『巨人軍物語』(日本映画新社, 昭和33年/1958年) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


『巨人軍物語』(日本映画新社, 昭和33年) 

製作会社 日映新社
配給 東宝
上映時間 78分
公開 1958/12/28(併映 東宝『隠し砦の三悪人』)
カラー モノクロ/シネスコ
アスペクト比 シネマ・スコープ(1 : 2.35)
上映フォーマット 35mm
構成演出 岡田弘 大峰晴 
監修 鈴木惣太郎 宇野庄治 野口務 
製作 堀場伸世 
撮影 橋本正 平木靖 飯野博三郎 
音楽 平井哲三郎 
録音 国島正男
◎解説 日本プロ野球界の名門「東京読売巨人軍」の創立二十五周年を記念して、その生い立ちから、川上選手の引退に至るまでの歩みを逐一捉えた記録映画。構成演出・岡田弘、大峰晴。撮影・橋本正、平木靖、飯野博三郎。音楽・平井哲三郎。歴史篇の部分は、正力・鈴木・市岡等のプロ野球発生期の原動力となった人たちに登場してもらい、当時の秘蔵写真を紹介しながら話を進めて行く形式をとり、現代篇はワイド画面で、巨人軍全選手が登場する。
◎あらすじ ◇球団の発足と球団名の由来--昭和六年、第一回来日のアメリカ・チームを迎えうった全日本軍は殆ど六大学選手で構成されていたが、その後、入場料をとる野球への学生出場の禁止令が出されたため、正力読売新聞社社長はプロ野球チームの必要を痛感、市岡忠男、鈴木惣太郎両氏の協力を得て昭和九年六月、“東京読売巨人軍”の母体“大日本東京野球倶楽部”を結成した。翌十年、東京倶楽部は第一回アメリカ遠征を行い、これを機としてアメリカの大チーム、ジャイアンツに因んでニックネームをトーキョー・ジャイアンツと呼ぶことに決めたのである。◇背番号十四の偉業--市岡総監督の名で全選手が招集された昭和十年一月十四日、その中に京都商業から馳せ参じた弱冠十七歳の天才投手、沢村栄治がいた。三宅大輔監督のコーチで懸河のドロップをマスター、その後の渡米で目覚しい成績をあげた。が沢村は、昭和二十年応召して戦死、彼の背番号十四は、その後欠番として残されることになった。◇一億総蹶起時代の出来事--太平洋戦争突入前後の昭和十六年春のリーグ戦からプロ球団名は片カナを日本字に変えられ、ジャイアンツは巨人と名を改めた。またポジションの呼び方、野球用語も敵性外国語として、例えばキャッチャーは捕手に、ストライクは、よし一本、というように変えられたのである。◇川上の引退--巨人と西鉄が三年つづけて対決した三十三年度のプロ野球日本選手権シリーズは三たび巨人の敗北となった。そして、この日、平打均率三割を誇りジャイアンツに輝かしい貢献をした川上哲治一塁手が遂に引退を声明した。
(以上キネマ旬報データ・サイト「KINENOTE」より)

 なんとこのドキュメンタリー映画は、DVD発売もされています(販売元‎ ケーシーワークス・発売日‎ 2006/10/25)。ただしDVD版は44分で、YouTubeに上がっているのも44分13秒ですから、DVD版、もしくはDVD版との同一プリントからアップされたものでしょう。キネマ旬報のデータによると、昭和33年12月28日に東宝映画の正月映画として映画黒澤明監督作品『隠し砦の三悪人』と併映公開された時はシネマスコープ(1 : 2.35)、78分、モノクロ/カラーだったようですが、YouTubeで観られるこのDVD版はスタンダードサイズ(2 : 3)、モノクロですから、おそらく民間への貸し出し上映用に短縮再編集され、モノクロに焼かれてアスペクト比をトリミング変換された16mmプリントが現行の普及版になっているものと思われます。さて内容はと言えば、筆者は人生から野球を引いても何も変わらないようなぼんくらなのでマニアの方のご感想に譲ります。おそらくオリジナルのモノクロ/カラー混在、78分のシネマスコープ35mmプリントは散佚していると思われますが、馬場正平こと後のジャイアント馬場さんが投手陣(昭和30年入団)、長嶋茂雄さんが入団一年目の期待のルーキーで、さらに早稲田実業高校野球部の王貞治さんが在学中すでにスカウトされていた(翌昭和34年入団)されていた頃の、プロ野球選手が国民的大スターになった時代の幕開けになった65年あまり前のドキュメントです。
 メインの併映作品、黒澤明の『隠し砦の三悪人』は黒澤明監督作品としては軽妙な、エンターテインメントに振り切った好ましい痛快活劇時代劇ですが(映画監督や批評家には同作を黒澤明の最高傑作とする人もいます)、東宝の切り札・黒澤明の新作とドキュメンタリー映画『巨人軍物語』が正月映画の併映作品という組み合わせも今ではまず考えられないことでしょう。そしてテレビがあまりに高価で普及しておらず(テレビの普及は昭和30年代末までかかりました)、プロ野球中継はラジオ、情報はスポーツ新聞だった当時、プロ野球ファン、野球少年には併映作品『巨人軍物語』の方をお目当てに映画館に足を運んだ観客も多かったのではないでしょうか。