続・功夫電影専科 -79ページ目

続・功夫電影専科

香港映画を始めとした古今東西のアクション映画の感想などを書き連ねています。


「ナイスガイ」
原題:一個好人
英題:Mr. Nice Guy
製作:1997年

●主人公のジャッキーはテレビでも人気の名コックだったが、あるとき女性記者をマフィアから救った際に、彼女が持っていた証拠品のビデオテープを(知らない内に)受け取ってしまう。これに気付いたマフィアのリチャード・ノートンは、荒くれ者どもを利用してビデオテープを奪おうと襲い掛かってくるのだが…。
本作は、ジャッキーの盟友であり武術指導者としても高名な洪金寶(サモ・ハン・キンポー)の監督作だが、ファンの間では「ストーリーが杜撰すぎる」と問題視されている作品である。確かに、この強引なストーリー構成には疑問を感じる部分が多々あり、いくらジャッキー映画(あるいはサモハン監督作)だとしても許容しきれない雑さが見受けられる。全体の作風を見る限り、ストーリーにジャッキーが口出しした痕跡は見られないので、今回の失敗はサモハンに原因があると見て間違いないだろう。
 元々、サモハンの手掛ける映画作品にはストーリー性の薄いものが多かった。作風についても、行き当たりばったりな展開・必要の無くなったキャラクターは即座に殺す・しつこいギャグでストーリーを足止めする等々…どれも映画作品を作る上では致命的な欠点ばかりが目に付く。しかし、それでいてサモハン映画が香港でトップに君臨し得たのは、完成度の高い功夫アクションもさることながら、ブツ切りのストーリーをエンターティメントに昇華してしまうほどの手腕があったからに他ならないのだ(中でも『五福星』と『上海エクスプレス』はその"ブツ切り昇華"から生まれた傑作中の傑作で、次々と起こるイベントと個性豊かなキャラクターが作品の成功に貢献している)。
しかし、自信作だった『イースタン・コンドル』の興行的な失敗を境に、サモハンの監督作から勢いが失われていく事となる。辛うじて『サイクロンZ』では持ち直したものの、『ぺディキャブ・ドライバー』では劉家良との初共演を台無しにし、古装片の『戦神 ムーン・ウォリアーズ』では無個性な内容に終始。続く『金城武の死角都市・香港』でも野暮ったい出来に留まり、ようやく『ワンチャイ/天地風雲』で復活するのだが、90年代当時のサモハンは(製作者としても役者としても監督としても)際立った作品に巡りあっていない。彼にとって、この時期は正に"暗黒の時代"だったのかもしれない。
 過渡期の真っ只中にあったサモハンが監督に収まったこと、ハリウッド上陸で浮き足立ったジャッキーが本作をサモハン任せにしたことが本作の失敗に繋がったのだと考えられる。せめてリチャード・ノートンを動かして、ラストバトルに持ってきていたら幾分か結果は変わっていたと思われるのだが…。どちらにしろ、ジャッキーとサモハンの両者にとって、本作は苦い思い出の残る作品となったことだけは間違いないだろう。
さて、ジャッキーは数々の失敗を経験しながらも、映画の都・ハリウッドへと旅立った。しかし、そこでは香港映画とは勝手の違う様々な制約が待ち構えていた。保険会社との制約で思うように動けず、スタントシーンも容易に撮れなかったジャッキーは、たびたび香港に帰郷しては映画出演を続けていた。そんな中、彼の元に香港の映画スタッフから大型企画が舞い込んでくるのだが…次回、やっとこさ最終回です(次項に続く)


