アイアン・バタフライ(10) 燃える鉄蝶/サン・アンド・スティール (MCA, 1975) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アイアン・バタフライ - 燃える鉄蝶/サン・アンド・スティール (MCA, 1975)
Released by MCA Records MCA-465, January 1975
Produced by Denny Randell
All songs written by Erik Brann expect as noted.
(Side 1)
A1. 1975 Overture (Brann, Bushy, Kramer, Reitzes) - 4:16
A2. Hard Miseree - 3:42
A3. High On A Mountain Top (Philip Taylor Kramer) - 4:01
A4. Am I Down - 5:22
(Side 2)
B1. People Of The World - 3:23
B2. Searchin' Circles - 4:38
B3. Pearly Gates (Bushy, Jon Anderson) - 3:25
B4. Lonely Hearts - 3:14
B5. Before You Go - 5:31
[ Iron Butterfly ]
Erik Brann - guitars, lead vocals
Ron Bushy - drums, backing vocals
Philip Taylor Kramer - bass guitar, vocals, lead vocals on A3, B3
Howard Reitzes - keyboards, vocals, lead vocal with Brann on B5
Guest musician
Jon Anderson - backing vocals on "Pearly Gates"
(Original MCA “Scorching Beauty” LP Liner Cover & Side 1 Label)


アイアン・バタフライ Iron Butterfly - サン・アンド・スティール Sun and Steel (MCA, 1975) :  

Released by MCA Records MCA-2164, October 1975
Produced by John Ryan
All songs written by Erik Brann expect as noted.
(Side 1)
A1. Sun And Steel - 4:01
A2. Lightnin' (Philip Taylor Kramer, Bill DeMartines) - 3:02
A3. Beyond The Milky Way (Bill DeMartines, Ron Bushy) - 3:38
A4. Free - 2:41
A5. Scion - 5:02
(Side 2)
B1. Get It Out - 2:53
B2. I'm Right, I'm Wrong (Philip Taylor Kramer, Bill DeMartines) - 5:27
B3. Watch The World Goin' By - 2:59
B4. Scorching Beauty - 6:42
[ Iron Butterfly ]
Erik Brann - guitars, lead vocals
Ron Bushy - drums
Bill DeMartines - keyboards, vocals, lead vocal on A3
Philip Taylor Kramer - bass, vocals, lead vocals on A2, B2
Additional personnel
David Richard Campbell - orchestration on "Beyond the Milky Way" and "I'm Right, I'm Wrong"
Jerome Jumonville - horns on "Beyond the Milky Way" and "Free"
Alex Quigley - Marimba on "Free"
Julia Tillman, Maxine Willard, and June Deniece Williams - backing vocals on "Free"
(Original MCA “Sun And Steel” LP Liner Cover, Inner Sleeve & Side 1 Label)
Heavy (1968)
Allmusic. Rating: ★★★☆
In-A-Gadda-Da-Vida (1968)
Allmusic. Rating: ★★★★☆
Ball (1969)
Allmusic. Rating: ★★★
Iron Butterfly Live (1970)
Allmusic. Rating: ★★★
Metamorphosis (1970)
Allmusic. Rating: ★★★

Scorching Beauty Review by Stephen Thomas Erlewine
Allmusic. Rating: ★★
解散から5年後、アイアン・バタフライは1975年に再結成し、グループのヘヴィ・アシッド・ロックと70年代半ばのアリーナ・ロックの典型の中間に位置する、目立たないアルバム『Scorching Beauty』をリリースした。

Sun and Steel Review by Stephen Thomas Erlewine
Allmusic. Rating: ★
1975年のカムバック作『Scorching Beauty』が個性のない作品だったとすれば、アイアン・バタフライの同年の続編『Sun and Steel』は、バンドの特徴的なサウンドを‘70年代的ハードロックの典型に合わせて作り変えようとするまったくの失敗作で、『Scorching Beauty』のような好奇心をそそる価値さえも欠けていた。
 (以上アルバム評全文)

