“パイオニア”の決断 | heart in heart ~今、伝えたい事~

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結構前になりますが、りょうた@名義でブログを綴っていました。
最近は専らシンプロの方に投稿していましたが、彼方の不具合もあった事もあり、再び此方へ帰って来る形と相成りました(^_^ゞ
緩く更新しますんで、マターリとお付き合いして頂けると幸いです♪(’-’*)

地方競馬のトップジョッキーからJRAへの移籍の道を切りひらき、 G1・22勝をマークした安藤勝己騎手(52)=栗東・フリー=が、引退の意志を固めたことが29日、スポーツ報知の取材でわかった。
関係者の話を総合すると、同騎手は今月15日から17日に行われた騎手免許の更新手続きを行っておらず、ライセンスの有効期間となる2月28日をもってジョッキー生活に終止符を打つ。

大ベテランが、現役を引退する決意を固めた。地方のトップ騎手から、ルールの壁を越えてJRAへ移籍したパイオニア的な存在、安藤が1976年に東海公営の笠松でデビューして以来、37年にわたる ジョッキー人生に別れを告げる。

移籍後6年連続して年間100勝をマークしていたベテランも年齢から疲労も考慮して、09年後半から騎乗数をセーブ。
しかし、昨年の夏以降は体重面の調整なども難しくなり、競馬に騎乗しない週も増加した。パドトロワに騎乗した昨年11月24日の京阪杯(15着)を最後に、手綱を執っていなかった。
その去就が 注目されていたが、関係者への取材で今月15日から17日まで行われた栗東での騎手免許更新の手続きを行っていないことが判明。騎手免許の期限は2月28日までとなっており、この日が52歳の名手の事実上の引退となる。

同騎手は76年に16歳で笠松で騎手デビュー。“怪 物”オグリキャップの鞍上として知られ、95年の報知杯4歳牝馬特別(現報知杯FR)をライデンリーダーで制した時に「中央のG1を勝ちたい」との思いにかられ、地方騎手にも開放されたJRA騎手試験を受験。
01年は不合格だったが、JRAが「過去5年間で中央競馬で年間20勝以上の成 績を2度以上挙げた騎手」の1次試験を免除する試験要項の改定を行った翌02年に合格した。

03年3月1日に中央で デビュー。30日目には、いきなり高松宮記念(ビリーヴ) でG1初制覇を達成するなど華々しい活躍を見せ、翌04年にはキングカメハメハでダービーを制覇。
“アンカツ”の名を世間に知らしめ、これまでに JRA・G1で22勝を含むJRA重賞81勝(笠松時代の10勝も含む)を挙げているが、昨年は騎乗回数はわずか153回で14勝をマークするにとどまっていた。

しかし、安藤の活躍の後を受け、小牧、岩田、内田ら多数の地方出身騎手が中央の門を叩き、今も活躍を続けている。

42歳で新たな世界に飛び込み、先駆者となったアンカツ。大きな足跡を残した名手が、静かにムチを置くことになった。

◆安藤 勝己 (あんどう・かつみ)1960年3月28日、愛知県生まれ。52歳。76年に笠松競馬でデビュー。78年に初のリーディングに輝き、東海地区のトップ騎手として君臨。
笠松所属時代に通算3299勝を挙げ、2003年にJRAへ移籍。JRA1年目か ら112勝を挙げる大活躍。04年ダービー(キングカメハメハ)、08年有馬記念(ダイ ワスカーレット)など11年まで9年連続でJRA・G1を制覇した。JRAでの通算成績 は6593戦1111勝(地方所属時代も含む)。
また、10年1月30日には史上初の地 方・中央ダブル1000勝をマークしている。身長161センチ。


という事で、アンカツさんが引退という事が濃厚になってしまいました…。


昨年の京阪杯を最後に騎乗が途絶えていましたし、その動向が注目されていたんですが、やはり“身体の限界”には勝てなかったという事なのかも知れません。


そうなると、アンカツさんの後継は誰になるのかがクローズアップされて来ますが、エージェントの関係から行くと川田将雅騎手という事になるでしょう。


事実、アドマイヤロイヤルやベストクルーズ・ペガサスヒルズ等は全て川田騎手に手綱が引き継がれていますんで、アンカツさん最後のお手馬パドトロワも彼が手綱を引き継ぐ可能性があります。


実際、川田騎手はアンカツさんを彷彿とさせる騎乗が多いですし、アンカツに近い騎乗スタイルというのも見逃せませんから。


ですが、アンカツさんの引退は仕方ない事とはいえ、やはり辛いですね…(ノ_・,)