村八分 - 川崎CLUB CITTA'1992年11月6日 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

村八分 - 川崎CLUB CITTA'1992年11月6日


村八分 - 川崎CLUB CITTA'1992年11月6日




 村八分については先に掲載した二つの記事以上のことはほとんど書くことがありません。今回ご紹介するライヴ映像は先にご紹介した「ライヴ・アット・磔磔1992年12月20日」と同一メンバー時のキーボード奏者の方が、プライヴェート・ヴィデオとしてヴォーカルのチャー坊こと柴田和志(1950~1994)の遺族が撮影・保存していた映像を譲り受けてYouTubeにアップされたもので、けっこう和気あいあいとしたツアー風景のドキュメンタリー映像から始まります。バックに流れているのは代表曲の一つ「どこへ行く」(「♪どーこへ行くやら機関車~」)のライヴ・ヴァージョンらしき音源です。京都を拠点としていた村八分は、チャー坊と並ぶオリジナル村八分の中心メンバーのギタリスト、山口冨士夫(1949~2013)不参加でオリジナル・メンバーはチャー坊だけの再結成活動だったため、京都の老舗ライヴハウス「磔磔」では遠慮容赦ない観客のヤジや主張の強い観客のブーイングに悩まされたそうですが、関東遠征では観客のマナーも良く、快適に演奏できたようです。実際この1992年11月6日の川崎CLUB CITTA'でのライヴを聴くと、往年の曲は歌詞やアレンジを改変され、また再結成後にアルバムを残さなかったため新曲もなじみのないものばかりですが、1992年12月20日の磔磔ライヴよりずっと調子の良い演奏が聴けます。


 山口冨士夫不参加のため1990年~1994年(同年4月のチャー坊の急逝によって活動休止)の再結成村八分はほぼまったくと言っていいほどジャーナリズムの話題にならなかったのですが、この1992年末の川崎クラブチッタ、また磔磔のライヴ映像を観ると十分に2枚組ライヴ・アルバムを出せるレパートリーが練れていて、‘90年代の再結成村八分がアルバム発売を実現させていたらジャーナリズムの注目も評価もずいぶん違っただろうと思えます。かく言う筆者も1973年のオリジナル・村八分唯一のアルバム『村八分ライブ』を1984年のアナログ再発盤で聴いて愛聴しながら、オリジナル・メンバーはチャー坊一人の再結成村八分は「山口冨士夫抜きなのに、まだやってるのか」とライヴを観に行く気がしなかったので、後悔先に立たずです。チャー坊はまだ40代に差しかかったばかりでしたが、20年近いブランクを置いた見苦しい復帰のようにも感じていました。今となってはこちらこそ傲慢と偏見を恥じ入るしかありません。