芸術家emの、うつ♥と人生♡ -2ページ目

芸術家emの、うつ♥と人生♡

芸術家として生きるわたくしemが、
うつ症状を自覚してから
治療をはじめ、
生き方改革をすすめる全記録。

春の症状が安定した

“うつ”とともにあるく、
芸術家のemです。
ご訪問ありがとうございます。
照れ
 

気まぐれの連投ですが、きのう「認知行動療法(CBT)④ 自分の問題点を知る。|その1||その2|」で、認知行動療法を始めた去年の夏ごろのことを書いたのでその頃感じたことを少し。

 

わたし、実家にいると、「自分はとても愛されるには値しない平凡なただの生物」みたいな風に自分のことを思ってしまっていました。優しくなんかないし、気が利かないし、家事もしないし、お金も稼がないし。昔から母には、「笑顔がない」「覇気がない」「何考えているのか全然わからない(扱いにくい)子」と言われていたので、20歳をすぎるくらいまでわたしは「笑わない子」なんだと本気で信じていました。

 

その頃のエピソードがあるんですが、短期の講座で一緒にデザインの勉強をしていた年代がバラバラのお友達たちの会話のなかで、“目尻のしわ”が話題にのぼったんです。で、「emちゃんは全然しわがないよね」「わたしなんてこんなに!笑うとしわが深くなるのよね~」という話になって、「そっか、わたし笑わないから、しわ少ないんだね~」と返したんです。そうしたら、そのお友達がぎょっとした顔をして。「え?そんなことないでしょ!?」って。笑。え・・・?わたしって笑うの?とも思いましたし、そのぎょっとしたお友達の顔が忘れられなくて、そんなことを言ったあの頃の自分自身をすこし恥ずかしくも思います。

 

家の中にいると「笑顔がない」。母に「優しくない」。母のために「家事をしない」。全部ぜんぶ、母の側からの印象なんですよね。それを子ども心には真実だと思い込んでしまっていたのです。子どもの頃は“世界は母”だったのでしょうけれど、そうじゃないってことはもうわかりますよね。でも、子ども時代に作られたフィルターってなかなか壊せない。その良い例が上の目尻の話(笑)だと思うんです。

 

わたしって本当愛されるに値しないと思っていたので、彼氏なんかもほとんどできませんでした。それが余計に自信の無さにつながっていて、ずっと黒い影を背負っていたんじゃないかな~と今では思います。

 

そこで、ですね。いろんな人の目に映る“わたし自身”を、よりたくさん聞いて集めることって有効なんじゃないかと気づいたわけです。気づいたのは、去年の夏ごろ、わたしの誕生日。SNSやメール、当日行った美容室や会ったお友達から、たっくさんの温かいお祝いコメントをもらったときのことです。

 

わたしは、

優しくて頑張り屋で、笑顔が素敵で、

まわりを明るくしてくれる優しい人間で

信念も強くて、意志もあって、出会えて良かったひとだって

すごく気遣いのできる優しい人ですねって

いつでも相談においで、話をしよう

 

外にいると、わたしという存在が大切なものなんだなって思えたのです。今まで家の中(母の前)では自分の価値を感じさせてもらえなかったんだということに、改めて思い当たったのです。

 

自分のことってじぶんがいちばん良くわからないのかもしれません。他人がいるからこそ、知れる。1対30くらいの割合で「優しい」と言われているのであれば、あなたはどちらを信じますか?笑。1対1の割合だったとしても、「優しい」という要素が在るということを大事に見つめていけば、少しずつ自分に対する信頼や自信ももどってくるんじゃないかな、そんな風に思えた昨年の夏でした。(失恋はしちゃったんですけれどもね♡→参照:『◇emの経歴と現病歴』)

 

価値のない人間なんていません。価値のない生命なんてない。ぜひ、自分にも価値があるんだという想定でまわりの言葉に耳を向けてみてください。これも潜在意識のしわざですが、ぜったいに価値を見つけてきてくれますよ。

 

さて、わたしは、愛犬がしっぽをぶんぶん振りながら無償の愛を向けてくれるのを、家の中での救いとします。犬のひとに対する愛は、とても深いなと感心するばかりです。

犬ラブ

 
 
