サボっててすみません。
うくたです。
ミュージカル座さんの新作!
映画の都
を観てきたのに何にも書いてないのは良くない。
ちゃんと感想書かないと
いい作品だったからもっとやってほしいし
まず博品館劇場って楽しいね
建物の構造や照明もノスタルジックでキラキラかわいい。そして下の階がおもちゃ屋さんなのはハシャぐしかない。私の心の中の幼児が「蚕さんのぬいぐるみ買って」とねだってきましたが「どこに置くの!」と一喝しておきました。スペースも無ければお金も無い。
まあいいや本題です。
映画の都 あらすじ
タイトルは主人公のイケてない女子大生・都(人名)とハリウッドのWミーニングなんでしょう。
都は映画が大好きだし、都の家にある映画たちも都が大好き。しかし就活を控えているのに都は何にもせん。これまで社会に馴染めていなかった反動で適応するための努力が億劫になってる。わかる。就活めっちゃ嫌だよね。特技?長所?なんもねえわ!言わすな!!!みたいな。
コミュ障都は漫画家を志してみる。理由は一人でできるし設備投資がお安いし。担当編集の浅野さんはアク強くて大勢で働くのとはまた別の苦労ありそうだけどね。彼女とは自然と仲良くなっていくって気もするけど。
原稿を書いているうちに都は爆イケ陽キャな友人ナオミから男の子を紹介されて片思いを始める。ナオミはあざとくて何が悪いの系で計算高い美少女。へぇ…おもしれー女。恋の戦いの末、敗北する都。励ます映画たち。
改めて自身と向き合う覚悟を決めた都は漫画家としていいスタートを切れたし最後にはすっごく垢抜けた。蛹から羽化したん?はっぴはっぴーエンド。やったね!
こういうお話です幸せだね
都と我が身を同一視しちゃってたから独走態勢で成功フェーズに入られたときは「一緒にゴールしようって言ったじゃん!!!!!」と地団駄踏みそうになりました。いい大人がする地団駄は怖すぎるからやめろ。
言及する話題の順番めちゃくちゃだけど「映画の都」は音楽がいい。
何がいいってテンポよな。
ラップ調の曲あったり歌詞びっちりだったり出演者の皆様は早口で歌うのしんどかったと思う。でも結果ポップで軽やかなナンバーができていたから努力実ってる。私たちのためにありがとうございます。
じっくりしっとり歌うミュージカルがみっちみちのガトーショコラとして、この作品はポテチ。あくまで私の感想です。どっちも美味しいしなんなら別腹ですから延々と食べられますね。甘いしょっぱい無限ループ。
特に都の歌がいいんですわ。
都の視点で物語が進むので都の語りが多いのは当然として、彼女の歌い方がオタク特有早口
ハマナカトオル先生はオタク描かせると度肝抜かれるほど解像度高いんだな。スタ誕の時からおもってたけど。そういえばスタ誕来年やるらしいよ来たらいいじゃないみんな。
デブスメガネだし現状が詰んでてもー無理~!な曲もパンチあってね、プロジェクションマッピングなんかしちゃったりしてね。自己否定、羨望、嫉妬の全部のせいっちょあがりな割に曲調と雰囲気が明るくて助かりますよね。冷静になってくると一回ホケカン行ってみって気持ち。
あと「早く5時になってって人生は私は無理」の歌は身につまされる。バイトが上手くいかないって金銭的ネガティブ状況なんだが「それに楽しくないの」が続くって秀逸よね。時間を追うのが楽しくないから気が進まないって、自分的には新しいベクトルを教えてもらえた気持ち。
戦いに敗れた(失恋した)都は映画に励まされコンプレックスに立ち向かい生まれ変わったんですが、これまでの都も映画たちが支えて背中押してたんかな~って。受験の前もさ、ジーン・エリオット氏が報われるまで努力するのです…ってはっぱかけたんじゃないかな~とか、電車逃しかけて走ってるときにラッキー・アルバーニ氏が一緒に走ってくれたりしたんじゃないかな~とか、どうしてもムカつく人にアラン・アシュフォード氏が代わりに銃口向けてくれたから溜飲下がったりしたのかな~とか、色付きリップを買いにきて口紅に目が止まればビビ・アンジェリーナ氏が後押ししたのかな~とか、明日小テストがあるけど気分が落ち着かない午後にエリザベス・ジョーダン氏がクレープを唆したのかな~とか想像するとさ…
都と映画との日々も見たくなっちゃうよ~~~~!!!!
だっていつも映画が彼女に寄り添い励ましてくれたんだから!!あるって!そういうとき!あるって!!!なあ!!!あるよね!!?あるんだろ!!!見せて!!!!!!!!
ほんでほんで、映画たちは自分がフィクションの中の人物であるって理解してるんですよね。
でも実物の人間より活き活きと生きている!って歌うんですこのセリフすごくない!?(©都)
こっからは私の人間恐怖症こみの記述だからアレなんですけど現実の人物ってのは一貫性は無いし、考え方の傾向はあっても「らしくないこと」っていうのもしちゃうのです。
でもフィクションの中の人物ってキャラクター像としてある芯からはズレないものなんですね。それが物語の中での彼らの動きに納得を与えてくれるってワケ。この人ならこうするだろうなという納得。あえてズレを作りその背景に魅力を持たせて深みが出たりする展開もあるよねってワケ。
遠回りしたけどフィクションの中の人物って現実の人間よりエッジ効いてるから活き活きしてるように思えるのは「確かにそうじゃん!」と目から鱗でしたね。
しかし活き活きが過ぎたアラン・アシュフォード氏は暴力振るって干された。