年頃にアカデミズムの場では古川竹二の学説にほぼトドメを刺されたような格好になっているが(松田氏によれば、そこではまだ決着がついていないというのが正しいそうであるが、私は事実上ここで学問的には決着がついたとみて良いと思っている)、大衆的にはそれが広がらず、血液型性格判断の蔓延が深刻であったことがよくわかる。例えば、1937年に外務省嘱託医が「外交官はO型がよい」と述べ、「某課長」に至っては、自分がO型でないことが判明すると、もはや出世の望なしとして辞表を出したことがあったという。

 そういうわけで、歴史の詳細を知りたいならば、この本を手にとることをおすすめする。

 さて。
 この本を読み解くには、松田氏独特の考え方を理解する必要がある。それが窺える部分をいくつか引用しておこう。
 まず「はじめに」から。初版が絶版に至った経緯がこう述べられる(p.7)。
(…)刊行(引用者注:初版本のこと)して10日ほどしたら、(略)九月には古畑種基の門下生から便りをいただいた。能見正比古の著書を参考にしてとおもうが、古畑先生はB型ではなく、AB型だから訂正してほしいというものだった。わたしは改訂のときにと答え、出版社に初版の絶版をつたえた。
本書の主旨と関係のない、実に些細なところでの違いで、絶版にしてしまうのである! この潔癖さは、一つの特徴であろう。
 さらに、80年代のブームについて(p.8)。
 1980年代のはじめ、(略)またもや血液型占いのブームが起きた。この原因は私にある。1980年の夏、私は白人種への抗議のための「エスニック」という聞きなれないことばをタイトルにいれた『ABO式(血液型)遺伝子による民族音楽(エスニック・ミュージック)の分析』という論文を印刷した。活字への指示は、とうじ科学史学会長をしていた神戸大の湯浅光朝だった。私に論文をかけといったのが、京大の湯川秀樹の一番弟子だったから、湯川たちがつくった学会で発表するようにともいった。
どう言ったらいいのだろうか。さらに続けて、
 この論文や発表をしったものたちが、私に私の著作を請求してきて、『朝日』を中心に故人の名誉を毀損し、私の人格権や著作権を侵害するデタラメの史実をつぎつぎかいていった。初版でこれらを抜いたのは、いずれまちがいに気づき、反省をするだろうとおもったからである。ところが、反省どころかデタラメがひどくなった。このような経過があったため、大きくかきなおすことにした。
とのことである。客観的事実はともかく、松田氏にとって世界はこのように見えていたのだろうことはよくわかる。
 80年代ブームについては、「補章」にも以下のような記述がある(p.321)。
 私は、能見正比古も血液型占い批判の文章やテレビ番組をつくった側のひとも、面識があったり、私のかいたものから剽窃など著作権や人格権の侵害をしたので、非常にかきづらい。
 ただ、80年代以降の血液型占いブームと批判の原因をつくり、血液型人類学の起源を解明したのは私ということもあり、私は義務として本書をかきすすめる。
これは「補章」の最初の節の最後の文章で、なぜ改訂したか、なぜこの補章があるのかの理由になっている。このあと、松田氏の生い立ちが語られる。そして、なぜ松田氏が血液型に興味を持ったか(そして手掌紋に興味を持ったか)が述べられる。それは生い立ちとは切り離せない関係にある。さらに、松田氏が調べた戦前の歴史上の事実について、大村氏や溝口氏などが誤って文章化していた部分について、出版社や本人とどう議論したかが詳細に-松田氏の見た世界として-述べられる。前のエントリで紹介したのはその一例である。

 最後に、「結び」の一番最後の文章を引用しておこう(p.370)。
また、今回の改訂版は、初版本にたいして私へ質問をあびせたマスコミ人にもこたえるようにかいたつもりである。大学生にもわかるようにと、できるかぎり、わかりやすい表現をつかったつもりだが、世界の第一線の科学者も知らない内容が多いため、理解には時間がかかるとおもう(1993年夏)。
という自負(のようなもの)が披瀝されている。
 以上、紹介した文章は、あくまでももっとも特徴的と思われる部分であって、全編この調子、というわけではないことに注意されたい。特に、本編の大半は、読んでもそう違和感を感じないと思う。

 続いて、周辺での情報。
 『現代のエスプリ』324巻は「血液型と性格」特集である。その中で、佐藤達哉氏がいくつか論文を書いているのだが、その一つ、「古川竹二-教育における相互作用的観点の先駆者」という論文の末尾では、松田氏から多くのことを教えてもらった旨感謝の言葉が述べられている。きっと、大変だったのではないかと思う。一方、松田氏はウェブサイトを開設している(「京都昨今」…あえてリンクは貼りません。お察し下さい)が、2007年夏~秋の文章で、佐藤達哉氏との出会いが語られている。松田氏が見た「世界」というものがどういうものかがよくわかる。…のだが、内容についてはここでは省略する。どうしても見たい方は検索して見られると良いと思う。

 次に、ABO FAN氏との関係。松田氏は、ABO FAN氏にメールを送っている。それは、Mr. Matsuda というページに掲載されている。2001年ごろのようである。松田氏の文章は、見ていて正直痛々しい。そして、それを持て余しているABO FAN氏の姿も目に浮ぶ(もちろん、こちらの勝手な想像ですよ!)。

 最後に、「その1」のエントリへいただいたB研さんのコメント が、実に的確であると思うので、勝手ながら引用させていただきたいと思う(空白行は削除した)。
松田本を一面的に評価するのは不可能であり、多面的評価が必要であると思います。
松田本を貫くテーゼは、松田本人に対する理解であり、血液型気質相関説は手段に過ぎません。
松田は独特な感性の持ち主であり、松田を理解できる人間は、松田本人以外に存在しません。
まさに松田本人に対する理解を問うのがこの本であり、無条件で肯定するのでなく、批判的に吟味しようと思えば、松田氏自身を論じることを避けるわけにはいかなかった。その意味で、今回の3つのエントリは、書くのが非常に気が重かったことを告白しておく。

 というわけで、以上の3つのエントリの目的は、冒頭にも書いたように、大村本を引用したからと言って「アウト」などと言われてはたまったもんじゃない、ということを主張することにあった。その経緯については、このエントリ を参照していただきたい(特にコメント欄)。ABO FAN氏によれば、アウトであるという根拠は、「松田薫さんで尽きていると思います」だそうである。そうではないことを、エントリ3つも使って反論したのであるから、これを踏まえて、アウトである発言を撤回するか、再反論をしていただきたい。ちゃんと踏まえて、ね。

 それから、今回コメントをいただいて気づいたが、不覚にもB研さんのウェブページを紹介したことがなかった。大変良いコンテンツなので、血液型性格判断に興味のある方は、是非、一度はご覧になられることをおすすめする。
 →B型による B型のための B型の研究
ここから辿っていただきたい。特に「優生学 」の項は必見である。