どちらかというとネットでもリアルでも、

ひろゆき優勢で、

「せやろがいおじさん」に対しても攻撃がある。

攻撃している人は、せやろがいおじさんの動画を

最後まで見ず、3分の1部分で反論している。

せやろがいおじさんは

ひろゆきを評価していた。

「ただのボタンの掛け違いにすぎないことで、

『論破』などというマウント合戦でなくて

キチンと語り合いたい」

ということをおっしゃっていたにもかかわらず、

「マウント合戦」「論点外し」「中傷の連続」こそが

正しいというこの

世間様からボコボコにされている。

 

日本に正義はないのか?

 

そんな折、ルビーさんのブログを見つけた。

ルビーさんは、以前「エリオン」さんだったようだ。

げど、三浦さんの発言を取りあげてくださったことは

ありがたい。

 

「辺野古で座り込み中だが『座り込み』の定義を決めつけるひろゆきさんを見て憤りを覚えた。誰も言葉の定義なんて決められないし決める権利を持った人はいない。それぞれの人が心の中に自分だけの『座り込み』を持ってるんだ。誰かが誰かの『座り込み』を間違ってるという権利はない。私が『座り込み』だ」

 

このご発言はネットでも大絶賛。

 

確かに、このバーチャル時代だ。

沖縄に座るのが座り込みではない。

 

名古屋でもスタンディングがあるが、

ネットだってできる。

ネットで沖縄を応援する人たちは

みんな「座り込んで」いるのだと。

 

もちろんわたしも、フラワーデモでも、

「慰安婦」支援デモでも座り込んでいる。

「慰安婦・徴用工を次世代に継承しようデモ」は

ほとんどひとりで座り込んでいる。

FBの仲間や、「丹波マンガン記念館」館長さんも、

コロナでも「座り込んで」いる。