3日目は、長崎で異国情緒あふれるグラバー園と、幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地を巡りました。


1日目はこちらです。

2日目はこちらです。

 

 

目次

  • グラバー園で感じる明治初期の異国文化

  • 龍馬が駆け上がった坂道、亀山社中跡へ

  • 疲労回復と帰路


グラバー園で感じる明治初期の異国文化

私たちはまず長崎駅から路面電車で、終点のひとつ手前、大浦天主堂下の電停で下車し、グラバー園を目指しました。


グラバー園は、朝8時からニヤリ開園しているとのことで、私たちは8時半ごろに到着。

坂の上にあるため、早速上り坂に挑むことになりましたが、そこには素晴らしい景色と歴史的な建物が待っていました

異国情緒あふれる洋館の魅力
グラバー園は、スコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバーらの邸宅があった場所に、長崎市内に残る貴重な洋館を移築・復元して造られた、野外博物館のような施設です。

訪れて強く感じたのは、愛知県の明治村にも通じる、文明開化の華やかさです。

 

時代は明治初期

どの建物も当時のヨーロッパの流行を取り入れ、非常におしゃれで洗練されたデザイン乙女のトキメキで、現代でも魅力的でした。

1900年よりも前に、日本にこれほどの建物があったという事実に、当時の日本人が抱いたであろう強い憧れと驚きを肌で感じることができました。

中でも、グラバーの自宅である旧グラバー住宅は、日本最古の木造洋風建築であり、2015年には「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産にも登録されています。

この洋館群こそ、近代日本が新しく生まれ変わろうとしたのだろうと思います。

 

当時の富裕層の暮らしを垣間見る:幻の巨大ホテル「旧長崎ホテル」

そして、園内で特に印象的だったのが、かつて長崎にあったという巨大なホテルの展示です。

そのホテルの名は、旧長崎ホテル

 

長崎の居留地時代、1898年(明治31年)に開業したこのホテルは、豪華絢爛な3階建てびっくりの建物で、当時の長崎の繁栄と、世界中から集まった富裕層や要人の財力を象徴していました。

>【旧長崎ホテルとは?】 明治後期に長崎港の海岸沿いに建てられた、国際観光ホテルです。

当時としては破格のスケールと、アール・ヌーヴォー様式を取り入れた内装で、海外からの賓客を迎え入れました。しかし、第二次世界大戦の戦火で惜しくも焼失してしまい、「幻のホテル」とも呼ばれています。

展示されていた、そのホテルで使われていたという食器やナイフ、フォークは、現在の高級ブランド品にも通じる豪華さと洗練さがあり、時間を超えても通用するデザインの素晴らしさに感動しました。

 

その姿はまさに、長崎の発展を象徴する豪華客船のよう。

当時のハイカラな長崎にタイムスリップしたような気分になりました。

 

歴史上の人物との意外な繋がり
グラバーの息子、富三郎さんもまた、父と同じ貿易の仕事を継ぎました。

 

彼が、あの三菱の創業者、岩崎弥太郎の紹介で学習院に通っていたというエピソードを知り、当時の有名人同士の意外な関わりや交流があったことに、歴史の面白さを感じました。

 

富三郎さんの奥様がイギリス出身であったため、戦争が始まる頃には、異国に嫁いだ人々の言葉にできない心情があったのだろうかと、当時の人々の苦悩を感じました。

 


龍馬が駆け上がった坂道、亀山社中跡へ

グラバー園を満喫した後、私たちは路面電車で亀山社中関係のスポットへ移動しました。

最寄りは「新大工町」駅。

 

ここから坂本龍馬ゆかりの資料館や、龍馬の像がある展望台を目指します。


体力勝負の急な坂道と階段
しかし、ここからの道程は、長崎の旅の中でも特に体力勝負爆笑でした。


目的地の亀山社中記念館に向かう途中、道に迷ってしまい、気づけば階段と急な坂道煽りをひたすら上り続けることになりました。

最初は記念館を目指していたのですが、迷った結果、土日祝日のみ開館している亀山社中資料展示場を通り、若宮稲荷神社を過ぎ、さらに登った先の展望台のある公園へ。


その道のりにかかった時間は、30分以上。


展望台の手前の公園にたどり着いた時点で、長女と私の母は疲労困憊真顔

そこで休憩することになり、体力に自信のある次女と私だけが、さらに上にある龍馬の像展望台まで足を運びました。


わずか「あと5分」ほどの道のりでしたが、そこまでたどり着くのに一苦労。

しかし、上から見下ろす長崎の街並みは、その苦労を忘れさせるほどの絶景爆  笑でした。

 