「ポリス・ストーリー2/九龍の眼」
原題:警察故事續集
英題:Police Story 2
製作:1988年

●ジャッキーは『プロジェクトA』以降、旧来の功夫アクションから現代的なフリーファイトへとスタイルを移行し、大規模なスタントシーンを交えた作風に傾倒していった。『スパルタンX』『ポリス・ストーリー』等々…80年代中盤から後期にかけてのジャッキー作品は、まさに全盛の時代を迎えていたのである。
そんな中、ジャッキーは自ら掲げていた「続編は作らない」という禁を破り、『プロジェクトA2/史上最大の標的』の製作に携わった。ジャッキーにとって初の続編製作となった『A2』だが、ストレートなアクション活劇だった前作との差別化を図り、ストーリーとシチュエーションを重視した物語を構築。アクションシーン以外でも様々な試みが行われ、バラエティ豊かな作品に仕上がっている。サモハンとユンピョウが抜け、スタントシーンが激しすぎて飽和状態になったものの、これはこれで「手堅い良作」と言えるだろう。
 この『A2』で手応えを感じたジャッキーは、もうひとつの代表作である『ポリス・ストーリー』の続編製作にも乗り出した…が、残念ながらこちらは『A2』ほどの境地までには至っていない。
本作でジャッキーがやろうとしたことは何となく解る。『A2』は優れた作品であったが、前作の設定をあまり引き継がない方向で作られていた。かつてのメインキャラだった太保や火星はあまり目立っていないし、海上警察もほとんどモブ扱い。唯一前作との繋がりを感じさせるのは、所々に登場する海賊の残党たちだけであった。一方、この『九龍の眼』では前作のキャストを再結集させ、劇中の雰囲気も前作そのままに引き継がれている。そう、ジャッキーは本作で「忠実かつ正当な続編」を作ろうと計画していたのである。

 この作品を語る上で触れておかなければならないエピソードがある。
当時、一通り作品が完成した段階で突然ジャッキーは撮り直しを決行し、メインヒロインであったはずの朱寶意(エミリー・チュウ)の出演シーンは全てカット。当初のシリアスなプロットから路線変更し、今の形になってしまった…という話は皆さんもご存知のはずだ。この初期段階では、序盤に再登場する楚原(チュー・ヤン)&曹査理が黒幕として立ちはだかる予定だったらしい。だが、この路線変更によって楚原&曹査理は本筋とは全く関係の無いキャラになってしまい、完全に存在を持て余してしまっている。
 その楚原&曹査理、劇中で張曼玉(マギー・チャン)を殴り倒すわ、散々ジャッキーに嫌がらせをけしかけるわ、マスコミを利用してバッシングするわと、実に陰湿極まりない嫌がらせを繰り返している。恐らく、初期段階のシナリオでは最終的にジャッキーがリベンジを果たす展開になったのだと思われるが、実際の本編では2人とも"本筋と何の関係も無いお邪魔虫"でしかない。後々ジャッキーが派手にやり返すのなら連中の蛮行にも納得できたのだが、無関係で不快なだけなのだから堪ったものではない。
実はこの大幅な撮り直しは今に始まったことではなく、ジャッキーは昔からフィルムの浪費癖があったのだ。『ヤング・マスター』『ドラゴン・ロード』では膨大な数のアウトテイクを出し、『A2』でも未使用カットが幾つもあると言われている。本作はこの浪費癖のためにプロットがこじれ、主要キャストの出番を削除&登場人物を持て余した末にスタートダッシュを失敗するという失態を演じている。どうせ路線変更をするなら、このへんの嫌なシークエンスはバッサリと省き、爆弾魔VSジャッキーの攻防戦に専念してくれれば良かったのだが…。

 その後、中盤からジャッキーは世間を騒がす爆弾魔トリオと対決。張曼玉を人質に取られ、身代金の受け取りを請け負うことになってしまうが、すぐさま逆襲へ転じる…という緊迫感溢れるストーリーが展開されていく。このへんの雰囲気は前作そのもののノリで、爆弾解体からラストの大爆発までの流れも大変素晴らしい。
また、アクションシーンも前作から更なる進化を遂げており、日常の風景にまでスタントが織り込まれるという異常事態に発展している(笑)。ラストでは林國斌・張華・黎強權との3連戦が繰り広げられ、スタントと功夫アクションが見事に融合した高度なバトルを演出している。後半だけを評価するなら傑作と言っても差し支えないが、つくづく前半部でモタついてしまった事が悔まれる。続編である事を意識し、気を配ったことで失敗をもたらしてしまった…本作はそんな希有なケースであると言えるだろう。
 そして時代は90年代へと移り、ジャッキーは活躍の場をハリウッドへと求めつつあった。『レッド・ブロンクス』でアメリカの観客の度肝を抜き、『ファイナル・プロジェクト』ではワールドワイドな活躍を披露。そして『ラッシュ・アワー』へと至るわけだが、その前にジャッキーはかつての盟友と再会を果たしている。ところが、既にその盟友は昔日の勢いを逸していた…果たして、彼は一体何を望んで"この映画"を創り出したのだろうか?(次項へ続く)


