
「ファイヤー・パワー」
原題:FIREPOWER
製作:1993年
●この作品、ビデオのパッケージを見ると近未来ポリスアクションにしか見えないが、チャド・マックィーンとゲイリー・ダニエルズという2大格闘スターを起用した、バリバリのマーシャルアーツ映画である。近未来(と言っても、設定では2006年なので2年前の話になるのだが・笑)のロスは、警察も手出しができない無法地帯・ヘルゾーンから来る犯罪者によって危機に晒されていた。
チャドとゲイリーはロス分署の警官だったが、ある日無法者たちの間でカリスマ的存在感を誇る最強の男、ジェームス・ヘルウィッグが収監されてきた。ジェームスを奪還しようと悪党どもが押し寄せ、チャドたちの警察署はたちまち戦場と化してしまう。
ジェームスを追いかけてヘルゾーンまで来た2人は、そこでデスリングという殺人も許容される格闘ゲームと出会う。彼らは、そのデスリングでジェームスが絶対的な王者として君臨していることと、そこを仕切っている男こそがヘルゾーンの元締めだということを知った。
ジェームスらを一網打尽にしようと潜入捜査を開始した2人だが、彼らの前には次々と強敵が立ちふさがる!
本作は近未来という設定だが、特にこれといってSF的な要素はなく、ストーリー自体も近未来SFにしなくても成り立ってしまう薄い内容である。気合いの入ったカークラッシュシーンなどがあるので低予算なのかどうか判断しかねる作品だが、メインディッシュはやはりアクションシーンにある。
今回はマーシャルアーツ映画によくある"黒社会が牛耳るアンダーワールドのコロシアム"が舞台となるのだが、このコロシアムでは戦いの中盤から武器がそれぞれの選手に支給されるようになっている。その種類も様々で、棍・ヌンチャク・三節棍・カリスティック・日本刀・剣・果ては竹刀と種類も豊富。おかげで劇中繰り広げられる格闘シーンもマンネリに陥らず、一気に見ることができた。
格闘アクションは全体的な出来としてはまあまあ。最大の難点は、ラスボスとなるジェームスがただのデカいマッチョで動きが鈍い点である。この手の作品ではマッチョなキャラがラスボスとして立ちはだかることが多いが、怪力系のキャラも撮り方を間違えるとただの木偶の坊となってしまう場合があるのだ。
本作もその例に漏れず、ラストバトルのチャドVSジェームスのバトルはハッキリ言ってショボいの一言に尽きる。この直前にゲイリーがジェームスに殺されて退場してしまうため、折角のラストバトルがヒートダウンしてしまうという、本末転倒な結果を生んでしまったのは皮肉である。
ストーリーに関しても疑問符は多く、ドラマ部分の担当がチャドにばかり集中しているのでゲイリーの見せ場はアクションのみとなっている。ここは家族とのドラマ部分をそのままチャドに、敵ボスの女との話をゲイリーに担当させればスッキリしたと思うのだが…。

「リトル・キョンシー 幽霊王子」
原題:幽霊王子
英題:Spiritual Princeling
製作:1988年
▼今回もキョンシー映画の紹介だが、本作は前回の『新・キョンシーズ』同様、キョンシー映画ファンにはあまりウケが良くない作品のようだ。『新~』は色々と画期的なキョンシー像を打ち立てていたが、従来の映画に登場するキョンシーとはあまりにもかけ離れており、『新~』に関して否があるとすれば、たぶんその部分だろうと思われる。
で、本作は何が悪かったのかと思って見てみたのだが、あくまでキョンシーを主軸にしていた『新~』と打って変わって、本作はぜんぜんキョンシー映画らしくないのである。それ以外の点でも色々と問題のある作品なのだが、それに関しては後述をば。
■清朝期のある日、反朝派の自爆テロによって清の王子7人が死んでしまう(これが史実に基づいた話かどうかは不明)ところからこの物語は幕を開ける。
200年後、7人の王子が眠る墓で1人の女が刺し殺された。その女の血によって王子たちはキョンシーとして蘇るが、殺された女・呂[乃皿]瑩(けっこう綺麗な人だが詳細不明)の身の上に同情した王子たちは、彼女を死に至らしめた者たちへの復讐に協力するのだった…。
▲↑の文中には"キョンシー"と書いたが、本作の主役である王子たちは血色が良く、キョンシー独特の手を突き出してピョンピョンと飛ぶ動作もほとんどしない。それどころか普通に喋ったりするので、まったくキョンシーには見えないのだ。
彼ら以外にそれらしいキョンシーはラストにしか登場しないので、これでは本作がキョンシー映画として失格の烙印を押されても仕方がないだろう。
