明日行ったら仕事休みです。
土曜日にはヨガに行って、お風呂に行って、と楽しみ三昧�
楽しみだな、がんばろドキドキ

金曜日は、とりあえず家でまったり妹とお喋り。
土曜日は朝は勉強して、昼からヨガと温泉に♪
日曜日はどうしようかな♪
月曜、火曜の予定が未定で、火曜の夜から友達が泊まりに来るから、どこかで夜ご飯食べて帰ろう!
水曜日は友達を送って行って、それからがまた未定。

ああ、嬉しい、楽しい、大好き!!

もし私が溶けて水になるんだとしたら、何色になるだろう。私の友達は?職場の人は?電車で隣に座った人は?お母さんは?みんな、最後に溶けて水になるんだとしたら何色になるんだろう。最後に溶けて水になって、それを綺麗な透明なガラスのコップに入れて眺められたらいいのに。きっとそれはきらきらしてるんだろう。私が溶けたら何色になるだろう。薄い水色で透き通っていればいいのにと思う。それを加湿器に入れて、部屋を加湿して、それで、そこでお別れ会を開いてくれるとしたらどうだろう。とてもきれいななくなり方。そうして、少し、大切な人の溶けた水は小瓶に入れて、それが自然に蒸発してなくなってしまうまで、肌身離さず持っておくんだ。なんだか、それは嬉しい気がする。


私は、かたくて冷たいものになるために、一生懸命生きているのかな。最後、綺麗な水でお別れできたらいいのにね。私が一生懸命なのは何のためなのかな。かたくて冷たいものにならないため。

私は変わってると言われるのがかなしい。
どうしてだろう?
同期とうまく馴染めず空回りばかりしてる気がしてちょっと変わってるレッテルをはられはじめた今日この頃。
たまに怖くなる。例えば今とか。
私の中で変わってるっていうのはいつのまにか悪になってる。
昔は変わってるって嬉しかった。
私の代わりは誰もいないって言われてるみたいで。
今は変わってるって言われるの、あんたはここでは仲間に入れてやんないよ、って言われてる気分になる。
なんて被害妄想。
前向きに考えた方がいいのは分かってる。
まあ、私は普通ではないかもしれない。
でもそれは悪いことじゃない。
ここが踏ん張り所で、普通じゃなくても仕事をがんばって覚えていったらいいんだから。

躓いた石は積み石にもなる。

私のことを決め付けた言い方をする人がいて、私は悲しくなった。
みんな何かしら、あるよ。
いろんな種類の苦しみがあって、それは他人には絶対に理解できない。
ただ想像してもらうしかない。
その想像が本当に苦しみを理解してくれている物じゃなくても、でも、真剣に想像してくれようとするその姿勢で私は救われる。救われたんだと思う。
もう昔の話になるけど、学校で辛かった時、それがお母さんにばれた時、お母さんもお母さんから話を聞いたおばあちゃんと学校の担任も、私の苦しみを想像してくれる努力を、してくれなかったように思う。
ただ、想像する前にお母さんはみんなに言って私を叱って、私の将来を心配して、……そんな、そんなことがどれだけ辛さを倍増させたか分からない。
私はアドバイスなんて求めてたんじゃない。
「辛かったね」
その一言が欲しかっただけだよ。

ひとり、家庭科の先生は学校での私を見て、「辛いんじゃない?」って、言ってくれた。
うまく話せなかったしそれから大して話した訳じゃないけど、その一言でどれだけ救われたか。

お母さんにはこのことを少し話したことがある。
話にならなかった。
日本語が通じないの。
「お母さんも一生懸命だった」って。
違うのに。お母さんはいつも自分がどうしたいかでものを考える。
お母さんが私に学校で楽しく明るくやってほしいから、何かをがんばる。
その前に私の気持ちは無視だった。
今でもそうだよ。
お母さんが私に働いてお金を稼いで結婚してほしいから、私を助ける。
私がどうしたいかなんて無視。っていうか考えられないんだと思う。
もう、年をとって考え方を変えるなんて無理ね。
だから私はたまにお母さんを怒る。昔は泣き叫んでた。大きな声で。そうしたらお母さんにも聞こえるかと思って。
でもだめだね。私のこえは絶対にお母さんには届かない。だって、たぶん、理解ができないんだもんね。ただ、酷い癇癪だって、それだけの理解。
私の立場で私のことを考えてくれたことがないから、私はお母さんを心ではどこか拒絶してる。
もう諦めてしまった。
だから私は考え方の違う人の前では無口になる。
伝わらないと思うから。