「ドラゴンロード」
原題:龍少爺
英題:Dragon Lord
製作:1982年

▼アメリカで挫折を味わったジャッキーは、香港で新たな試みに挑戦すべく「功夫映画はもう撮らない」という宣言を掲げた。ありきたりな功夫アクションから脱却し、現代的な新しい時代のアクション映画を撮る!…そう決意したジャッキーは、この『ドラゴンロード』で失敗の巻き返しを図ったのである。
本作でジャッキーは、功夫片おなじみの修行や仇討ちといった展開を避け、ラブストーリーやスポーツを織り込むことで新しい物語に挑戦している。が、出来上がった作品は功夫片から脱皮しきれておらず、印象はこれまでの功夫映画とあまり変わらない。アクション的にも、真っ当な功夫アクションが減ってしまったことでモタつきを感じる部分があり、ジャッキーも手探り状態で作っていた事が伺える。

■ジャッキーは名家のお坊ちゃまだが、いつも騒ぎを起こしてばかり。怖い父ちゃんの目を盗んでは、悪友の火星(マース)と一緒にトラブル続きの日々を送っていた。そんなある日、ジャッキーと火星は町のアイドルである雪梨(シドニー)を取り合い、大ゲンカを繰り広げてしまう。この争いは鉄砲をいじくってる間に解決するのだが、雪梨には嫌われっぱなしのままだ。
その頃、国宝密輸団の陳惠敏(チャーリー・チャン)は、裏家業に嫌気が差して首領の黄仁植(ウォン・インシック)と対立。組織の悪事を告発しようとしていたが、濡れ衣を着せられて追われる羽目に。一方、ジャッキーは雪梨に好かれようとドラゴンキッカーで活躍するのだが、流れ弾が彼女に当たって目論みは失敗。お詫びの手紙をタコに乗せて送ろうとしたが、風に流されて密輸団のアジトに落ちてしまった。だが、そこには火星の父である張沖(ポール・チャン)の姿が…?
 再び寺院で雪梨と遭遇したジャッキーは、逃走中の陳惠敏が襲われているところに出くわし、成り行きで彼を助け出した。いったん火星の家に陳惠敏を匿ったが、このことで密輸団は「仲介人役の張沖が密輸団を裏切ったのでは?」と疑い、ジャッキーたちを抹殺せんと動き出していく。
なんとか手下たちは退けたが、今度は黄仁植自らが現れて「陳惠敏が盗んだ国宝はどこだ!」と詰め寄ってきた。張沖は痛めつけられ、火星も鋭い蹴りの餌食となった。果たして、ジャッキーはこの圧倒的な戦力差にどうやって立ち向かうのか!?

▲本作のアクションは○○拳チックな動きを減らし、がむしゃらな戦闘スタイルとアクロバティックな動作を重視している。ジャッキーは拳法の修行をしないし(習い事でやっている程度)、功夫アクションよりもドラゴンキッカーやゴールデンポイントといったスポーツの部分に尺を裂いている。ジャッキーはこうすることで、功夫片とは違ったアクションスタイルの確立を目指そうとしていたのだ。
ジャッキーにとっては初の「脱・功夫アクション」となったわけであるが、やはり最初の試みだけあって歪な部分もいくつかある。香港の観客からしてみれば、『ヤング・マスター』で高度な功夫アクションを見せていたジャッキーが、本作ではザコに対して右往左往しているだけにしか見えなかっただろうし、支持が得られなかったのもそのへんに関係がありそうだ。一応、ラストのジャッキーVS黄仁植では高低差とスタントを多用した、画期的なアクションを構築しているのだが…。
 その一方で、本作には大きな収穫が2点ほどある。まず1つはスタント・アクションの起用だ。かつて『バトル・クリーク・ブロー』に出演した際、ジャッキーは走ってくる車を避けるというスタントを見せたが、この「体を張ったスタント」に彼は活路を見出したのではないだろうか。本作でジャッキーは屋根の上で槍を避け、そのまま転落しそうになる様を2度も演じている。ゴールデンポイントの試合やラストバトルにも痛いスタントが絡められており、ジャッキー・スタントの歴史は本作から始まったと言っても過言ではないはずだ。
もう1つの収穫はNG集の登場である。NG集自体は『キャノンボール』で初めてお披露目されたが、ジャッキー主導の作品としては本作が初の試みだ。このNG集、当時としては製作現場の裏側を見ることができる貴重なシークエンスであり、現在もジャッキー映画には必要不可欠の映像特典として重要視されている。
今やジャッキー映画の代名詞となった"スタント"と"NG集"だが、全ての始まりは一本の作品から始まっていたのである(それにしても、その起源となった作品がどちらもアメリカでの失敗作だったとは…奇妙な縁というか何というか・爆)。