 アイアン・バタフライはアトランティック・レコーズ傘下のアトコ・レコーズ時代の5作『ヘヴィー』(全米78位)、『ガダ・ダ・ビダ』(1968年度年間1位)、『ボール』(全米3位)、『ライブ』(全米20位)、『変身』(全米16位)までが良く、ギタリストにダニー・ワイス(1948~)、ベーシストにジェリー・ペンロッド(1946~)、専任ヴォーカリストにダニー・デローチが参加した5人編成時代のデビュー・アルバム『ヘヴィー』も聴きごたえのあるアルバムですが、全盛期はダグ・イングル(ヴォーカル、オルガン, 1945~2024)、エリック・ブラン(ギター, 1950~2003)、リー・ドーマン(ベース, 1942~2012)、ロン・ビュッシー(ドラムス, 1941~2021)の4人編成時代だった時期の『ガダ・ダ・ビダ』『ボール』『ライブ』に尽きます。しかしこのラインナップは1968年4月~1969年4月までの一年間しか続かず18歳のエリック・ブランは脱退、代わりにマイク・ピネラ(1948~、のちラマタム、アリス・クーパー・バンド)とラリー・“ライノ”・ラインハルト(1948~2012、のちリー・ドーマンとともにキャプテン・ビヨンド)の凄腕ギタリスト二人を迎えた『変身』ではリーダーのダグ・イングルがあえて音楽的主導権をピネラとラインハルトに譲ったアルバムになり、これはこれで優れたアルバムになりライヴ・パフォーマンスはいっそう充実しましたが実質的に別バンドになったと言ってよく、イエスを前座に従えたヨーロッパ・ツアー後の1971年にアイアン・バタフライは解散します。

 バタフライの代表作『ガダ・ダ・ビダ』は1968年~1969年にかけて全米だけで400万枚、ドイツで100万枚、オーストリアで100万枚、イギリスで50万枚、フランスで25万枚、カナダで25万枚の総計700万枚以上を売り上げる全米年間チャートNo.1のモンスター級特大ヒット・アルバムになり、また同作から加入したリー・ドーマンもジェームス・ジェマーソンの影響の強い優れたベーシストでしたが、バタフライの解散以降ドーマンはラインハルト、ディープ・パープルの初代ヴォーカリストだったロッド・エヴァンズとともにプログレッシヴ・ハード・ロックの名バンド、キャプテン・ビヨンドを結成、またリーダーでバンドのメイン・ソングライターだったダグ・イングルはバタフライ全盛期のアルバム、ことに現在まで全世界3000万枚以上の売り上げを誇るモンスター級ロングセラー作『ガダ・ダ・ビダ』の印税によって音楽業界をリタイアし、1974年にロン・ビュッシーとエリック・ブランによって再結成されたアイアン・バタフライにも、以降のビュッシー主導のバタフライにも加わらず、今年2024年3月24日に78歳で逝去するまでカムバックしませんでした。一方唯一のバンド創設時からのドラマー、ロン・ビュッシーはアイアン・バタフライ名義でサポート・メンバーを入れながらセルフ・トリビュート・バンド的な活動を続け、ビュッシーが2021年に79歳で逝去したのちも、まったくオリジナル・メンバーのいないアイアン・バタフライは現役活動中です。

 1974年に再結成されたビュッシーとブランのアイアン・バタフライは1975年にMCAレコーズから2作のアルバムを残しました。それが今回ご紹介した『燃える鉄蝶 (Scorching Beauty)』と『サン・アンド・スティール (Sun and Steel)』で、基本的にギタリストのエリック・ブランがほぼ全曲の作詞作曲とリード・ヴォーカルを取り、アトコ・レコーズ時代(=ダグ・イングル時代)のアルバム5作とは何の音楽的共通点もない大味な‘70年代型アメリカン・ハード・ロックのアルバムです。『燃える鉄蝶』で1曲イエスのジョン・アンダーソンがロン・ビュッシーと共作、ヴォーカル・コーラスにゲスト参加しているのは『変身』リリース時のヨーロッパ・ツアーからの縁でしょう。エリック・ブランのギターは17歳~18歳で参加した『ガダ・ダ・ビダ』『ボール』『ライブ』の冴えはなく、10代でイマジネーションとオリジナリティに満ちたアイディア豊かなギタリストだったのが、20代半ばになると単に器用なだけになっているのが残念です。ドスの効いたヴォーカリストだったダグ・イングルに較べてしまうと、スコットランド民謡風のマーチ曲A1でもブランのヴォーカルの軽さが気になり、なかなかの佳曲でヴォーカルもいいぞ(A3)と思うとベーシストのフィリップ・テイラー・クレーマーの作・ヴォーカル曲だったりします。キーボードも往年のバタフライ風の‘60年代調と思うとキーボード奏者のハワード・レイツェスとの共作・フィーチャー曲だったりと、むしろエリック・ブラン以外の新メンバーの方がかつてのバタフライの作風を意識しているように思えます。本作がかろうじて全米アルバム・チャート200圏内に入ったのは、それでもバタフライの名義にまだブランド力があったからでしょう。

