『「血液型と性格」の社会史 血液型人類学の起源と展開』(松田薫、改訂第二版)(その2) | ほたるいかの書きつけ

『「血液型と性格」の社会史 血液型人類学の起源と展開』(松田薫、改訂第二版)(その2)

 前回からの続き。図書館で貸出の更新手続きしてきた。

【松田氏から見た大村評】(つづき)
 p.352の最後の一行から引用する。
 大村は、軍医のかいた論文を、歪曲してよむ。「軍隊=悪」のイメージの強い日本では、軍隊に関しては、どんな捏造も許されるとおもっているのだろう。私のしるかぎり、日本の軍隊が戦場へ血液型別部隊を送ったという文書はでてこない。ところが、大村は、
「井上日英という軍医はそれを実行してみたのである」(170頁)
「井上日英は、血液型による最小の戦闘集団(班という)を構成したが、その構成の仕方は、医学的な血液型検査に拠っている」(171頁脚注2)
 とかき、「図45井上日英の血液型による戦闘チームの構成」(173頁)まで創作する。
(中略、上官と部下の血液型が同じ班と違う班を作って4ヶ月日本で試したという事実の説明)
1932年の日本国内における四ヶ月間の、服や武器係の兵隊の成績くらべが、なぜ「戦闘チーム」になるのか。満州へ派遣された、輜重兵42人については、一年間、血液型と病気と進級を比較しただけとかいてあるのに、なぜ「戦闘チーム」になるのか。
 まず、事実関係については、私自身が井上日英の論文を読んでいないのでなんとも言えないのであるが、松田氏も事実関係そのものには特に異論がないように思われる。問題は、「戦闘チーム」という表現であろう。

 この部隊の詳細については、松田本には「補章」で上のように述べている程度であり、また大村本でも部隊名などはよくわからない。相補的なものが、『現代のエスプリ』324(1994/7)p.77からの「旧軍部における血液型と性格の研究」である。これも大村政男氏によるものである。これによると、井上日英は陸軍輜重兵第16大隊 *1の軍医(軍医大尉)で、1906年に創設、1936年に連隊に改称されているという(この時、他の輜重兵大隊も連隊となったようである)。なお、これはあくまでも井上のいた大隊の話であり、井上が創設した「血液型部隊」ではない。
 井上は、134人を二個中隊に分け、それぞれをさらに4つの試験班に分割、計8班を編成した。そして、班長と班員の血液型について様々なパターンになるようにした。また、班員は初年兵ばかりにした。ところが、大隊編成の都合で古参兵が試験班に入るようになり、また大隊から満州に転属になる者も出、短期間でこの試みは崩れてしまったという。

 さて、この「試験班」ないし「中隊」を、「戦闘チーム」と呼ぶことになにか問題があるだろうか。たとえ輜重兵といえども、軍隊は戦闘組織であって、戦闘組織における「班」を「戦闘チーム」と呼ぶのはむしろ当然ではないのだろうか。無論、班は班であるので、わざわざ「戦闘チーム」と言いかえる必要はないのかもしれない。実際、『現代のエスプリ』所収の論文では、大村は「戦闘チーム」という表現はしていない。これは、軍隊組織というものをよく知らない読者のために、わかりやすくしようとこういう表現になったのではないだろうか。いずれにしても、このことが取りたてて問題であるとは思えないし、捏造とはとても言えないし、「軍隊=悪」という前提があるともとても思えない。あとは「構成」図が井上日英のものと同じかどうかであるが、そんなものまでわざわざ作るとも思えず(各班の血液型別の構成人数が載っている)、「創作」とは言えないだろう(もちろんこれは井上論文を見てみないことにはなんとも言えないが)。

 そのようなわけで、この一節については、完全に松田氏による「言いがかり」と判断して差し支えないように思われるのだがいかがだろうか。

 
 次のトピックに移る前に、この直後の松田氏のコメントを見ておく。「大村も溝口も古川を利用した古畑種基を良い人物のようにかき、大村の本には古畑の息子(和孝)の門下生が血液型性格学説を否定している(238頁)とある。古畑親子の執拗さと、現在に権力をもつ相手をほめる大村と溝口に情けなくなる。」(p.353-354)古畑種基の問題はもちろんある。それは戦後の重大事件における血液鑑定である。ただ、それにしてはこの文章は攻撃的に過ぎるであろう。松田氏は第一章で古畑への不信を述べているのだが、古畑に対する個人的感情をベースに大村氏や溝口氏まで一緒くたにして非難しているように見えてしまう。