 結局、煮え切らない作りが祟ったのか、本作は思った以上の興行収入を得られず、ジャッキーにとっては泣きっ面に蜂という痛ましい結果に終わった。しかし、翌年にジャッキーは長年温存していたある企画を始動させる。撮影日程の長期化・出演者の急死・過密なスケジュールといった困難を経験し、完成した作品こそが大傑作『プロジェクトA』であった。
この『プロジェクトA』は『ドラゴンロード』の雪辱戦ともいうべき作品であり、今回は海賊退治という基本プロットを中心に様々なエピソードを配置。功夫アクションは更に現代的なスタイルへと変わり、スタントもダイナミックなものへと進化した。ここに至り、ジャッキーは功夫的な要素を配した新しいタイプの殺陣を完成させたのである。
 この時点でジャッキーの人気は最高潮を向かえ、特に日本では最高の喝采を受けた。出演する作品は軒並みヒットを飛ばし、彼にとっても一番充実した時期だったと思われる。そんな中、『スパルタンX』『ポリス・ストーリー』などの傑作を撮っていたジャッキーは、「続編作品は撮らない」と公言していたにも関わらず某作の続編製作に取り組んだのだが…(次項へ続く)


「バトル・クリーク・ブロー」
原題:殺手壕/殺人壕
英題:The Big Brawl/Battle Creek Brawl
製作:1980年

●羅維(ロー・ウェイ)のプロダクションからゴールデンハーベスト(以下、GH)に移籍したジャッキーは、移籍第1作として『ヤング・マスター師弟出馬』の製作に着手。新天地での初仕事だったが、ジャッキーは見事な功夫アクションで彩ってみせた。この成功に勢いづいたGHは「ジャッキーを李小龍のような国際派スターにしたい」と思い立ち、アメリカ進出を目指したのである。『燃えよドラゴン』のフレッド・ワイントロープ&ロバート・クローズと協力したGHは、本作で第2の『燃えよドラゴン』を狙ったのだ。
だが、現地スタッフとジャッキーの間には、功夫アクションに対する認識に大きな隔たりが存在していた。当時のアメリカでは功夫映画=李小龍という見解しか無く、マーシャルアーツ映画ではキックが中心の単調な立ち回りが主流であった。当時のアメリカでジャッキーと張り合える実力者といえば、せいぜいチャック・ノリスかジョー・ルイスが関の山。スタントマンもパワー重視の人が多く、ジャッキーの要求する素早いアクションを演じられる者は皆無に等しかった。
 こんな状況ではジャッキーの得意とするコメディ功夫など封殺されたも同然だ。おまけに、フレッド&ロバートは『燃えよドラゴン』成功の余韻から抜けきっておらず、本作でもチープな『燃えよドラゴン』風の物語に固執している(彼らは『Force: Five』『ジムカタ』でも同じ失敗を繰り返している)。せめてリチャード・ノートンあたりを寄越してくれたなら、少しは結果も変わっていたかもしれないが…。
今回の失敗は、李小龍の真似をさせられた『新精武門』のケースと似ているが、この頃のジャッキーは既に自身のスタイルを確立している。ハリウッドという名の壁と当時の風潮…これがジャッキーの前に大きく立ちはだかったのだ。なお、ジャッキーがこの壁を突破できたのは実に本作の15年後(『レッド・ブロンクス』)の事である。

