認知行動療法(CBT)⑤ “毒親”という過激な言葉。 | 芸術家emの、うつ♥と人生♡

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前回の記事: 認知行動療法(CBT)④ 自分の問題点を知る。|その2|気づきと解決策

 

2017年春に治療を始めてから現在にいたるまで、カウンセリングでたびたび出てくる話題が、母とのやり取りです。そのたびに、母に対して感じたことをそのまま素直に伝えてみること、という宿題が出るわけですが、いまだにほとんどできていないのが現状です。

というより、その機会はすぐにやってきて「そうか、素直に伝えてみるのか」と伝えたが最後、大戦争の火ぶたが切られてしまうのを何度か経験しているのです。笑

ここで言う「母に対して感じたことをそのまま素直に伝える」とは、

“あなたってこういうトコあるよね、だからいつも私はしんどいの。”

ではなく、

“こう言われたときに、私は悲しかった。”

と、相手を攻撃する言葉をいっさい使わずに、ただただ「自分がどう感じたか」を簡潔に伝えることを言います。非難される言葉を言われると相手は逆にそこを攻撃してきますが、事実だけを言われると反論できずにとても痛い(と感じるらしいです)。事実だけを伝えること、これはとても強い武器になるかもしれません。※でも、むやみに人を傷つけるためには使用しないでくださいね。

おねがい


さて、世界大戦の火ぶたが切られた、ある夜のお話です。

 

 

わたしの実例

 

ある夜、治療を始めてからまだ4ヵ月くらいのとき、突然母から「家にちょっとでもいいからお金を入れてくれないか」と言われました。
わたしはまだ実家にも新しい仕事にも適応途中で、不眠や体調不良を繰り返していた時期でした。昔から家では、「しんどい」ということや「愚痴」などを話す習慣がわたしにはなかったので、母から見れば何も言わずに出勤している娘はもうだいぶ良くなっていると見えていたのかもしれません。

デザイナーをしていたときよりお給料は減り、また、一人暮らしの期間にしていた生活費の借金の返済も毎月ありましたし、制作活動もびっくりするくらいできなくなっていたので、売る絵もその機会もなかったのです。そんななかで家にお金を入れるのは現実的に無理でした。

実は家に借金があること、ローンの返済も終わっていないこと、父も母も定年を迎えても働いていること。それを知っていたにも関わらず実家に戻ってきてしまった自分に罪悪感は感じていましたが、現実的に無理でしたし、こんなにしんどいのにどうして母の心配をしなければいけないんだ!って、怒りも感じました。栄養面と金銭面での不安を減らすためにわたしは帰ってきましたが、戻ってきてもいいと言ったのは母のはずなのに、彼女のほうでは「生活費の足しになる」とか「家事の負担が減る」とどこかで思っていたのかもしれません。
 

母からの「家にちょっとでもいいからお金を入れてくれないか」の言葉に、できるだけ感情を込めずに客観的に「こういう状況だからお金はなかなか入れられそうにない」と言えたことは、ひとつ課題をクリアかな?と思いましたが、残念なことにこの場から逃げ出そうとする父を巻き込む大戦へと発展していくのです。

 

母の方には、娘の回復を見守ろうという意識よりも、この30余年の主婦業の苦しさと頑張ってきた自分を認めてほしい承認欲求や認められない飢餓感、自分の正しさを認めろというような感情が見えました。わたしの方には、いつも母の愚痴ばかり聞かされてきた抑圧や自分のことばかりの母への怒り、お金も入れられず家事もできない消費ばかりする自分への罪悪感が噴出するのが見えました。

 

いままで、母に理解してもらおう、理解してもらいたい、優しくしてほしい、受け入れてほしい・・・と、わたしは思いつづけていたのだと思いますが、母に変わってもらうことはできないのだと、現実を知ることができた夜でした。

 

相手を変えることはできない。心理学を少しでも学んだひとには耳にタコなお話ですが、相手を変えたい(コントロールしたい)と思うわたしの心理は、そっくりそのまま母の「娘に家事をさせたい、お金をいれさせたい」とおなじ心理なのですよね。わたし自身が変わらなきゃ。この人は優しさをわたしの望むカタチでくれる人じゃない、ということを考えられるようになったきっかけでした。

 

 

毒親?