 
 
 

前回の記事: 認知行動療法(CBT)④ 自分の問題点を知る。|その1|わたしの実例

 

のつづきです。

 

気づきと解決策

 

☑たとえば、わたしは心をオープンにする段階が早いのかもしれません。

 

おばさま社員さんに小言を言われたときに「裏切られた」と感じました。そのときの身体感覚としては、むき出しの心臓を鷲づかみにされたような悲しさと苦しさでした。

 

でもS先生との話のなかで、心臓をむき出しに差し出す相手なのか、またその時期なのかを考えてもいいのでは?ということに気づきました。S先生なら、心臓をむき出しに差し出す相手は“親友”と呼べるくらいの人で、仕事仲間の、ましてや入ったばかりの職場のおばちゃんじゃない!とのこと。

 

確かに、そうです。笑。わたしは誰にでも、まず、心臓を差し出していた気がします。それが、あなたを信頼しているよと示す証だと思っていたかもしれません。世の中の大半の人はそうじゃないかもしれない、ってことに生まれてはじめて気づいたセッションでした。

笑い泣き

 

 

☑次に、大事なことですが、ひとは他人の本当の辛さを“ほんとうに”理解することはできません。

 

「残業をお願いしても大丈夫かなあ?」と聞かれ「はい、大丈夫です」と答えたなら、「大丈夫」なんだろうと思うしかないのです。たとえばそれが友人で、あなたのことを自分の身体よりも他人のことを慮る性格だと知っていたら「無理してない?」と聞けるわけですが、基本的には自分のことを守れるのは自分しかいないのです。自分がこれ以上は無理だと思うのなら、断ってもいい。それは自分自身を(仕事ができないやつだなどと)否定することではないんです。

 

わたしには余裕がないから今は無理、余裕があれば助ける。それが助け合いということなのかもなーと思うんです。S先生曰く、わざわざ「“うつ”なんで」とは言わなくてもいい、「予定があるから」で全然かまわないんです。このひとは残業をしない人、休みの日は何かで忙しい人、という認識をもってもらったらいいんです。

 

わたしの本当にやりたいこと、それは生活費の仕事などせずに、金銭的・時間的・距離的制約にストレスを感じずに制作活動をすることです。その、自分の本当にやりたいことを低く見がちのようだと先生にも言われました。

 

制作活動をするための生活(=土台)を安定させることとのバランスを考えるのは難しいですけれども、生活費のための仕事(職場環境)に労力をかけすぎだったかもしれません。デザイナーをしていた10数年間は、転職をするにしても“向上心”をウリにできるようなキャリアの積み方をしてきました。結果的に、現在(いま)デザイナーとしてこうなりたいという目標がなかったことに気づくのですが、つねに100%出力で走ってきた。もちろん制作活動のほうが大事ですから、仕事のほうを多少の言い訳にしつつも、気持ちは制作活動にも100%出力でした。

 

そんな状況もあったので、体力の衰える(笑)30歳台で“うつ”を患うことになってしまった。ならば、これからは生活のための仕事のほうには60%~80%の出力でむかう、残業をしない、決めた日数・決めた時間を越えない、残業をしない人・仕事のない日は忙しくしている人という認識をまわりに持ってもらうことにすればいのだ、と。

 

今はまだちょっとしたことで体調が悪くなるくらい限界にいつも近いから、自分を優先することが大事。ひとを助けられるのは、自分に余裕があるとき、って自分に言い聞かせています。

 

 

☑それから、やはり母との関係性のなかで起こること。

 

傍からみれば何でもないことに、わたしはとても敏感に大きく反応しています。いろんな場所にホットスポットがあるような、また、母の方にも無数の地雷が埋め込まれているような、そんな感じです。

 

家の中でモンスターが出現しないことを祈りながら生活していますが、笑、やはりそこには(きっとお互いに)スキーマがあって、自動思考がはたらき、怒りや悲しみが爆発します。

 

わたしはしばしば、「わかってくれない」「愛されていない」と極端に感情が振り切れ、わかってもらえないなら即 縁を切ってやる!、みたいな思考の飛躍をします。これは0か100かの考え方(10個の『推論の誤り』のうち、『全か無か思考』と呼ばれる)で偏った認知なので、もう少し柔軟に対応できるようになるのが目標ですね・・・感情的には不本意ですけれど。笑