 全米から様々な猛者が集まるというバトルクリーク格闘大会。この大会に参加していたマフィアのホセ・フェラーは、対抗馬のH・B・ハガティに負け続けていた。そこで彼らが目をつけたのは、ショバ代を払わずに組織へ歯向かっていた青年・ジャッキーであった。ホセはジャッキーの兄嫁を誘拐し、強引にバトルクリークへ出場するように強要。どうにも納得できないジャッキーであったが、否応なく従う羽目になってしまう。
前半はローラースケートなどを絡めた現代的なアクションが多く、ライトなタッチで描かれている。しかし、ジャッキーが師匠のマコ岩松と共に敵の根城へ潜入するあたりから、作品は途端に『燃えよドラゴン』化していくのだ(もちろん潜入シーンでは犬に吠えられます)。後半からはバトルクリークが開催されるのだが、出場選手はハガティ以下、デブ・マッチョ・ゴリマッチョ・大デブ・ヒゲマッチョ・マッチョ…パワータイプの木偶の坊ばっかりだ!(爆
 もちろんこんなメタボ軍団はジャッキーの敵ではない。『Force: Five』のソニー・バーンズを蹴散らし、マコを人質に取られるというアクシデントを乗り越えてハガティも一蹴!続いて劇場で友人を殺した黒幕とのバトルになるのだが、ここも『燃えよドラゴン』のクライマックスで石堅(シー・キェン)が屋敷に逃げ込んだ一連のシーンそっくりだ。
結局、ロクに動けないハガティを再度ボコボコにし、観客の喝采を浴びたジャッキーを映して物語は終幕を迎える。中途半端に『燃えよドラゴン』なストーリー、誰1人としてジャッキーの動きについていけない功夫アクション…これにはジャッキー本人もかなりガッカリしたことだろう。本作と『キャノンボール』で挫折を味わったジャッキーは、香港に帰るなり新たな映画の製作に取り掛かった。それはジャッキーにとって起死回生の一打になるはずの作品であったのだが、彼の"ある発言"が更なる波紋を呼んでしまうのだった(次項に続く)


「成龍拳」
原題:劍・花・煙雨江南
英題:To Kill with Intrigue
製作:1977年


●ジャッキーという金の卵に無限の可能性を見た羅維(ロー・ウェイ)は、彼を売り出そうと様々な試行錯誤を繰り返していた。羅維プロ時代はジャッキーにとってヒットに恵まれない不遇の時代だったかもしれないが、逆に言えば様々な役柄にチャレンジできた有意義な時間だった…と言えなくもない。
『レッド・ドラゴン』で"第2の李小龍"を生み出せなかった羅維は、当時ブームだった武侠片をやるようにとジャッキーへ指示。武侠小説の大家・古龍(クー・ロン)を脚本家として迎え、『キラードラゴン流星拳』『ヤング・ボディガード/神拳』『成龍拳』の3本を製作している。しかし、結果的にこれらの作品はヒットせず、古龍からも「ジャッキーは私の作品のキャラに合わない」と断言されている。
方向性に失敗をきたしてしまったジャッキーであったが、それでも彼はめげなかった。自分に合ったキャラクターとは何か?と模索し続けたジャッキーは、陳誌華(チェン・シーホワ)と組んだ3本の作品の中で、大スターの傅聲(フー・シェン)を髣髴とさせる陽性のキャラクターを取り入れ、呉思遠のプロダクションへ出張して撮った『蛇拳』及び『酔拳』で一躍スターの仲間入りを果たすのである。もし本作がヒットしていたら今のジャッキーは存在し得なかったかもしれず、そういう意味ではこの古龍3部作は重要な意味を持つ作品なのかもしれない。
 しかし、ヒットこそ叶わなかったものの、古龍3部作は決して悪い作品ではない。『流星拳』は唯我独尊の主人公と最弱四天王が印象的だったし、『神拳』では奇想天外なキャラクターとどんでん返しに驚かされた。どちらもバカ映画として認知するなら、そこらへんのB級功夫片以上に楽しめる要素を含んでいるのである。
そこへ来てこの『成龍拳』だが、本作は前2作とは違ってバカ映画ではない。『流星拳』と『神拳』がアドベンチャーだったのに対し、『成龍拳』の場合は武侠片おなじみのテーマである愛憎と裏切りが交錯する、シリアスなストーリーを構築している。これはジャッキーのフィルモグラフィー全体を見渡してみても稀な事例であり、ジャッキーが主演した唯一の純正武侠片でもあるのだ。

