ジェスロ・タル - 1969年ロイヤル・アルバート・ホール (TV Broadcast) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ジェスロ・タル - 1969年ロイヤル・アルバート・ホール (WDR TV Broadcast, “Rockpalast“, 1969)
Jethro Tull - Live at The Royal Albert Hall 1969 (WDR TV Broadcast, “Rockpalast“, 1969) :  

1. Nothing Is Easy 01:08~
2. Bourée 06:49~
3. Sweet Dream 19:33~
4. For A Thousand Mothers 22:51~
Total Time: 28:48
[ Jethro Tull ]
Ian Anderson - flute and lead vocals
Martin Barre - guitar, flute
Glenn Cornick - bass
Clive Bunker - drums
 2013年~2016年の足かけ4年ほど活動を休止していましたが、1968年3月シングル・デビューのジェスロ・タルはデビュー後56年になる現在でも活動中のバンドで、ヨーロッパ各国の後進バンドに与えた影響、またアルバム数やセールス面でも、日本でいわゆる「プログレ五大バンド」(ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、エマーソン・レイク&パーマー)よりも、ひょっとしたら大きな功績を残したバンドです。何しろ1989年、グラミー賞にベスト・ヘヴィー・メタル部門が新設された時、第1回に選ばれたのはメタリカでもガンズ&ローゼズでもニルヴァーナでもなく、ジェスロ・タルだったというくらい尊敬を集めている長寿バンド(もっともこの受賞は大きな物議をかもし出しましたが)です。ジェスロ・タルについてはあまりにバンドの歴史が長く、リーダーのイアン・アンダーソン(ヴォーカル、フルート、大英帝国勲章受勲, 1947~)以外のメンバーの入れ替わりが激しいので、今後アルバムのご紹介をする時か、日本語版ウィキペディア(英語版はさらに詳細)に譲ります。
 今回ご紹介するライヴ映像は、ドイツ国営放送局(WDR)が1969年のロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートからドキュメンタリーを交えて抜粋収録したもので、タルが注目を集めたのは1968年8月のサンベリー・ジャズ&ブルース・フェスティヴァル、ファースト・アルバム『日曜日の印象 (This Was)』が同年10月発表(全英10位/全米62位)、ライヴ・パフォーマンスが大評判を呼び、1969年8月のセカンド・アルバム『スタンダップ (Stand Up)』は全英No.1、全米20位と一躍人気バンドの座に着きました。『日曜日の印象』はアンダーソン以外のメンバーはミック・エイブラハム(ギター)、グレン・コーニック(ベース)、クライヴ・バンカー(ドラムス)でしたがギターのエイブラハムはアルバム発表の翌月に自分のバンド、ブロドウィン・ピッグを結成して独立し、1か月だけジ・アース(ブラック・サバスの前身バンド)のトニー・アイオミが参加、1968年末のオーディションで正式な二代目ギタリストに2011年まで不動のメンバーになるマーティン・バーレが加入します。この後1973年のアルバム第7作『パッション・プレイ (A Passion Play)』までタルのアルバムは全英・全米チャートでトップ5入りの常連になり、特に1972年の第6作『ジェラルドの汚れなき世界 (Thick As A Brick)』は全英5位・全米No.1、『パッション・プレイ』は全英13位・全米No.1と2作連続全米No.1アルバムとなりました。面白いのはサード・アルバム『ベネフィット (Benefit)』以降看板ベーシストのコーニック、看板ドラマーのバンカーも脱退し、タル結成以前にアンダーソンが組んでいたバンドからキーボード奏者、ベーシスト、ドラマーが起用されたことで、人気バンドとして基盤を築いてからセミプロ時代の仲間を専業ミュージシャンとして呼び戻したことでバンドは一貫して団結力を維持し、アルバムAB面で1曲の大作『ジェラルドの汚れなき世界』『パッション・プレイ』に上りつめたというのがセールス絶頂期のジェスロ・タルでした。‘70年代に全米No.1アルバムを出したのは「五大バンド」ではピンク・フロイドしかいないので、タルの人気は推してしるべしです。
 タルのアルバムのチャート順位とセールスは1974年の第8作『ウォー・チャイルド (War Child)』(それでも全米2位・全英14位)以降勢いが落ち、全米チャートでトップ10以内に入ったのも1977年の第11作『神秘の森〜ピブロック組曲 (Songs from the Wood)』(全米8位・全英13位)まででしたが、それでも出すアルバムがチャート・トップ20位~30位以内に入り続けたのは、ライヴ・バンドとしてのタルの人気がリスナーに定着していたからでした。ファースト・アルバムでローランド・カークの「カッコー・セレナーデ」をカヴァーしステージ定番曲としたために生前のカークはジェスロ・タルを憎悪していたそうですが、セカンド・アルバムではバッハの曲をアレンジした「ブーレ」をレパートリーに入れ、これもタルの人気曲になっています。今回ご紹介したロイヤル・アルバート・ホール公演での「ブーレ」はギタリストのバーレとのフルート二重奏で始める、というレアなアレンジになっており、ドキュメンタリー部分(私服警官に移動車を止められ、マリファナを押収されその場で燃やされる)とともにこのWDR映像ならではの見所となっており、またヴォーカリスト&フルート奏者としてのアンダーソンのダイナミックなパフォーマンス、バーレ、コーニック、バンカーの一体感ある見事な演奏(特にベーシストのコーニックとドラマーのバンカーのコンビネーションは神経接続でもされているようで、まだ新加入だったバーレのギターはコーニックの主張の強いベースに押され気味です)で、よくぞ残してくれたとも、フル・コンサート映像はテレビ放映の時間的制約上無理でも、せめてこの倍、1時間相当くらいは(ドキュメンタリー部分はいいから)収録してほしかったと欲が出ます。ところでイアン・アンダーソンは10歳サバをよんでデビューした(実はすでに30歳、1938年生まれだった)というアンダーソンさん自身のインタビューを読んだ記憶がありますが、現行の文献では1947年生まれという「サバをよんだ」生年に戻されています。いったいどっちが正しいのでしょうか?