高柳昌行 - ラ・グリマ (涙)~完全版 (Doubt, 2007) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

高柳昌行ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アート - ラ・グリマ (涙) ~ 完全版 (Doubt, 2007)
高柳昌行ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アート Masayuki Takayanagi New Directions For the Art - ラ・グリマ (涙) ~ 完全版 Complete "La Grima" ("Tears") (Doubt, 2007) - 41:46 :  

Recorded at Genya-sai (幻野祭) of Sanri-zuka (三里塚), August 14, 1971
First appearance in 6:19 min. edit version on『幻野 - 幻の野は現出したか '71日本幻野祭 三里塚で祭れ』創世記レコード/URC GNS-1001~2 (1971.12)
Complete Version released by Doubtmusc Doubt DMH113, March 11, 2007
(Tracklist)
1. La Grima - 41:46
[ 高柳昌行ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アート ]
高柳昌行 - guitar
森 剣治 - saxophone
山崎 弘 - percussion
(Original Doubt "Complete "La Grima" CD Liner Covei & CD Label)


 本作もゴリゴリのジャズ・ミュージシャンによる強烈なフリー・ジャズのライヴ・アルバムですが、ライヴ収録時にまったく理解されなかったものの、現在ではむしろロックのリスナーにアピールするアルバムです。ビ・バップ以降の日本のジャズ・ギター界の第一人者、高柳昌行(ギター、1932-1991)はビ・バップの研究からレニー・トリスターノ(ピアノ、1919-1978)の実験的ビ・バップ~クール・ジャズに傾倒、第一人者にしてジャズ界最大の実験派ミュージシャンになり、通常のジャズ・コンボ編成から大きく逸脱した編成の「ニュー・ディレクション・ユニット」活動を経て、アルバート・アイラー(テナーサックス、1937-1970)のコンセプトの研究を経て制作した1982年のソロ・ギター・アルバム『ロンリー・ウーマン』から最晩年までは主に、さまざまなエフェクターを駆使したソロ・ギターの可能性を追求しました。音楽的にはビ・バップ、クール・ジャズ(レニー・トリスターノ派)、ボサ・ノヴァからクラシック、フリー・ジャズ、完全なインプロヴィゼーション音楽まで手がけています。しかもどのスタイルでも本格的で、とりわけトリスターノ・コンセプトのクール・ジャズでは世界有数のプレイヤーでした。

 高柳は知らない音楽はない、という課題を自分に課しており、NHK-FMで放送されるクラシックのコンサート中継はバロック音楽からレコード未発売の現代音楽まで1日たりとも録音を怠らなかった(聴いていたかは不明)と発言しています。強固な音楽的姿勢のあまり共演ミュージシャンやライヴ主催者、会場側と対立することも多く、ギターの私塾の門下生に渡辺香津美、廣木光一、安藤正容、山本恭司、飯島晃、今井和雄、大友良英の各氏を輩出する一方、人間関係悪化も辞さないエゴの強さで知られました。ジム・オルークは高柳没後のファンとして知られていますが、生前に知遇を得ていたとしたらどうだったものでしょうか。
 
 このライヴは成田空港建設反対闘争のための集会「71日本幻野祭」で、1971年8月14日(土)~16日(月)の初日14日に行われた野外音楽フェスティヴァルからのもので、トップの高柳昌行ニュー・ディレクションから順にブルース・クリエイション、布谷文夫DEW、落合俊トリオ、阿部薫(テープ紛失により未収録)、頭脳警察、ロスト・アラーフ(灰野敬二)が出演し、1971年12月発売の2枚組LPアルバムに収められました。もっともニュー・ディレクションの演奏は冒頭6分だけで観客の怒号にカットアウトされる、という編集がされたものでした。

 長年この時の演奏は伝説化していましたが、高柳昌行自身が保管していた完全版のテープが没後に発見され、故人晩年の門下生によりインディー・レーベルのダウトミュージックから発売されたのは2007年のことで、冒頭の「1時間くらいの演奏」との高柳のMCは実際は45分ほどで終わったのが明らかになりました。しかし45分も1時間も関係なく、この演奏は脅威的なまでに鮮やかなものです。高柳は当然セシル・テイラー(ピアノ、1929-2018)のベースレス・トリオを意識していたと思われ、すでに日本のジャズマンでも山下洋輔(ピアノ、1942-)はテイラーと同じ(アルトとテナーサックスの違いはあるが)サックス、ピアノ、ドラムスのベースレス編成でデビューしていました。
 
 しかしエレクトリック・ギターとテナーサックス、ドラムスのトリオでは質感がまったく違います。1曲45分間もの間レッド・ゾーンに振り切れた完全即興演奏などフリー・ジャズでもめったにあることではなく、思いついても実行するにはリスクが高すぎるアイディアです。この野外フェスティヴァル自体はロックとジャズの両方の精鋭たちが出演し、オムニバス・アルバムで聴くと頭脳警察の演奏では観客は最高の盛り上がりを見せていますが、高柳昌行ニュー・ディレクションには演奏前の短いMCからもう野次がとんでおり、最初から観客には歓迎されていないステージだったのがうかがえます。ロックを出せ、ジャズ帰れという雰囲気だったのでしょう。1971年夏は中津川フォーク・ジャンボリー(フォークとロックの両ステージがありました)、箱根アフロディーテ(日本からはフライド・エッグら、海外からはピンク・フロイドが出演しました)が行われており、期待されていたのはロック・バンドのステージでした。ではニュー・ディレクションの演奏はロックの観客にアピールしない、つまらない保守的なジャズだったか、というと、今こそ高柳昌行の尖鋭性がわかります。高柳はこの時すでにジミ・ヘンドリックスを研究しつくしていたと証言が残されていますが、この「ラ・グリマ」はガレージもサイケもパンクもノイズもメタルもローファイもグランジもインダストリアルもシューゲイザーもぶっ飛ばす、究極のギター・アルバムです。

 ここで聴ける高柳のバンドの演奏が、ジャズのみではなく徹底的に攻撃的でロックなフリー・ジャズと理解されるには'90年代のロック観までかかりました。もしこの完全版がLPのAB面で1曲のアルバムとして当時発売されていたら、もっと早くから世界レヴェルの再評価がされていたでしょう。オムニバス・アルバムに冒頭6分の短縮版を収めて済む演奏ではありません。ジャズとしてもロックとしても空前絶後かもしれない名演がノーカットのCDでアルバム化されるまで35年あまりかかったのです。高柳昌行のアルバムは参加作を入れて100枚近くありますが、これは生前に出るべきアルバムでした。ですが故人は常に制作中のアルバム、次のアルバムが頭にあったのでしょう。アーティストにはそういうもったいないところがあるので、本作も高柳昌行の没後に炸裂した時限爆弾のひとつです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)