 

前回の記事の実例でお話したような反応をしていたのは去年の夏ごろですが、S先生曰く、母がモンスター化しないようにするための対策として、母が心配していることに対して具体的な答えを示すのがいいかもしれないということでした。

 

お金の心配をしているなら、今の状況と今後の展望、これくらいなら入れられるようにすると言ってあげる。

わたしの薬の心配をしているなら、ずっと飲み続けるわけじゃなくて、良くなったら減らしていこうとおもっているよと伝えてあげる。

食事の用意の心配なら、これくらいの頻度で作ろうと思っていると言ってあげる。。。

 

ただし、これはやはり感情的に受け入れられませんでした。(母のためにこちらが優しくしなきゃならないんですか!?この体調のなかで!!??)と、セッション中に過呼吸になりそうな状況でした。「・・・わたしが、苦しく、ならない、ように、する、ため、、、ですよね・・・?」と確認したほどです。

 

問題点が見つかったら、“具体的な”解決法をさがし実践してみる。これは、思考だけでグルグルしてしまうわたしたちにとっては、とても意味のある行動だと思います。でも、自分の感情がまだ受け入れられないなら、やらなくていい、と思っています。まずは、自分。それから、他人。まずは自分に余裕をとり戻すことが先決です!

ウインク

 

 

芸術をやるには、ある程度の繊細さは捨ててはならないものです。でも、その繊細さってどこからきたのか?それがもしかしたらスキーマを作ってしまっているかもしれません。スキーマは偏った認知を作り出します。偏った認知は、無駄に心を消耗する。

 

認知行動療法をやり続けていると、ほんとうに面白いことですが、自分が信じて疑わなかったことが普通のひととはずれているっていうことに気づかされます。自分はなんて苦しい選択をしてきたんだ、というか、なんて世の中の普通の人(=ニュートラルな考え方をできる人)は楽に生きているんだ、って思うんですよ。それを知ることができるのが、最近面白おかしかったりしています。母の言葉なんて、多面的に見てみたら、笑い話にしかならなかったりして!

 

 

体調の変化

 

この記事にある具体例は2017年の夏ごろのことですが、転職と引っ越しを終え、その間に海外での個展をはさんで、わたしは満身創痍でした。仕事中に自律神経によるだろうめまいに見舞われたり、疲れと風邪のため声がまったく出なくなったりして、仕事も早退や欠勤をしてしまいました。ダブルの環境変化に加え、日本とは気候の違う国へ渡って数日で帰ってくるなどの身体へのストレスも重なり、身体への症状はいちばん多かった時期です。

 

不眠/ 動悸、息苦しさ/鉛用麻痺/生理前に口唇ヘルペス再発(爆発)/生理終わりから排卵直前にかけて、ひどいめまい・吐き気・疲労感など/排卵後くらいから急に元気になり突然意識もクリアに。問題に前向きに向き合う気が起こる。 など

 

照れ

 

認知行動療法⑤ “毒親”という過激な言葉。につづきます。

 

 

 

 

 

前回の記事: 認知行動療法(CBT)③ 潜在意識が自分を救う。

 

認知行動療法は、とにかく、続けてみてください。笑。

やればやるほど自分の考えや環境の問題点が見え、考え方をニュートラルに戻したり環境の問題点の解決策を見つけたり、確実に生きやすくなっていきます。わたしはこの1年で、他人の言うことへの自分の反応が明らかに変わったと感じています。あなた、と、わたし、の間に境界線が引けた。そんな風に感じています。

 

母との接触のなかで勃発するイロイロには、まだまだ対応しきれていませんけどね。笑。これはこれから扱っていく予定です。

 

 

認知行動療法をしっかりと進めていくために

 

☑ これが自分の生きやすさに絶対に役に立つ、と信じること。

 

☑ すぐには成果が出なくてもひとつひとつが前進しているのだと信じること。

 

☑ 先生方に気持ちをぶちまけて聞いてもらえる場所だと思わないこと。

 

☑ ときどき前と比べて前進した自分を再確認してほめること。

 