 

わたしはずっと、理解してもらいたい優しくしてもらいたい、と願い、そうしてくれない母を恨んでいるような気がしています。と同時に、愚痴ばかり言う母が優しくならないのは、わたしが母の望むような娘でいられないからだ、とも強く信じているようなところがありました。

けれども、です。最近やっと腑に落ちてきたのですが、母はわたしが怠け者だから愚痴を言って爆発するのではなく、ただその時の感情をポンポン声に出しているだけ、ただ疲れているから愚痴が口からこぼれるだけ、なのかもしれないってことなのです!

もう!あんたたちがいるから家が片付かないのよ!→って、母が片付けが下手なだけかもしれないのです。

愚痴や暴言を子どもの頃から聞かされたわたしは、わたしのせいで母がこうなると思っていたふしがあります。片付かないのよ!とか家事をやってくれない父とはもう離婚する!とか母がヒステリーを起こすたびに、「自分のせいでこんなことになる」ととてつもない悲しみに襲われていたのですが、この頃やっと、「ん?」っと自分の気持ちにストップがかけられるようになっています。

 


さて、この病に気づいてから、「毒親」という言葉をはじめて知りました。その言葉の過激さに、胸が苦しくなったのを覚えています。母のことを「毒親」だなんて思いたくなかったし、そんな風に言ってしまったら母が可哀そうだと感じました。その感情を感じたのは、わたしのなかの少女みたいなわたしだったと思っています。でも、大人のわたしが思うに、自分の感情に振り回される彼女ら母親たちが、子どもたちの心に傷を与えてしまうような言葉を何気なく、ほんとうに何気なく放ってしまっているというのは事実なんだと思います。

その時その時の感情で言ったことを覚えていない、そんなことを今さら持ち出さないでほしい。

と母ははっきりと言いました。そういう人種が、いる。そういう横暴な奴らがいる!という意味ではありません。そんな程度のことを心に持ち続けない、あっけらかんとした人種なのかもしれない、という意味です。そして、別の角度から見れば、それを敏感に受け取り、長年すこしずつ蓄積されてきた“毒”だと感じる、とても敏感で繊細で優しいわたしたちが、いる。…あぁ、どういう風に言ってみても、彼女らを非難しているように聞こえてしまいますね。笑。ただ、そこには、心の硬さのちがいがあるだけのことかもしれない、と感じているこの瞬間です。

「毒親」という言葉の響きの鋭さは衝撃的ですが、まずは「自分のせいじゃない」ということを知るためにも、自分の母親が「毒親」かもしれないと視点を変えるのは、有効かもしれません。昨年の夏、上記の体験とは別に、「母は変えられない」と、悲しみとか絶望でなく「そういう人か」と思えるきっかけのひとつになった著書があります。スーザン・フォワード著『毒親の棄て方 娘のための自信回復マニュアル』。原題は“Mothers Who Can't Love - A Healing Guide for Daughters”で、“愛せない母 娘のための自信回復マニュアル”です。わたしは「毒親」と断罪するような呼び方が好きではありません。ただ、自分のことにいっぱいいっぱいで、「娘を愛する余裕がない」そんな人たちだと思っています。

 

 

また、『壊れた器は捨てなさい|毒親・ダメな家族から立ち直るトレーニング』というサイトも読んで、自分の感情と彼女らの行動との間に線を引くことができるかもしれない、と気づきました。個々の娘と母の関係性の度合いは違うかもしれません。わたしのところは、まだまだ、軽傷かもしれません。ご参考になれば、どうぞ読んでみてくださいね。

 

 

体調の変化

 

さて、こんな風に色んなことに直面しているわたしの人生ですが、もう一つ、恋の軸がありました。笑。わたしは本当忙しい毎日を送っている。


ずっと彼女がいるかどうかも確認できていないひとに片想いをしていました。結構ながい期間、答えのない問いを自分に発しつづけていましたが、ある満月の近い夜、ふっと素直に気持ちを(メールで)伝えて、失恋することができました。それまで、胸の真ん中に鉛を抱えているような感じがしていて、そのひとのことを考えるだけで頭が締め付けられるように(まるで西遊記の孫悟空のように)痛くなっていたのですが、コロンと胸の鉛が転がり出る音が聞こえて、すごく楽になったんです。


答えの出ない問いを発しつづけるのは、とてもエネルギーを使います。それぞれに、なにか解決策があるのなら、それをひとつひとつ実行するのも大切かもしれません。

 

不眠/ たまに動悸、息苦しさ/頭にもやがかかる/台風の日にめまい・吐き気 など

新しい職場の仕事内容、新しく会う人たちにうまく適応できず、振り回されている感じ。

 

認知行動療法⑥につづきます。