ブログネタ:もしも河童が川を流れていたらどうする?
参加中
河童が実在するかどうかはおいといて、まあ、見送りますね。
ぶっちゃけ、河童にあまり興味ないんですよね。
自由に流れてってほしいですね。
川の流れのように・・・・。
ブログネタ:もしも河童が川を流れていたらどうする?
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河童が実在するかどうかはおいといて、まあ、見送りますね。
ぶっちゃけ、河童にあまり興味ないんですよね。
自由に流れてってほしいですね。
川の流れのように・・・・。
ブログネタ:2010年!“バージョンアップ宣言”しよう!
参加中
OFFICEは2010にしたいですね~でればの話ですけどね・・・。
働く理由、それは所得分配の大きな一つのファクターだからだ。
果たして、労働の対価として報酬を得る、それは当たり前のことなのだろうか?
不労所得を持たないひとは、職業を失った時点で、所得を稼得する機会を失ってしまう。今、多くの人が職を失い再就職することができない、または、初めての職すら得られない状況にある。
こんな状態のなかで、所得分配のキーを労働の量また質としてしまっていいのだろうか?
ここまでは、結構だれもが思うことなのではないかと思う。では、どうしたら、みんながハッピーに暮らしていけるのだろうか。贈与経済なるものが突然、空からふってくるとも思えない。
人が生きる以上、衣食住が必要であり、それらをマーケットの介在なしに贈与により供給するということが可能であろうか?それには所有の否定あるいは貨幣の否定ということが必要なのではないだろうか?さらに価値の創出に関与できない弱者を養う稼ぎ手としての強者は必ず必要とされるが、彼らのモチベーションは名誉のみということになるのだろうか?
人は名誉よる報いのみにはもしかしたら、耐えられるかもしれないが、手取りがグングン減る徒労感には耐えられないとしたら、そういう世の中もありえるのかもしれない。制度あるいはマインドの根本的な転換が必要だろう。
まずは正社員の既得権を縮小すべきであろう、ワークシェアリングはとてつもなく面倒臭いし、所得も減るだろうが、世の中のこんなブルーな空気にはとても耐えられない。そういうところまできているような気がする。
今、ワタクシができることは、みなさまにとりまして新年がどうか輝かしいものでありますようにと願うことだけです。
ハッピーなお正月をお過ごしください。
たとえそれが気のせいであっても・・・