“毒親”の癒着から“わたし”を切り離す。 | 芸術家emの、うつ♥と人生♡

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先日、認知行動療法(CBT)⑤ “毒親”という過激な言葉。で、長年苦しめられてきた母親との関係について書きました。

真正面から、母親の言うこと成すことを受け止めて、ちいさな傷を受けつづけてきましたが、もしかしたら彼女は“普通”じゃなくて、だから真正面から受け止める必要はないんじゃないか・・・

なんていうことに気づいたお話でした。

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最近、心を許せる近しいひと(相手の言うことをちゃんと聞いてくれる人たち)に、“うつ”という病名は伝えずとも、身体のことや母親のことを話してみることにしています。

それで、母の心のどこかの地雷を踏んだ話をしてみたりすると、

「え、どうしてそうなるの?(驚・笑)」
「完全にemさんに甘えてますね」

なんて言われたりしています。

“甘える”ってどういうことなんでしょう?
その年上の洞察力と思考力のある友人によれば、わたしの前でならそういった素直な気持ちを表現できるんじゃないかっていうこと。

他の人にそんな言い方をすれば、あっという間に離れていってしまうかもしれない言葉だけれど、娘のわたしになら言ってもそうそう簡単に縁は切れない。

それはこの30余年で実証されているわけです!笑

そういった意味では、別の角度からみると母はわたしにいちばん気を許しているし、甘えているし、信頼している、っていうことなんじゃないかなー。ってことなんですよね。
チュー

ーーーーー

うーむ。
その話をしたそのときは、なかなか受け入れにくいお話でした。でも、そんな風に彼女をみてみたら、なんだか今までの苦労(苦しみ)がバカらしくなってきてしまいます。だんだん笑えてきてしまいます。

でも、

(母に)愛されたい!
(母に)優しくされたい!

と願いつづけていることに、もしかしたらわたしの思う方法じゃないやり方で母は優しくしているつもりなのかもしれない。わたしのことを嫌っているわけじゃないのかもしれない。

なんて、ちがう見方ができるようになるかもしれないなと最近は思っています。それは苦しみを減らせる方法かもしれない。

根本裕幸先生もよくおっしゃいますが、「愛されている」という前提で母親を見て、どんな愛し方をする人間なのだろう?と、観察してみるといろいろ見えてくるかもしれませんね。
照れ

もちろん、いまそんな話をされても憤りを感じる!という気持ちのかたもいると思います。許せないかもしれません。

でもね、ほんとうに大切なことは、“わたし”自身の心の安寧なんです。だから彼女らを許す必要はないし、「許せないとこの病は治らない」と思わなくてもいいのだろうとわたしは思っています。

別の視点で、母親やじぶんの状況をみること。
それで笑えるのであれば笑ってしまえばいい。
苦しかった時間を、何かを、
取り戻そうともしなくていい。
この瞬間から幸せになることもできる。

それで、いいじゃないか☆
(・・・とは、なりませんか?笑)
照れ

ちなみに、このあいだ気づいたのですが、わたしの好きなジャムが冷蔵庫にありました。うん、それだけでもひとつ、優しさと幸せをもらったと、しておこう・・・