私は、私がしてほしくてたまらなかったことを誰かにしたい。
誰かのためになんて。自分のためにしか人間は動けないって思ってるけど、私は誰かの、あのときの家庭科の先生になりたいだけ。それには救う相手が必要でしょう?所詮は他人も巻き込んだただのエゴ。
でも、それで、誰かあの時の私みたいに苦しんでいる人が、一人でも楽になれるなら、私は嬉しい。
私はそうなりたい。

だから、私は、共感する、真剣に子どもの気持ちを考えることができる大人になりたいな。

まずはそこからかな。
業務をこなしながら、ね。

がんばります。

今日からの勤務もがんばる!
不安はいっぱいだけど、乗り越えた先にきっと何かが待ってると思うから。
私はそれに会うために、与えられた場所で自分のベストを尽くそう。

がんばります!
怒られたって、それは患者さんのため必要なこと。
私は絶対やっちゃいけない失敗を確実に減らすよう、自分のやり方で、一歩一歩やっていくよ。

バリバリはできないけど、ちゃんと考えて、自分のやり方で患者さんに危険なく、できるように。

『患者さんに危険なく』

これが第一なの。
これができれば、とりあえず合格ライン。
今は先輩の手をいっぱいお借りしてもいいから、とにかく『患者さんに危険なく』

焦ったときも、困ったときも、それを頭に置いて。
それだけを頭に置いて、と言ってもいい。

患者さんの様子をみながら。
例えば清拭のとき、作業に夢中になるあまり患者さんを移動させるときに頭をぶつけてしまったりとか、腕を挟んでしまったりとか、なにかが首に巻き付いてしまったりとか、ナースコールを置き忘れたりとか、柵をし忘れたりとか、

そんなことに気をつけて。
テキパキなんて動かなくていいの。

そうしたら、ゆっくりでも、いつか人並みに仕事ができるようになるはずだよ。

私のペースで、焦らず、ゆっくりとね。

頑張ろう。

私の強みは何だろうって、考えたときに、昔から国語が得意で、読解力があるって褒められてたことを思い出した。

それから、精神科実習の時に、とても厳しい考え方をする先生に、「えぬさんは患者さんの気持ちを深く考察する力があるね。期待しています」って言われたことが嬉しかったことも。

その先生には、患者さんの気持ちを「自分がもしそうだったら」って考えてみて、共感してみて。そこがもっとできたらさらにいいね、って言ってもらったので、そこが課題なのだけど。


高校の時、なにか、私にしかできないことがしたいと思って看護の道を志したことを思い出したよ。

専門の訓練を積んで、それで、私にしかできない仕事がしたかった。

だから、みんなと同じようになろう、なんて考えなくてよくて、同期のなかで私だけ、ちょっと真面目なかんじでもさ。

それは、私の強みなんだよ。

同期のなかで色が違うってことは、それだけ、私にしかできないことが、たくさんあるってこと。

人とキャラクターが被らないのは、幸せなことだよ。

それだけ、人と比べられることなく、私らしさが出せるんだから。


私は自信をもって、私であればいい。

同期のみんな、悪い人じゃないから、それを受け入れてくれる度量のある人ばっかりに見える。

私は私らしく、ときにおっとりと、ときにてきぱきと、いつも笑顔で、たまにまじめで、たまにはめを外し、失敗したり、素直に謝ったり、反省したり、でも、嬉しい事があったら、それを心の引き出しにしまって、楽しくやっていけばいい。

それで、読解力や考察力があるって褒められたことがあって、私もそれは得意かなって思うから、それをもっと伸ばして生かして、カンファレンスでみんなに提供したり、していけばいい。

そうしたら、患者さんにもとても有益な看護師になれる気がする。


人に、理不尽なことで八つ当たりされても、まず私は、「なんでだろう?」って、思う。

それで、勝手だけど、「こういう気持ちがあったんじゃないかな」って、考えるくせがある。

このくせが私は今まできらいで、「なんでそこまでかんがえるのー」って、よく言われたりしてて、それを勝手に脳内変換して、「こんなこと考えるのって、へん?」って、勝手にうだうだ考えてたんだけど。

