今日も今日とて、海に向かっています。


いきつけのショップの常連さんに、海から上がるときは海にお礼をするんだよって人がいます。なんと言うか礼に始まり、礼に終わるみたいな感じですかね。


また別の日のこと、ステテコ姿のおじいさんに呼び止められました。海にはね~神様が入るから入る時は、お祈りしないといけないよ。


おじいさんは若い頃サーフィン中に大きいブイに激突したり、ハンググライダーで墜落したり、スキーで崖から落ちて逆さまに新雪に刺さったりして目がみえないそうです。


私のボードが9フィートだとわかったのはきっと心眼によるものでしょう。


もしかしたら、おじいさん自身が神様だったのかもしれません。


湘南の海にはステテコの神様がいる…多分。
暫く前からツイッターしているのですが、リアルでの知り合いとはちょっとやりにくいですね。


呟いてることについてメールできかれたり、それについてのエクスキューズをするというのは、なんとも煩わしいものです。


ブロックしたらしたで、感じ悪いとか、病んでるとか言われてですね、まあ病んでますよ。ハイ。


フォローしてる人が一桁の人に呟き過ぎって言われたこともありましたね。


なんというか、ツイッター云々じゃなくて、人との距離のとり方って難しいもんだとつくづく思います。
この言葉ほど人と人の出会いと別れのはかなさを表している言葉はないって、漠然と思っていた。


というか、正確には出会いを大切にしようくらいに緩く考えていた。


でも、これってもっと短い、刹那のことを言ってるんだなと今日しみじみ思った。


親戚のおじさんが今日死んだのである。この人は大変な毒舌の持ち主で、会うたびに火花を散らす間柄だった。


最後に会話したのは今年のお正月だったろうか?


私の寝癖でクシャクシャの髪を見て「ジャンバルジャンみたいだな?」と失敬な事をいうので、「ジャンバルジャンに会ったことあるんか?」みたいな乱暴な返答をしたのだった。


これが最後の会話というのはあまりと言えばあんまりである。


今会った人でも、毎日あってる人でも、明日も会える保証なんてないのだ。


まして、たまさか居合わせた人とは尚更の事、心を込めて向き合わないといけない。


おじさんと話す事はもう出来ないけど、明日からもう少し丁寧に人と向き合う事にしよう。


おじさん、あの世でお元気で!


合掌
今日は5ミリのスキンだと汗ばむくらいかな?って思ったんですが、水温は低くかったです。


最初は波待ちがつらくて、ボードの上で漂ってました。


3本くらいパドリングしてるうちに体が暖まってきました。(けして波には乗ってません)


最初はトロめの波でなかなか乗れなかったですけど、2時間くらいの間に結構割れて来ていい感じになった頃にはパドルがなまってきて波をとらえられなくなってきました。


まだまだ、持久力と瞬発力が足らないようです。


冬のやわらかな日差しの中で、沖から寄せ来る波をひたすらに待つ。無為な時間が無限の慰謝を与えてくれます。


あ、今日も海の神様にお祈りするの忘れた。


海の神様の話はまた追々。
今、海に向かっています。車窓からの風景は晩秋から冬へと確実に変化しています。

外気は肌寒いですが、水温は高いことを期待して…行ってきまーす!