(過去のお話です。)

 

長男の結婚式から10日ほどして、施設にいた父の肺に重大な疾患が見つかり

入院することになりました。(父は遠方の結婚式に出席できる状態ではなく

母のみが出席しました)

 

お医者様の話を聞いた母と弟から「いつ何があってもおかしくないそうだ」と聞き

Oと次男も一緒に病院に駆けつけました。

 

父は私が来てもあまり嬉しそうな顔はしませんが

(パーキンソン症候群を患っているので顔の表情を動かすのが難しかったのです)

Oと次男の来訪を喜んでいるのはよくわかりました。

そして私がタブレットで長男の結婚式の写真を見せると、

泣きそうな顔で出ない声を上げて何かを言おうとしていました。

 

父はOのこともとてもかわいがっていて、若いころはよくゴルフに連れて行ってくれました。

Oは父に優しく語りかけていました。

「若いころ、よくお父さんが週末にゴルフをセッティングしてくれましたよね。

お父さんは絶対に僕には支払わせなかった。

あのころゴルフはとても高かったし、

ゴルフ場の予約も会員じゃないと難しかったから

本当にありがたかったです。

早朝のラウンドが多かったから、

前日からfinや子どもたちと泊まらせてもらいました。

あれは孫に会いたかったからですよね。

お父さんからゴルフクラブもたくさんもらいました。

パターは今でも使っていますよ」

父は黙って聞いていたけれど心に響いているのは見ていてわかりました。

 

一度私が実家に逃げ帰ったことがありましたが、そんな話はもちろん出ません。

 

 

2人とも、いいえ、たぶん母も、忘れているのだと思います。

 

父は2月に亡くなりました。

1か月の入院中、長男も会いに来て、おじいちゃんに感謝の言葉を伝えていました。

お嫁さんも来たがっていたのですが、お腹に新しい命が宿っていたことがわかり

コロナウイルスのことも心配だったので、大事を取って家に残ってもらいました。

妊娠のことはほかの人たちにはまだ内緒だったので、

父だけにそのことをこっそり伝えました。

父が息を引き取るとき、私と母が病院に泊まりこむつもりで病室におり、

異変を感じて、すぐに実家で待機する弟一家、妹夫婦と姪、そしてOと次男に来てもらいました。

皆に看取られた最期だったのは何よりの慰めでした。

 

父のお葬式には、5人の孫全員が顔をそろえました。

私たちには厳しい父でしたが、孫はまるごと愛してくれました。

皆が泣いていたのに、やはり私だけ涙が一粒も出ないのでした。

皆に合わせてハンカチを目に当てたりはしていましたが、どうしても泣けないのでした。

 

あと1か月後だったら、お葬式をあげることは難しかったでしょう。

コロナ禍はすぐそこまできていました。

 

皆に囲まれて、お葬式にもたくさんの人に参列していただけて良かったね。

ありがとう、お父さん。