ポール卿最新ライヴ映像、またはポール=長嶋説 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ポール・マッカートニー・ウィズ・イーグルス - レット・イット・ビー (Live, 2024)
ポール・マッカートニー Paul McCartney with Eagles - レット・イット・ビー Let It Be (Lennon-McCartney) (Live at The Hollywood Bawl, April 11, 2024) 03:34~ :  

The Beatles - Let It Be (MV, from the Documentary Movie “Let It Be”, 1970) :  

 ポール卿お痛わしや。この最新ライヴ映像は今年2024年4月11日にロサンゼルスのハリウッド・ボールで行われた「ジミー・バフェット(1946.12.25~2023.9.1)・トリビュート」にサー・ポール・マッカートニー(1942.6.18~)様がイーグルスを共演バンドに出演された際の演奏ですが、もうすぐ82歳をお迎えになるとはいえ、ビートルズ時代の27歳時にアルバム『レット・イット・ビー (Let It Be)』(Apple, 1970.3.8、録音は1969.4)のタイトル・トラックにして全英2位・全米1位を始め世界12か国で1位になった代表曲「レット・イット・ビー (Let It Be)」をピアノを弾きながらお歌いになっているものの、容姿はともかく声質と歌唱力の衰えは聴くに耐えないほどです。ビートルズ時代のポール様のチャーミングな佳曲に「When I'm Sixty-Four」という曲があり、ポール卿が64歳になられた2006年にはまだまだ十分お元気じゃないかと現役感をアピールされていましたが、さすがに60代と80代の18年もの歳月は過酷で、このトリビュート・ステージでは声もしわがれ伸びもなければ、今にも息切れしそうなご様子の歌声です。ピアノの演奏も強弱や切れがなく、われわれが知るポール様ではなくポール様のお爺様が歌っているように聴こえます。この曲が55年前の1969年4月に初レコーディングされた時の光景をとらえたドキュメンタリー映画と観較べてください。
 いくら親交のあったジミー・バフェットのトリビュート・コンサートで故人に捧げた演奏とはいえ、やり慣れた自作曲を演っているのも考えもので、ジミー・バフェットは日本では知名度がありませんが、バフェットは生涯46枚のアルバムをリリースし、全米No.1シングルを4曲、トータル2億枚以上・55億万ドルものアルバム売り上げを誇り、小説を2作・ノンフィクション著作を1作を全米No.1ベストセラーにしています。小説とノンフィクションで全米No.1ベストセラーを獲得したのはヘミングウェイ、スタインベック、アーヴィング・ウォーレス、ウィリアム・スタイロンらに続き7名の作家しかいないそうですから作家としての業績もアメリカ文学史に残ります。さらにカジノとリゾート施設経営を成功させ、米ローリング・ストーン誌によって「全米7番目に裕福なロック・ミュージシャン」と認定されています。これは筆者も今回調べて初めて知ったことで、バフェットといえばカントリー系の渋好みのシンガーソングライターと思っていたらとんでもない大セレブだったわけです。いくらポール卿とはいえ、それほどの業績を残したバフェットさんのトリビュート・コンサートにバフェットさんの曲のカヴァーではなく「レット・イット・ビー」で乗りこむとは、土足で床の間に上がるような、ポール卿だけに許される出演だったでしょう。
 そこで1997年に55歳にしてロック・ミュージシャンとしてはいち早くナイトの爵位を受勲され、サー・ポール(Sir Paul、ポール卿)となられたポール様は、ビートルズ時代からの偉大な成功体験がいまだに身に染みついているのではないか、という感慨を抱きます。ビートルズ時代のポールは浮かんでくる曲がすべて革新的名曲、という驚異的なミュージシャンで、それが二十歳からバンド解散の28歳まで続きました。ソロ転向、新バンドのウィングス結成後多少の試行錯誤はありましたが、‘70年代のウィングス時代も30代のポールの天才は衰えなく続きました。ポールのような人を日本人で探すと、ミスター・ジャイアンツこと長嶋茂雄(1936~)さんに思い当たります。ミスター長嶋は高校生時代から天才打者の名をほしいままにし、大学野球の頃にはすでに未来のスターの座を約束され、読売巨人軍の川上哲治(1920~2013)の引退と入れ替わるようにプロ野球に入団、翌年王貞治(1940~)が入団し、川上が監督に就任した以降、巨人軍の優勝独走をリードしました。訓練の鬼と言われた王選手に対し、長嶋は「バットを振れば当たる、自分が出れば勝ち」という揺らがない信念の打者であり、実際それだけの実績を叩きだしました。不敗神話と絶大な人気に支えられた長嶋は「巨人軍は永久に不滅です」とスピーチした引退後巨人軍の監督に就任しましたが、長嶋の監督就任時の巨人軍は好・不調が激しく、不調の際にはミスター長嶋は「俺が監督しているのになぜ負ける?」とまったく理解出来なかったといいます。のち巨人~ダイエー/ソフトバンクの監督を歴任した王貞治が地道な監督歴を通じて安定したキャリアを残したのと対照的でしたが、2001年に完全に球界から引退したミスター長嶋は「野球とは人生そのものです」の名言を残し球界の伝説として往年のプロ野球ファンを涙させました。一方ポール卿はといえば、つい最近のファンからのインターネット・インタビューでも「ソングライター・ブロック(曲ができない)の時はどうしますか?」との問いに、「幸いなことに10代で曲を書き始めてこの方、作曲に行き詰まったことはないんだ。曲の方から自然に湧いてくるのさ」とお答えになっています。いまだにポール様は、現役選手時代のミスター長嶋以上に重症な、不敗神話を生きていらっしゃるのです。

 ロカビリー時代のR&Bシンガー、ロックンローラーも鬼籍に入り、ポール様を置いてロック系ポピュラー音楽界の頂点に立つ方は他にいらっしゃらないのですが、おそらく遅咲きのバフェットさんとはポール卿もバフェットさん経営のリゾート施設に招待されたといった程度の親交だったのではないかと思われます。また十八番の「レット・イット・ビー」ではなくバフェットさんの曲のカヴァーを演れば、「カヴァーだからこんなものだろう」とオーディエンスも撮影映像で観るリスナーも納得し、過去の自分と比べられるようなこともなかったでしょう。いや、会場で観たオーディエンスとしては、イーグルスをバック・バンドに従えた天下のポール卿が歌う生歌の「レット・イット・ビー」を聴けて、感極まったかもしれません。ポール様の来日公演は2018年(76歳)が今のところ最新ですが、70代後半から80代前半(この6月18日でポール卿も82歳です)となると5年どころか1、2年の差でも体力・気力、すなわちパフォーマンス能力の衰えは厳しいでしょうし、このライヴ映像など観てしまうと1曲歌っては同じくらいトークをはさむ、1時間強で10~12曲のディナー・ショー形式のトーク・ショーに切り替えた方がいいのではないかと思えます。ポール卿より3歳年下のミッキー・ドレンツ(元モンキーズ)は今でも2時間を越えるソロ・コンサートを精力的にこなしていますし、ポールより1歳だけ年少のミック・ジャガー&キース・リチャーズ率いるローリング・ストーンズは言うまでもありませんが、今さら悠々自適のポール卿が張り合うまでもないことですから、ご無理は避けていただきたく存じます。