☑ 完璧にできるまでを目指さないこと。

 

 

こんなことが大事なのではないかなと感じています。

 

わたしは治療を始めた頃、心理士のS先生との時間を、話をぶちまけて聞いてもらえる時間だとどこかで思っていました。そうではなく、生きづらい人生を少し生きやすくするために、考え方(認知)の偏りに気づき、それを修正するために通っているんだということ。“うつ”を治し、再び“うつ”になりにくくするんだということ。その意志をちゃんと持っていないと、と気づきました。

 

「聞いてほしい」「優しくしてほしい」と“うつ”に甘えている「優しくされなかった」と感じているいつかの自分がいることも理解っています。そんな自分に気づいたら、そうだよね、聞いてほしかったよね、優しくしてほしいよね、ってあなた自身があなたに優しくしてあげてください。

 

じぶん自身に優しくすること。

 

これもとっても大事な、“うつ”の治療だと思います♡

 

 

わたしの実例

 

「どんな時」に、「どんな言葉」が頭をよぎりましたか?

①どんな出来事 ⇒ ②自動思考(落ち込み度〇%) ③ほかの考え方(落ち込み度〇%)

 

①レジに一緒に入ったおばさま社員さんに、ピリピリ小言を言われたとき ⇒ ②良い人たちだと心を許したのに、結局裏切られるわたしの何かがいけなくて気分を悪くさせた。(新人にしては仕事の覚えも早いとほめられるが)出来る人間はもっともっと上を要求される。(落ち込み度95%) ③あなたは仕事覚えも早く飲み込みも早いから大丈夫。彼女が勝手にイライラしていただけ(落ち込み度90%) →S先生に単語で言うと何?と問われ出てきた言葉は「とばっちり」(落ち込み度50%
 

①忙しそうだからと休日が出勤になったうえ、混んでいたら残業をお願いしていいですかと言われ断れなかった終業時間近く ⇒ ②わたしは長時間働けない。倒れでもしないとわかってくれないのか。(落ち込み度40%) ③体調のことを伝えて、長時間働けないこと、出勤できないことを相談すればいい。(落ち込み度40%)
 

①引っ越しの際に使った母名義の車の放置違反(←笑・・今では思い出しても笑えるくらいです)の弁明書を時間をかけて調べて書き「あと出しておいてね」と母に渡したら、「ネットの情報がすべてじゃないと思うけど。時間かけすぎちゃうん。もっと素直に書いて出せばいいと私は思うけど」と言われたとき ⇒ ②最初から最後までいつもあなたは嫌味だ。~中略~ わたしを抑えつけてやり込めようとする。~中略~ わたしはお金を家に入れないと実家に住んではいけない。死んだら楽なのかな。~中略~ 結局わたしには実家にいても支えがない。誰かに頼ってはならない。やっぱり母でさえも無償で愛してはくれない。(怒りやそのほかの感情度150~200%) ③は考えられず、家が崩れそうになるくらい、こぶしに青あざができるくらい壁を叩き、嗚咽と涙が止まりませんでした。母とはやっぱり暮らせない、母とは縁を切りたい。そんな極論が頭の中を占めます。

 

認知行動療法④ 自分の問題点を知る。|その2|気づきと解決策 につづきます。

 

 

 

 

 

お久しぶりの更新です。

“うつ”とともにあるく、笑
芸術家のemです。
 
春先の気温の寒暖差に、自律神経が非常に敏感に刺激されました。
 
寝間着の重ねぐあいや、毛布と掛け布団の重ねぐあいに翻弄されて(笑)、夜中にぎょっとするくらいの汗をかいたかと思えば、朝方に寒さでトイレに起きる。突然不眠に悩まされた3月でございました。
 
適応期間なんでしょうね
と心理士のS先生はよく口にされるので、季節の変わり目とか環境の変化のあるときは、わたしたちの体は慣れるまでにある程度の時間が必要ってことなんでしょう。
 