また、本作は演出が野暮ったいのが問題で、何度も繰り返されるスロー効果、ラストバトルでしきりに挿入される反転映像(ほんのさっき使用したシーンを反転して使っているだけ)など、とてもじゃないが効果的とは言えないものばかりだ。
ストーリーに関しても同様で、呂[乃皿]瑩が自分の死んだ成り行きを回想するくだりも、あんなに尺を取らずにもっと簡潔にできたはずだ。それに、チビっ子キョンシーたちが喜び勇んで人殺しに荷担するという構図や、SMっぽい暴力的なシーンもあり、素直に楽しむことはできなかった。
武術指導は王連斌という聞いたこともないような人が担当しており、こちらもまたダラダラとしていて迫力不足。『キョンシーズ』から張台生、『新・桃太郎』から楊如球、悪党役には太保(タイ・ポー)、厳格な道士役には谷峰(クー・フェン)といった豪華な面子を起用しているものの、それらがまったく生かされていないのは問題である。
なお、原題やスタッフについては国内はおろか、海外のデータベースサイトにさえ詳しい情報が無い。そのため実際に見てみるまでは解らなかったが、原題と英題は上記の通り。監督は『ミラクルカンフー・阿修羅』や『少林ブラザーズ』の羅熾(ロー・ツェー)ということが判明した。しかし、どうしてどこのデータベースに何も載っていないのだろうか?色々と不思議な作品である。

「新・キョンシーズ」
原題:彊屍訓練營
英題:School for Vampire/Stiff Corpse Teach Practice Camp/Vampire Training Camp
製作:1988年
▼前回に引き続き、今日もキョンシー映画のレビューです。
かつて、日本でキョンシー映画が全盛を極めた時期、後先考えずに大量の作品が輸入されて次々とビデオ化された事があったが、本作もその1つである。
この作品は今まで詳しく紹介したサイトが無く、どのような作品かと思っていたが、これがなかなか悪く無い。タイトルにあるとおり典型的な『キョンシーズ』便乗作品(作中、テンテンみたいな女の子も登場する)だが、これが結構ユニークなお話なのだ。
■龍世家(ジャック・ロン)はキョンシーを養成する学校の道士。ここで訓練されたキョンシーは一人前のキョンシーとして故郷に凱旋することが出来ると評判だった。
だが、それを妬んだ三流道士が嫌がらせを行い、キョンシー学校に厄介なキョンシーたちを押し付けてしまった。これは何者かの陰謀と察知した龍世家だが、名門である手前、彼らを放り出す訳にもいかない。そこで問題児なキョンシーたちとの奇妙な訓練生活が始まるのだった。
次第に立派なキョンシーとして成長していく問題児のキョンシーたち。三流道士はなおも嫌がらせを続け、ついには先輩道士である李嗣興(アラン・リー)を担ぎ出してくるまでに至った。三流道士とは打って変わって手強い李嗣興に苦戦する龍世家。果たして、キョンシーたちはこの難題をどうクリアするのであろうか?
▲本作はズバリ「キョンシー学校」という1アイデアで成り立っている。
登場するキョンシーたちはリーダー格の強面キョンシーを筆頭に、水にトラウマを持つキョンシー、この手の作品には付き物のベビーキョンシー、仮死状態になっただけでキョンシーと思われている盗賊の親分(後半で意外な活躍をする)、キョンシー姉妹など、とても個性的な連中ばかりだ。
この他にキョンシーになるための様々な訓練、キョンシーたちの食事など、他の子供だましな亜流作品とは一線を画す内容なのも面白い。また、武術指導は羅鋭(アレクサンダー・ルー)と李嗣興の2人で、作中のアクションもそれなりに頑張っている(功夫映画ファンとしては、劇中2度繰り広げられる龍世家VS李嗣興にも要注目か)。
この作品は製作総指揮を務めた染野行雄のプロダクションにて作られた作品である。
制作には台湾の名匠・李作楠(日本のデータベースサイトで本作の監督は彼とされているが、これは誤りである)、プロデューサーには陳少鵬が名を連ね、監督は『新南拳北腿』などで脚本を書いた張建佶が、カメラマンにはのちに『ゴーストパワーを持つ少女』を撮る莊胤建が控えている…なるほど、この布陣なら本作が個性的な出来になる訳だ。
そして、最後にこの作品の最も特異な点について少々…というのも、本作はそのほとんどのシーンが韓国ロケで撮影されているのだ(出演者も一部韓国系の人が混じっている)。山深い谷や雪が積もったお寺など、あまり香港や台湾映画などで見かけないシチュエーションで作られた事が、本作をより独自性のある作品にした…というのは考えすぎでしょうかね?