長崎の街は坂だらけで、高い位置にまで家々が建ち並ぶ独特の景観が特徴です。

汗だくアセアセになりながらも、「ここまで来てよかった」照れと心から思える景色でした。

 

長崎はまさに体力勝負

11月下旬にもかかわらず汗だくになったのは、天気が良かったことに加え、長崎の坂道の厳しさを物語っています。

普段からジムに通い体を鍛えている母でさえ疲労するほどのアップダウンは、本当に筋力と体力が求められることを実感しました。

 

「このためにジムに通っていたんだ」ニヤリ

という母の言葉には、深く納得しました。


ちなみに、亀山社中付近は、グラバー園とは対照的に観光客がほとんどおらず、近所の方が散歩している程度。

若い方も少なく、50代以上の方が散見される程度でした。

 

坂本龍馬の意外な素顔

帰りにようやく亀山社中記念館へ。

広くはありませんが、龍馬に関する展示品が豊富でした。


驚いたのは、龍馬の身長が175cmびっくりもあったという事実です。

当時としては非常に長身で、現代の2mに近い感覚だったのではないでしょうか。

その体躯であれば、刀や銃といった武器を扱うにふさわしい、がっしりとした体つきだったのだろうと想像します。


別の土日限定開館の亀山社中資料展示場では、龍馬の家系図や関連人物の展示があり、入場無料でした。

そこで次女が、袴と刀のレプリカを身につけて記念撮影を楽しんだのも、良い思い出です。

 

また、近くにある龍馬のブーツ像がある場所からの眺めも素晴らしく、写真スポットとして賑わっていました。

 


疲労回復と帰路

午前中を長崎の坂道で消耗し尽くした私たちは、昼過ぎの1時を回ったところで、路面電車の駅近くのスーパーで昼食をとり、一時休憩。

 

あまりの疲労で、そこで2時間ほど休憩し、体力の回復に努めました。


本当は「眼鏡橋」にも行きたかったのですが、体力が尽きてしまい断念。

 

午後3時〜4時頃に長崎駅に戻り、「かもめ市場」でお土産(カステラなど)を見て回りました。

私自身は買いませんでしたが、母と長女は品定めを楽しんでいました。


夕食は、予約していた18時長崎駅発の高速バスに合わせて、コンビニなどで軽食を済ませることに。

 

高速バス利用時の注意点
長崎駅の高速バス乗り場はわかりましたが、博多行きのバスは少し場所が異なっていたため、早めに到着していたおかげで事なきを得ました。

高速バス(ノンストップ便)で長崎から博多へ向かう際は、乗り場を事前に確認しておくことをおすすめします。
 

バス酔い対策と快適な移動

今回、長崎までの移動は高速バスを利用しましたが、新幹線より片道30分~1時間ほど長くかかるものの、料金が安いため選びました。

しかし、私と子どもたちは乗り物酔いしやすい体質。

事前に酔い止め薬を飲んだおかげで、行きも帰りも安心して移動できました。


最新の高速バスはWi-Fiも完備されており、私はYouTubeを"画面を見ずに聞く"ことで、そのまま快適に眠りふとん1続けることができました。


21時頃に博多駅に到着。

 

宿泊先は、連休最終日でホテルの予約が難しく高騰していたため、初日とは別の祇園近くの古いホテルに宿泊しました。

 

博多駅から祇園までは地下鉄または徒歩で行けますが、疲れていたため祇園駅から徒歩1〜2分のホテルは非常に助かりました。


こうして、長崎の歴史と文化に触れ、坂道で汗を流した3日間の旅は幕を閉じました。

【本日のルート】
長崎駅(路面電車)→大浦天主堂下→グラバー園→新大工町(路面電車)→ 亀山社中・風頭公園(龍馬像)→ 新大工町付近(昼食/休憩)→長崎駅(お土産)→ 博多駅(高速バス)→祇園付近のホテル