いまは薄着の寝間着1枚に、足元はレッグウォーマー、敷き毛布に掛け布団のみで落ちつきました。足下が温かいのがよく寝れる秘訣みたいですよ◎
 
 
面白いお話を主治医から聞きました。
 
“うつ”は脳内物質のバランスで起こっていると考えられていますよね。セレトニンの元になるモノアミンの生成を正常にもどすために、ビタミンB群やタンパク質、鉄分を意識的に摂ります。セレトニンの再取り込みを抑えて脳内のセレトニン量を保つために、抗うつ薬(わたしの場合はサインバルタ)を飲んでいます。
 
脳内の物質バランスを元に戻しながら、脳が修復されていく。その修復の順番が面白い、っていうお話。
 
素人の話になるので間違いなどがあったらゴメンナサイチュー
 
魚などにもある、脳の主要な(生命維持に必要な)部分(脳幹や小脳?)から修復が進むそうです。そして、次に自律神経、身体との連携部分(運動機能?)、最後に前頭前野。芸術や言葉など“人間らしさ”に関わるのが前頭前野ですが、生命維持に関わる部分からだんだん“人間らしい”部分が治っていく、というのはなんだか生命の神秘だなぁと思ったのです。
 
“うつ”の治療過程では、大きな不安感が無くなり治っていくにしたがい、まず自律神経の不調の壁に当たり、そして、体力の谷に落ちるみたいです。わたしの3月の急な不眠はそれだったかもしれないそうです。次は体力の谷に落ちないよう、少しずつ体力をつけていこうかなと思っているところ。
 
こういうお話を聞くと、芸術のことが考えられない・・・!なんて、そりゃそうだ、まだまだ先のことかもね、って受け止められるってもんです。
 
 
わたしは、今 “〇〇中”
 
最近、SNSを開くのをやめました。作家さんたちの輝かしい活動に焦らされたり、出来ない自分を責めてしまったりしていたからです。ART業界の人たちと会うのも控えています。顔を合わせれば「次の展示の予定は?」と聞いたり聞かれたりするのが、(この業界の)世の常だからです。笑
 
今度だれかに聞かれたときに、なんて答えましょうね?「地固め中」?
 
そう、この冬は「冬眠中です」って言えてたのですが、そういう言葉ってあると心が楽かもしれません。主治医の先生も良い提案をしてくれました。
 
「治療中」?「療養中」?そのまんますぎますよね。「充電中」?ありきたりで面白くないですよね。とりあえずTwitterアカウントには「再起動中」と書いてみましたが、今は「縁側で微睡み中」・・・笑。
照れ
 
人生の一時期、何もしていない日々があったていいと思いますよ!わたしは静かに“うつ”と向き合っています。これが将来ぜったい自分の糧になるってわかっているから。
 
縁側で微睡む幸せを、噛みしめる春です♡
 
 
 
 
 
2017年8月頃から、心理士のS先生に言われて「 活動記録表 」というものを書き始めました。
めんどくさいときは書きませんし、実は体調が良いときほど書くのを忘れていて思い出せません。笑。
 
“宿題です”と言われると、きっちりやらなきゃ・・・と気持ちが焦るのですが、学校じゃありませんので忘れててもいいかな、という軽い気持ちでやればいいものと思っています。
 
以下は、実際のある1週間の記録です。
 
(2017年8月ごろ)

(2018年2月ごろ)


その日の活動を、たとえば「起床」「朝食」「散歩」「買い物」・・・などと書き込み、その活動を行ったときの気分を10段階で表します。1が最も“悪く”、10が最も“良い”です。5が平均的な気分、10なんかになってしまうと興奮しているような状態と捉えるそうです。また、各日付の下の段には体の症状のレベルに〇を付けます。そして最近はそれぞれの活動に対して、喜び(P)の値と達成感(M)の値も書き加えたりしています。(P)も(M)も10段階評価で、1が最低値・10が最高値です。
 
 
目的
 
これをやる目的ですが、先生によると、どういう時に自分がしんどくなっているのか、体調が悪くなっているのか、気持ちが落ちているのか、を客観視するためだそう。そしてそこから解決策を探る、ということですね。
 
“うつ”なんていうと「心の問題」なのだから、もっと心を扱ってよ!と思うかもしれませんが、治療を続けていてつくづく思うのは、話を聞いてもらってその瞬間楽になってありがとー・・・ではないということです。
 