そこまで考えるのが私の良さでもあるんだ。

そこを伸ばせばいいんだ。

いままで、あんまり意識してないのに、やってたってことは、もう本当にそれは私の才能なんだ。

全く揺らがない私の才能。

私は、そうやって人の気持ちを考えて、みんなに話してみて、それで、少しでもみんなでその人のその気持ちを和らげることができたらいいな、って思う。


まじめだね、って言われるけど、それが私の良さ。

そうやって、自分の思ったことを素直に言ってくれる人たちも、私のことを私に気づかせてくれる、その正直さが良さなんだ。


みんなちがってみんないい。

先輩に気がきくと思われたいとか、邪魔にならないようにとか、怒られないようにとか、目をつけられないようにとか。

そんなことばかり考えてしまう日は、気を付けているはずなのに逆に注意を受けたりする。

それはさ、たぶん空回りしてるんだよね。

先輩のことばかり考えて、それで患者さんに不利益になったら本末転倒だし、それは一番やっちゃいけないこと。

先輩も、そこを見てるんだから、そこに意識のない、患者さんのことを考えずに他のことを考えてる人間がいたら、それは注意するのは当たり前。

私の仕事は、今、研修中で何もできない私ができる唯一の仕事は、患者さんのことを第一に考えて、持てる時間を患者さんのために精一杯使うことじゃない?

まだ体がすぐには反応できないけど、ナースコールが鳴ったら、すぐに出る。

電話にも、すばやく出れるように体を慣らしていく。

患者さんに挨拶する。

明るく優しく、声かけをする。


先輩に気を使うことは、まだ考えなくていいんだ、きっと。

まずは患者さんに気を使えるようになること。

それって、当り前のように思えて、実はすごく難しい。

だって、きりがないもの。

追及していったら、終わりがないんだ。

探せば探すほど、たくさん見えてくるものだから。

だから、私はまず、今、患者さんに気を使えるように、患者さんの気持ちに立って、『してもらってうれしい事をする』をモットーにがんばるよ。

わたしは、されていやなことをすまい、って前は思ってたけど、それはすごく消極的な考え方で、相手に何も残らないんじゃないか、って分かったから。


『してもらって嬉しい事をする』


これが私の今のテーマです。

こういう風に考えるようになって、少し調子が上向きになってきた気がする。

積極的な方向に、前向きな方向に考えること。

これは私の永遠のテーマになりそうだな。

私は、後ろ向きの考え方をする時が多いから。

でも、後ろ向きの考え方をしてしまう人の苦しみが分かるっていう、私の強みにもなると思うから。

だから、少しづつ、意識は変えていくけど、今までの私が無駄だったわけじゃない。

ずっと後ろ向きに考えてきた私がいて、それで、その上に、今の私がいるから。

きっといつか役に立って、私を向上させてくれる。


まず、習ったことを確実にものにして、そして、患者さんに対して、してもらってうれしい事をすること。


がんばるぞ。


もう一つのアドバイス。
社会人になったら人の行動からカンニングをしないとダメだって。

なるほど…。
お父さんに、自分が同期の中で一番できないような気がすることを話してみたら、親身に聞いてくれてもっともなアドバイスをくれた。
最初はできないのが当たり前なんだって。
最初は、その人の姿勢がその仕事に対して真剣なものなら小手先の技術なんてどうでもいいって言ってた。
そして、怒られた。
私はすごくよくできる人と組まされてるから、たぶん一番できないと思われてるんだって言ったら、上司の思惑なんか考えるんじゃない、そんなことは新人が考えることじゃない、上司の考えをわかった気になるなんておこがましいって。
そんなことより看護師は患者さんのことを一番に考えるべきじゃないかって。
スタッフみんなに使えないと思われても、誰かひとりの患者さんに「あなたに会えてよかった」って言われることの方が大事じゃないかって言われた。

びっくりした。それですごく恥ずかしくなった。
その通りだったから。
私はうまくやろうと思って大切なことを見失ってたから。

あと、人がシャキシャキ動くのに焦って自分のキャラをぶれさせるなってさ。
私は私でおっとりしてるのがキャラなんだからそれでそのままいけ、無理するなと。
妹も、思ってるよりお姉ちゃんは悪くないんだから、自信もちなよっていわれた。

父は凄いな。
父を尊敬した。
父はちゃんと自分の信念を持って働いてきた人なんだな、と思った。

父に性格が似てるって言われる自分まで誇らしくなったよ。

妹も、ほかにいろいろ的確なアドバイスをくれた。
最初は「最低これができなくちゃいけない」って思うけど、実は最初は何にもできなくていいんだって。
だんだんクリアしていけばいいんだって。
そうしたら気が楽でしょ、最初からハードル上げすぎちゃダメだよって。

妹も大きくなってる…。
すごい。

聞き漏らすまいと耳をそばだてた私でした。


この間目標だった、保清の援助は見ることができた。

願うと叶うんだね。

よかった。


あとは、その見たことをしっかりと振り返ることだ。


うん、がんばろう。