 物語は江湖の盟主・奇峯山荘総督の子息であるジャッキーが、花蜂党と名乗る盗賊の襲撃を受ける場面から始まる。一族を皆殺しにされてしまったジャッキーは、盗賊の首領である徐楓(シー・ファン)の計らいによって生き延びることが出来た。だが、恋人の玉靈龍と親友の申一龍が行方知れずとなり、放浪の果てに血雨党と名乗る賊との闘いに発展。重傷を負ったジャッキーは徐楓によって助けられ、凄惨な修行の果てに成龍拳を体得する。
そして、盟友となっていた警備隊隊長の王[王玉]を殺害し、血雨党の首領でもあった申一龍を倒すべく、ジャッキーの最後の闘いが始まった!…というのが一連の流れである。本作は後半に出てくる凄惨な修行(墨を食わされる、顔を焼かれる等々)が語り草となっており、ジャッキー作品の中でも珍品として扱われている感が強いが、決してそれだけの作品ではないのだ。

 本作で注目すべきは徐楓が見せる恋愛描写の数々である。見方を変えれば、本作は徐楓の悲恋の物語と言えなくもない。
早くに父親を亡くし、幼い頃から盗賊の長として活動していた徐楓(劇中の台詞によると20歳前後と思われる)。恐らくは、年頃の多感な時期も血と剣の中で過ごしていたのだろう。そんな中で徐楓はジャッキーと出会い、助言をしていく中で次第に心を惹かれていくのだが、ジャッキーの頭の中は玉靈龍のことばかり。どんなに自分の名を叫ぼうとも、ジャッキーは決して徐楓に振り向いてくれなかった。
病床のジャッキーを匿った後も、彼はあくまで玉靈龍の救出に固執していた。そこで徐楓はジャッキーを引き止めようと、ある手段を講じた。即ち、暴力による実力行使である。普通の女性であれば男性を引き止める方法は無数に思いついたはずだ。しかし、修羅の道を歩んできた徐楓にとって、人を繋ぎ止めてる術は暴力しか思いつかなかったのである。
 だが、それは徐楓にとっても不本意な方法であり、ジャッキーの顔を焼いた際の微妙な表情の変化がそれを物語っている。このまま力でねじ伏せていては、いずれジャッキーは死ぬまで抵抗し続ける…そう思った徐楓は、最後の挑戦に際して「この酒を飲めば死ぬわ」とジャッキーに血の酒を差し出した。このとき何度も「飲んだら死ぬ」と煽っていたのは、ジャッキーと共に在りたいと願った徐楓が「これで思い止まってくれれば」と思った末に発した言葉だったのかもしれない。
ところが、ジャッキーはその酒を躊躇なく飲み干した。もはや自分の事は完全に眼中に無いのだと確信した徐楓は、せめて申一龍に勝てるようにと成龍拳の奥義書を彼に託すのだった。「所詮は叶わぬ想いだったのか」と感傷に浸る徐楓だが、そこへ突然ジャッキーが帰って来た。それを見て一瞬ほのかな期待を抱いた徐楓であったが、ジャッキーは「今までありがとうございました」と言って去っていき、彼女はその場で泣き崩れるのだった…。
あまりに残酷な決着である。女として振舞う方法を知らず、それでも惚れた男と一緒に居たいと願うが、結局最後まで思いは届かずに終幕を迎えてしまう。あまりにも報われない。報われないが、そんな悲恋に生きる徐楓の姿が強烈な印象を残す作品である(もし本作をこれからご覧になられるという方は、まず徐楓の言動を追いながら見て欲しいです)。
 さて、作品としては成功しなかった古龍3部作であるが、最終的に功夫片の大スター・ジャッキーが誕生するに至った。羅維の元からゴールデン・ハーベストに移籍し、『ヤング・マスター師弟出馬』で更なる成功を得たジャッキーは、その勢いのまま海外進出を画策する。が、そこには香港とハリウッドとの格闘アクションに対する認識の差が待ち構えていたのだった…(次項に続く)