原因があるならそれを客観的に掴み、その対処法を考える。物事には因果がありますから、原因は必ずあるってことですよね。それをひとつひとつ潰していこう、ひとつひとつ楽になっていこう。そういう方針を心理士のS先生の進め方からは感じています。
 
じゃあ、一個ずつ解決していって最後の原因が取り除かれるまでどれだけ時間がかかるんだ・・・!と途方もなく感じるかもしれませんが、今日のセッションで“その時”は意外とすぐに来るんじゃないか、という希望も少し見えましたので、それもお伝えできればと思います。
 
 
活動記録表から見えてきたこと
 
まず、S先生が最初に言ったことは「 活動しすぎ 」ということでした。
 
わたしは芸術活動をするために別の仕事を週4日してきたわけですが、あとの3日を使い、近隣のギャラリーへ顔を出すこと・友人の展示を訪れること(営業活動の一環でもある)、スタジオでの制作・展示の打合せ・展示の地へ赴くこと・企画書を書くこと(本活動)、経費入力などの事務作業、それからコミッションワークが入ったりイベントの実行委員になったりもしていました。フリーランスでデザインの仕事も少し請け負っていた。
 
週4日の仕事もグラフィックデザイナーをしていた時期が長かったので、そりゃあもう疲労困憊ですよね。
 
普通の人は、週2日休んでいるんですよ
 
と言われたときの衝撃、芸術家のみなさんはわかるでしょうか?わたし、芸術を続けるにはこれくらい無理してやらないと追い付けないと思っていました。何に?と聞かれると、いま現在のわたしにはもうわかりませんけれど。
照れ

エネルギーが有り余る人は、それでもいいのです。でも“うつ”のわたしたちは、いまのところ心のエネルギーが枯渇しています。それを充填する必要があるんですよね。それを優先させるべきで、充填しているそばから使いすぎていたらいつまでたってもエネルギーが元通りに戻りません。わたしは、「ガソリンタンクの底に穴があいているみたいですよ」って主治医が慌てちゃうくらいの状況みたいでした。

これはもちろん、身体的な活動だけではなく、思考も大きなエネルギーを使いますし、心もエネルギーを使います。思考や心で浪費するエネルギーを最小限にしていこう、とするのが認知行動療法なのだと思っています。

とにかく、「せめて週1日はお休みにしてください。」と、きつめに言われました。本当は週2日と言いたいところ、emさんは無理だろうなと思うからです、って。笑。


それからもうひとつ、自覚もあったのですが先生の目にも止まったことは、「 朝、起きれない 」こと。
“うつ”の人は午前中ツライ、という症状がありますよね。それと関係あるかどうかはわからないのですが、わたしは強制的でない限り、朝はかるく10時ごろまで寝ているのがとても気持ちいいのです。先生が言うには、できればこの活動時間帯を少し早い時間にずらしてほしいということでした。つまり、夜1時間くらい早く寝て朝は1時間くらい早く起きる、ということです。

世間でも良く言われているので、言われるだろうなぁと思っていたのですが、「できれば12時までに寝ること」という先生の言葉に従うことにしました。それでも翌日の朝早く起きれるのか?というと、全然そんなことはありませんでした。何度かのセッションで「起きれません」と報告したところ、「そうか、emさんは眠いんですね・・・」とS先生はつぶやき、こんなことも教えてくれました。

普通の人は、朝、疲れもなくスッキリ目覚められるんですよ

“うつ”のわたしたちが“普通じゃない”なんて、偏見や差別で言っているんじゃないんですよ。寝る時間を早くしても、眠くて起きられない、のなら、それだけ疲れているということです!