 次はFBI効果だ。
 大村には、このほかに、テレビや雑誌で、大村の発見のように披露している「FBI効果」という訳のわからない代物がある。大村は血液型性格学が成り立っている原因を、まず用語の意味があいまいで、だれにでもあてはまるフリーサイズ効果(F)と、O型は大胆とかいわれると、その考え方で相手をみるラベリング効果(B)と、A型は神経質とかいわれると、そのまま信じてしまうインプリンティング効果(I)の三つにあるとする。じつに、おおげさだ。言葉の意味の多義性、先入観に偏見、風俗や習慣とでもいえば、中学生でも理解できるのに。
 FBI効果については、無論バーナム効果との違いについては議論すべき点があるのだと思うが、残念ながら私は心理学のプロではないので、そこのところはなんとも言えない。しかし、他の心理学者もFBI効果に言及していることは多く、またバーナム効果の中身の分類という意味でも意義のないこととは言えないと思う(単純にサブカテゴリーになっているとは思わないが)。
 しかし、松田氏の批判はそのようなものではなく、要するにわざわざ名付けるほどの意味はない、ということだ。しかしそれは違うだろう。名付けることによって、概念というのは明確になるものだ。それに、「言葉の意味の多義性、先入観に偏見、風俗や習慣」と言われて理解できる中学生はいったいどれくらいいるだろう?中学生に限らない。大人でもいい。先入観や偏見はわかるかもしれない。しかし、それで血液型性格判断を信じてしまう心理がわかるだろうか?私にはそうは思えない。

 この後、約1ページにわたって、松田氏による意味のよくわからない批判が続く。どうも被害者意識が強すぎるようなのだが、どうにもこうにも論評しようがなく、ただ引用した文章を垂れ流すのもと思うので、途中、この部分は省略する。

 大村との関係での最後の部分である。(p.355)
 大村や溝口の論文には私の名前はでてこない。このことを溝口にいうと、無名でしらべてもわからないからという。私が、『ネイチャー』の記事は柴谷篤弘に教えてもらったのだから、柴谷の名前は記入しろというと、
「柴谷なんか、東京では無名だ、存在がない」
 というので、私が、知人たちから東大の村上陽一郎は学者ではないとかを聞くのが嫌なんだ、そんな言い方はやめられないかといったら黙っている。そうなのか、村上をしらないのかとおもっていたら、ちがっていた。1992年神田の三省堂で、『ウィルヒョウの生涯』(E・H・アッカークネヒト著サイエンス社1984)をみつけた。溝口は村上といっしょに翻訳をしているのだ。
 …はっきり言って、意味がわからない。大村に限らず、松田氏の論文は他で引用されているのは見たことがない(って私がそれほど心理学の論文を見てないせいもあるだろうが)。なおこの『「血液型と性格」の社会史』は、よく引用されているようである。『現代のエスプリ』でも、多くの人に引用されている(大村氏を含めて)。大村の『新訂 血液型と性格』でも参考文献として挙げられている。要するにソレナリの仕事すれば引用してくれるし、そうでないマイナーなものや、各自の研究との関連性がごく薄いものは引用されない、それだけではないのだろうか。
 柴谷篤弘の名前を載せろというに至っては、もう理解不能である。「補章」のもう少し前のところで柴谷との関係が書かれているが、柴谷は単に松田氏に血液型に関するネイチャー論文の存在を教えたに過ぎない。それでなぜ柴谷の名前を載せろと言えるのか、訳がわからない。

 このネイチャー論文の件については、もう少し先の部分で以下のようなことを述べている。(p.358)
(…)溝口元も寄稿(引用者注:『科学朝日』1991年11月号)して、
「古川自身も自説を唱えることをやめてしまい」
 など、いつもどおりの捏造文をかき、日本独自の血液型性格学説といいながら、なんのつながりもなく、いきなり『ネイチャー』で論争があったが否定されたとかく。もちろん、これはむかし私に手紙でおしえてもらったとか、私の本を参考にしたとかはかかない。
 …いや参るなあ、というのがこの文章を読んだときの感想である。なんで論文の存在を教えてもらったことまで書かないといけないのか?大事なのは論文の中身であって、どういう経緯で知ったかではないだろう。
 それと、前エントリで書いた「文体」の問題、おわかりいただけただろうか。ちょっと尋常ではない。

 他にも松田氏の書くものを理解するにあたって、松田氏がどういう発想でものを見ているかが伺える文章があるのだが、ここではこの程度にとどめておく。興味のある人は、本書を読んでもらいたい。

 いずれにしても、(繰り返すが)本書が労作であることに間違いはない。「血液型と性格」の戦前の歴史について知りたい人は、是非御一読をおすすめする。

 それから、これだけ見れば、少なくとも松田本で触れられている範囲での大村氏について「トンデモ」などというABO FAN氏の評はまったくおかしなものであることがわかっていただけると思う。大村氏へのネガティブな評価を持つ文献を持ってきて、大村氏を引用した私のエントリを「アウト」などと言う暇があったら、自分で書いたウェブページの中で、歴史についての大村氏の文章を引用している部分について、きっちり自己批判すべきではないだろうか。(この件については、こちらのエントリを御参照ください)

*1 陸軍第16師団に所属。この師団、1937年に華北に投入され、間もなく上海派遣軍の一員として南京攻略戦に参加、南京事件を引き起こす。もちろん、血液型とはなんの関係もないだろうし、南京事件の中で第16輜重兵連隊が果たす役割もよく知らないのですが。参考:wikipediaの説明