「霊幻道士5/ベビーキョンシー対空飛ぶドラキュラ!」
原題:一眉道人
英題:Vampire Vs Vampire
製作:1989年
●お久しぶりです、帰ってきました龍争こ門です。前言の通り、今月からはまた更新を再開致しますので、また今後ともよろしくお願い致します。
で、再開一発目にご紹介するのは『霊幻道士』シリーズ第5弾のこの作品です。『霊幻道士』といえば最近はもうめっきり聞かなくなってしまったキョンシーを扱った作品で、日本でも子供を中心に大きな人気を呼んだ作品でした。で、この『霊幻道士』シリーズなのですが、実際にシリーズとされているのは第1作から第3作まで。以降の作品は無関係の物を勝手に続編としてリリースしたものであることは皆さんもご存じかと思います。
この続編が(前3作と比較して)ロクでもないものだったことで、これらの作品群はあまり評判が良くないとされています。前3作以降の作品は次の通り…『霊幻道士完結篇/最後の霊戦』『霊幻道士5/ベビーキョンシー対空飛ぶドラキュラ!』『霊幻道士6/史上最強のキョンシー登場!!』『霊幻道士7/ラスト・アクション・キョンシー』『霊幻道士8/空飛ぶドラキュラ・リターンズ』等々…亜流作品も含めるとかなりの数がビデオ化されました。
で、この『5』も例によってあまり注目されていない作品ではありますが、制作はちゃんとGHだし、スタッフも前3作に登場した面子揃い。加えて林正英(ラム・チェンイン)道士の数少ない監督作の1つということで、これがそんなに悪くない作品なのです。
霊幻道士の林正英は、村の村長に「河の水源が汚染されていたので新しい水源を探してほしい」と相談を持ちかけられる。新しい水源を探し出した林正英だが、ある夜コウモリによって目印が置き換えられてしまう。そこから蘇ったドラキュラは八面六臂の大暴れ。マリアら教会の修道女や警官隊の樓南光(ビリー・ロー)も巻き込んで、霊幻道士とドラキュラとの異文化決戦が始まるのだが…?
タイトルにはベビーキョンシーとドラキュラの対決を予想させるものですが…まぁそのへんはご愛敬(笑)。今回は敵がドラキュラということもあり、キョンシーが出てくる場面は少ないものの、前3作を手がけたGHの制作だけあって特殊効果などは以前のシリーズに負けないぐらいに頑張っています。
監督・林正英の手腕に関しては可もなく不可もなしといったところで、至極スタンダードな内容に徹しています。
普通、こういう監督兼任で主演作を撮る場合は「オレ様映画」になる危険性が高いのですが、劇中での林正英は修道女たちに露出した下半身を見られてしまう(爆笑)など、どちらかというと損な役回りを引き受けています。
安易に「オレ様映画」にならないところを見ると、林正英の人柄がなんとなく感じられるような気がしないでもありませんね。

「少林寺列伝」
原題:少林寺
英題:Shaolin Temple
製作:1976年
▼本作は張徹(チャン・チェ)作品の中でも傑作と呼ぶに相応しい一大スペクタクル大作だ。
出てくる人も張徹やショウブラ作品に限らず知っている顔ばかりで、本作はおおまかな粗筋としては中国の名だたる英雄たちが少林寺へ会し、清朝と戦うシンプルなものだが、これが本当に凄い!