 

 

活動記録表から自分の生活スタイルを客観的に見てみると、

 

活動しすぎで、まだまだ疲れているみたい、ということでした。

やることがありすぎて(と感じていて)、仕事から帰っても事務作業や企画を練る“おしごと”をしていました。取り憑かれたように、ワーカホリックだったのでしょうかね?そうしていないと、みんなから置いて行かれるという気分になっていたように思います。

 
有名な作家さんはたくさんいて、著名な評論家さんもたくさんいて、それに続く人たちももちろんたっくさんいて、後から続いてくる(または追い抜いていく)作家たちも無数にいます。その最前線へ行かなきゃ!そこから外れたらもうあっという間におしまいだ。そんな風に感じていたかもしれません。下手に(笑)留学なんてしてしまったから、世界基準のARTの世界がもっとずっと先にあることも知ってしまい、焦りとそこへたどり着けない未熟さに悶々とすることになったのかもしれません。ただただ、どうすれば先へ、最前線へ、躍り出れるのか、みたいなことを考えていました。
 
前にも書きましたが、ひとの潜在意識ってとても精巧にできているんです。高性能なんです。こういうわたしの考えは、ずっとずっとその方法と解決策を考えつづけていたんですよね、きっと。仕事をしているときも、ただ友人とお茶をしているときも、ただ恋をしているときも、母との関係に向き合おうとしていたときも、同時にバックグラウンドで検索機能が起動していた。そんな風に思います。周りからはそうは見えていなかったようですが、ずっと自分は頭のなかで「疲弊している」という言葉を発していました。身体の方からわかりやすく訴えかけてくれていたんですよね。

もう、まずは心のエネルギーを満タンに戻そう!と決心しました。お金の不安もあるから、芸術のペースを落とす代わりに仕事を頑張ろうか?とも心理士のS先生にも相談しましたが、まずは心のエネルギーを戻さないと、身体の力も発揮できませんよ。心のエネルギーが戻ったら、今以上にパフォーマンスは上がりますよ。と仰ってくださいましたので、まずは心のエネルギーだなと決めました。

夜、仕事から帰ったら、仕事っぽいことはしない。読書やネット、編み物なんかの趣味も、根を詰めないこと!どれだけ快適に眠りにつけるか、だけを考えよう!そうしていま現在のわたしがいます。21時を過ぎたあたりから、お風呂に入ることを考えて、どれだけ身体をあたたかくして眠れるかを考えて、夜のコーヒーは辞め、週末にできる“おしごと”には手を付けない。それから、朝起きれなくたっていい。いままで、「朝10時に起きるなんて一日無駄にして」とか11時頃になった日なんか「おそよう」と母に言われていたのですが、わたしは疲労困憊で体力がないから回復中なんだ、と頭の中を流れる他人の声に惑わされることないように生きることを心がけています♡

そんなこんなで数か月経ちました。結果はというと、休日にアラームを切って寝ていると、ふっと目覚めるのが8時だったり9時だったり。朝日で明るい部屋を見て、疲れもなく(あぁ幸せだなぁ)と目覚めることのできる日が週に2度はあるな、という感じですね。冬の温かくて肌触りの良いお布団の感触が好きなので、二度寝はしてしまうのですが、寝ていられなくなる時まで許してください。笑
照れ
 
“その時”は意外とすぐに?

そうそう、言い忘れていました。認知行動療法を16回終えて、スキーマ療法といえど認知行動療法の詳細版をやりながらセッションを続けているわけですが、その宿題の中で突然いままでと違う反応ができるようになっていました。詳しくはまたスキーマ療法の記事で書いていこうと思いますが、ストレス体験(環境)があったときの自分の反応が、とてもニュートラルにス―――ッと鎮火した日があったのです。

いままでなら、わぁーっと思考がまわり始めてアップまたはダウンして、それに気づいて、ニュートラルに戻そうねって自分を誘導していました。それが、「あ 自分いまスゲェ冷めた」と自分では思うほど淡々としていた瞬間があったのです。わたし自身はそれをあまりポジティブに捉えず、とうとう諦めの境地だなと感じていたのですが、S先生いわく「それが、とてもニュートラルな普通の感覚ですよ」ということでした。それもこれも、これだけの回数そして時間をかけて訓練してきたおかげなのかもしれません。それが瞬時に出来るようになった、と言えるようです。

こういうことって、あるんですよね。ずっと同じことを繰り返していて天井に頭打ちのように思えても、とつぜん天井が崩れて開ける感じ。

まだもちろん訓練や、根本の癒しのアプローチなどが必要です。でも、一段一段昇るだけじゃない、とつぜん青空が見えることもある。そんな気にさせられる日でした。あなたの“その時”も、すぐそこかもしれませんね。
ラブ