「ペントハウス2」は、「1」と異なる所がある。

それは、

「母親たちの物語」「親子の物語」でもある、

ということ。

「ペントハウス1」は、

権力にトチ狂い、憎しみと仕返しにトチ狂った

女と男たちの争い。

格差社会と貧富の差の現実への

視聴者自身の怒りと恨み。

 

「ペントハウス2」は、その中にも

親子の情や

愛や献身も見えてきて、

キレイな涙も出てきてしまう。

 

それはトランスジェンダーの親子も同じ。

けれど、

その親子を、

あたかも児童虐待でもしているような、

モンスターペアレントと決めつけるような批判を

する連中がいる。

子どもたちもそういう批判で

幸せになるはずもなく、

学校でも社会でも、

居場所を失ってゆく。

 

書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」

の読者の渦から、

日本でもますます

そういう傾向が強まる危険性がある。

 

角川書店からの撤収があったのは、

「モンスター」たちからの圧力や脅迫が原因ではなく、

書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」が、

子どもたちへの加害や

子どもたち自身の自殺も発生したからではないのか?

 

「事件が書籍や歌によって誘発された」

ということが実際に起きれば、

それは発売中止の理由にもなる。

 

ではないのか?

 

 

「書店に圧力をかけた連中は、

サヨクと活動家である」

とか言われているが、

 

「サヨク」「左翼」「活動家」という名称とは、

よくヘイトスピーチにも使われた、

「在日認定」

「おまえは朝鮮人か?」

「非国民」

と同じ類のものだ。

 

要するに、

「自分と意見の異なる者に付ける名称」

でしかないのだ。

事実を指してはいない。

 

前置きが長くなったが、

書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」

の中身に反対する人たちは、

普通の親子だ。

我が子が安全で、

尊厳を守られて生きることを

願う普通の親だ。

 

どうか、

「トランスジェンダーとして懸命に生きる子ども」を

育て、守る親の、

本当の姿を見てください。

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