私としてはこの作品を見たことが本格的にショウブラにハマるキッカケともなりましたので、この作品にも結構思い入れがあったりします。
■少林寺の偉い坊さんの山茅(サン・マオ)らは悩んでいた。というのも、少林寺に入門しようと門前で座り込みをしている部外者3名の事についてだ。この3人が傅聲、威冠軍、韋弘という顔ぶれで、それぞれ役柄は方世玉、胡惠乾、洪熙官という中華英雄たちだ。少林寺は当初部外者の入門に難色を示していたが、どうにか入門の許しを得ることができた。
同じ頃、台湾から落ち延びて少林寺にたどり着いた姜大衛、狄龍、劉永、岳華、王鐘、そして王龍威たち"少林五祖"の姿があった。彼らは施思(シー・ズー)の案内によって、少林寺の門をくぐった。
この他に、傅聲らの入門を受けて一般からも入門者が続出した。だが、そう簡単に少林寺の門は開かない。結局、最後に残っていたのは李藝民、唐炎燦、郭振鋒ら3人だけであった。
こうして集まった6・3・3で12人の天使のしっぽな英雄たち(爆
傅聲は生来の奔放さで修行に遅刻するなど、同期で真面目に十形拳を習っている威冠軍とはえらい違いだ。李藝民は厨房で鍋かき、唐炎燦は経典の虫干し、郭振鋒は足に重しをつけてひたすらジャンプと、それぞれ修行の毎日を送った。
ところがある日、傅聲は姜大衛らの特訓風景を見ていて王龍威を笑ったことから喧嘩に発展。負けた悔しさから傅聲は王龍威を越えるべく、真面目に特訓を開始する。
一方、実は少林寺には清朝からの密偵が潜んでいた。何を隠そう、密偵とは山茅の事だった。
山茅は王清、鹿峰ら朝廷の者へ少林寺の情報を流していたが、寺に帰ったところを姜大衛と狄龍に見つかる。追いかけようとする二人を諭したのは、五枚という尼さんだった。彼女は、姜大衛に三節鞭、狄龍に詠春拳を指導した。
しばらくして、傅聲は修業の末に王龍威へのリベンジを果たしていた。ところがそこに山茅が登場。自分と同じ悪役俳優の王龍威に悪の囁きをかけるが…。
そのころ、傅聲と威冠軍は少林寺から下山する策を講じていた。というのも、この2人の入門の目的は「仇討ち」。2人は木人巷に挑戦するが、それを阻まんと山茅が現れる。
山茅は、この機に乗じて2人を消してしまおうとも企んでいたが、それでもどうにか二人は下山に成功し、止められなかった(というか脱出を手助けした)姜大衛らは、しばらく懲罰房送りになる。
しかし、山茅たちはこの間にも少林寺焼き討ちを画策しており、すぐそこにまで大軍勢を率いて迫っていた。仇討ち済んだ帰り道、それを知った傅聲らはさっそく少林寺にこれを伝えるが、脱走者という身分の手前、なかなか信じてもらえない。
そうこうしている内に山茅の手引きで清の軍団が突入!兵力も武器もまったく不利のこの状況で、少林英雄たちは生き残れるのか!?
▲本作はここから始まる張徹サーガの序章(製作年度は前後するが)ともなる内容で、それぞれの英雄たちは少林英雄傳系列へと繋がっていくが、それはまた別の話…。
それぞれの修行シーンも趣向を凝らし、用いる拳や武器も様々で、ラストバトルに至って、それが各々のラストバトルでアクセントを利かせている。バラエティ溢れる敵や対戦条件も含めて素晴らしくも壮絶であり、散っていく戦士たちもまた悲壮感漂うものになっていた。
ストーリー的には王龍威とは傅聲が、山茅とは狄龍や姜大衛らが闘ってほしかったが、それでも凄いと言わずにはいられない熱き名勝負が次から次へと繰り出されていく。
手技のみで見せる狄龍VS王龍威、ザコ相手にひけをとらない姜大衛の三節鞭、血みどろの李藝民VS山茅、唐炎燦VS王清のバランスバトル、李藝民&傅聲VS山茅、五毒同士の郭振鋒VS鹿峰、そして葵弘らVS傅聲&威冠軍タッグの対決!
こんな高濃度のバトルが次から次へと行われるのだ、功夫映画ファンでこれを見て燃えない人はいないはずである(断言)!
ちなみに私が見たのは天映娯樂版のDVDなのだが、特典として李鼎家(リー・ガーデン)や汪禹(ワン・ユー)によるインタビューと、この作品についての考察などがあるのだが…二人ともホント年食っちゃって(以下略