 再結成第1作『燃える鉄蝶』から立て続けに制作・発表された『サン・アンド・スティール』では、早くもキーボード奏者がハワード・レイツェスからビル・デ・マルティネスに代わっています。バタフライ史上初めてにして唯一アルバム・チャート200位圏外のセールス不振になったスタジオ・アルバム最終作の本作は、『燃える鉄蝶』同様ほとんどの曲がエリック・ブランの作詞作曲とリード・ヴォーカルで、オーケストラやホーン、パーカッションを導入した曲が3曲あり、さらにコーラス隊を入れた曲がその内1曲あります。ここでもベーシストのクレーマーとキーボード奏者のマルティネスの共作曲の方が落ち着いた仕上がりですが、アルバム最終曲に前作のタイトル「Scorching Beauty」を置いた通りいっそう『燃える鉄蝶』の路線を踏襲し、往年のバタフライらしさは『燃える鉄蝶』以上に薄れており、同じ‘70年代ハード・ロック路線に舵を切ったアルバムならダグ・イングルとリー・ドーマン在籍時、マイク・ピネラとライノ・ラインハルトのツイン・ギターの『変身』がいかに優れたアルバムだったかを痛感させられます。それにも増して『燃える鉄蝶』『サン・アンド・スティール』の再結成盤2作を聴くと、オリジナル・メンバー五人時のデビュー作『ヘヴィー』、イングル、ビュッシーの創設メンバー二人にドーマン、ブランの二人の入ったアトコ・レコーズ時代の全盛期のアルバム『ガダ・ダ・ビダ』『ボール』『ライブ』が、同郷の先輩バンドだったロサンゼルスのザ・ドアーズ、ニューヨークのヴァニラ・ファッジのような高いプロ意識、演奏力、独創性を欠いていても、逆にそのベタな通俗性において魅力があったのは否定できません。

 オルガン・ロックの始祖の一組にして最大のヒットを飛ばしたアイアン・バタフライは、ヴァニラ・ファッジやステッペンウルフ、ローカル・ヘヴィ・ロック・バンドのSRCらとともに、その後のアメリカ流ヘヴィ・メタル、イギリスのプログレッシヴ・ロック系ハード・ロック(またはハード・ロック的プログレッシヴ・ロック)に絶大な影響を誇るバンドになりました。シンガーソングライター転向前のビリー・ジョエルのハッスルズやアッティラ、ブルース・スプリングスティーンのスティール・ミルなどのアメリカのオルガン・ヘヴィ・ロック・バンド、イギリス勢ではイエス、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープなど、さらにアルバム1、2作で解散したインディー系バンド(ことにヴァーティゴ、ネオンらのマニアックなレーベルのバンド)まで上げれば枚挙にいとまがありません。それもバタフライについて言えばアトコ時代の『ヘヴィー』『ガダ・ダ・ビダ』『ボール』の影響によるものでした。アトランティックからのデビュー時にヴァニラ・ファッジやアイアン・バタフライのアメリカ国内ツアーの前座を勤めたレッド・ツェッペリンはメイン・アクトを圧倒したといいます。しかしツェッペリンがツェッペリンならファッジやバタフライも独自の魅力があったバンドなので、ロサンゼルス出身のバタフライのニューヨーク・デビューは1968年4月、エリック・ブランとリー・ドーマン加入直後のフィルモア・イーストでジミ・ヘンドリックス(‘67年~‘68年の年間チャートNo.1になったデビュー・アルバムの大ブレイクの最中でした)の前座でしたが、『ヘヴィ』からの曲に加え制作中の『ガダ・ダ・ビダ』からの新曲の先行演奏でニューヨークのジミ目当ての観客にも大きな反響を呼びました。それが発掘盤『Fillmore East 1968』(Rhino Handmade, 2011)ですが、その発掘ライヴこそ、キャリアの頂点に昇る最中のフレッシュなバンドの姿をとらえたバタフライの最高傑作かもしれません。

 創設リーダーのダグ・イングルを欠いた再結成作『燃える鉄蝶』『サン・アンド・スティール』の2作はアイアン・バタフライ最後のアルバムとなり、以降ロン・ビュッシーのみが率いるバタフライはライヴ・ヴィデオを数作出しただけで、スタジオ・アルバムの新作はリリースしませんでした。それでもアイアン・バタフライは、レコード売り上げ史上では、1位『スリラー』公称1億万枚(マイケル・ジャクソン、1982年。実際は7000万枚以上~1億万枚未満と、あまりのビッグ・セールスのため正確な売り上げ枚数は確定できないそうです)、2位『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』7000万枚(イーグルス、1976年。前述の『スリラー』の枚数未確定のため、こちらが1位とされることもあります)、3位『バック・イン・ブラック』5500万枚(AC/DC、1980年)、4位『狂気』5000万枚(ピンク・フロイド、1973年)、5位『噂』4000万枚(フリートウッド・マック、1977年)に次ぐ年間チャートNo.1、総売り上げ3000万枚以上の『ガダ・ダ・ビダ』(1968年)のバンドとして今後も聴かれ続けていくでしょう。オリジナル・メンバーの一人もいない、実質トリビュート・バンドの現在のバタフライが、いまだに集客力のあるバンドとして欧米のライヴ・サーキットで活動しているゆえんです。