新潮社版『アンドレ・ジイド全集』 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

André Gide, 1869-1952
 昭和25年(1950年)~昭和27年(1952年)刊行の新潮社版『アンドレ・ジイド全集』が、日本語訳アンドレ・ジッド(1869.11.22~1951.2.19、享年82歳)の、もっとも包括的な全集です。ジッド晩年に刊行開始され、配本中にジッドが没したために、翻案戯曲や書簡集や公刊日記以外の生前刊行の著作は公刊された未完成作品までほぼ完全に網羅収録され(生前刊行の『ジイドの日記』は全集とは別に全5巻で翻訳刊行されています)、最後の小説「テーゼ(テセウス)」(原著1946年)と最後の(翻案以外の)戯曲『ロベール』(原著1946年)、最晩年の文学論集『行動の文学』(原著1950年刊)までを収録しています。また敗戦後5年目でGHQ占領下の用紙不足の時代にもかかわらず抜群の上質紙を使用しているのには、この全集刊行に総力をかけた版元の本気が伝わってきます。ジッドの日本語訳全集には戦前に金星堂『ジイド全集』全18巻・昭和9年(1934年)~昭和10年(1935年)と建設社『アンドレ・ジイド全集』全12巻・昭和9年(1934年)~昭和12年(1937年)があり、新潮社版全集以降は角川書店版『ジイド全集』(実質的選集、全10巻・昭和32年/1957年~昭和34年/1959年)、平成11年(1999年)には角川書店版『ジイド全集』から40年ぶりの若林真(1929~2000)氏単独訳『アンドレ・ジッド代表作選』(全5巻)が5度目のジッド全集(選集)として刊行されています。さらに15年のちの平成26年(2014年)から二宮正之(1938~)氏の単独訳で筑摩書房版『アンドレ・ジッド集成』(全5巻)が刊行されていますが、現在第4巻までで完結しておらず、角川書店版『ジイド全集』、若林真氏単独訳『アンドレ・ジッド代表作選』、二宮正之氏単独訳『アンドレ・ジッド集成』はいずれも代表作選集なので、翻訳が古い(既訳作品は金星堂版全集・建設社版全集訳の流用が多い。もっともそれは巧みに代表作を拾った全10巻の角川書店版『全集』でも同じです)・多少の遺漏もある(原著1949年刊のエッセイ集『秋の随想』は収録が間に合わず、のち新潮文庫で初訳)とは言え、ジッド生前刊行の著作をほぼ網羅した新潮社版『ジイド全集』は今なお価値を失いません。
 ジッド(「ジイド」という表記から「ジッド」に移ったのは昭和30年代末以降です)の才能の本質は鋭敏な批評家でありジャーナリストで、その最大の著作は青年時代から晩年まで書かれた『日記』であり、19世紀末から20世紀半ばまで60年間のフランス文壇の名伯楽だったことがジッド最大の業績でした。ジッドの小説はいずれも面白いものですが、小説として自律性を備えたものというよりフランス文壇の潮流に実作でみずから羅針盤となり、舵取りとなるために書かれた印象が否めません。ジッドのエッセイや紀行文、回想、文学論、自伝的著作は小説作品よりのびのびと文壇人・ジッドの関心を披露していて、自伝的長篇『一粒の麦もし死なずば』に描かれたオスカー・ワイルドとの交友録は三島由紀夫を始めとするワイルド賛美者のオスカー・ワイルド像を定着させることになりました。また精神医学によって同性愛が認知されるようになった1910年代にいち早く同性愛者であることを表明したのもジッドで、ジッドはプラトニックな愛情を異性に感じることはできても女性に性的欲求は持てず、26歳で結婚した夫人を敬愛しながらも生涯性的関係は結べず(これはジッド夫人が、幼少期から愛していた従姉妹だったからかもしれません)、性愛感情は同性にしか抱けない人でした(ただし女性にインポテンツというわけではなく、愛人の女性との間に一人娘をもうけています)。ジッドは創作家というよりも時代に同伴する僥倖を得た文人としてエッセイ、紀行文、回想、文学論、自伝的著作をまるごと含めてこそ存在感を確かめられる作家で、創作家として書かれた小説はいわば上澄みにしかすぎません。ジッドの同時代人で文学者として大成した(そしてノーベル文学賞受賞仲間の)ロマン・ロラン、正真正銘の大作家トーマス・マン、マルタン・デュ=ガール、ヘルマン・ヘッセなどは純粋にその創作小説だけで真価を測れる作家たちですが(ヘッセは小説家としての力量の乏しさではジッドに似た資質の文人とも言えますが)、ジッドは片々たるエッセイ類まで読まないとその巨大な文業が伝わりにくい文人=作家で、全集をまるごと読まないと真価のつかめない作家という喰えない存在です。ただしジッドのエッセイ、回想、文学論は19世紀末~1950年まで60年におよぶヨーロッパ文学の問題意識(文芸思潮にとどまらず、植民地問題、資本主義と共産主義、同性愛・異性愛の社会的根源までも!)射ぬいており、その思考の広範さと的確さを知るには全集で読むに敷くはありません。
 ジッドが中心となって1908年に創刊された文芸誌『新フランス評論』(La Nouvelle Revue Française, n.r.f)はジッドの新作長篇小説『狭き門』(同作は生涯肉体関係を持たなかった夫人、マドレーヌとの結婚をフィクション化したものでした)の連載を皮切りに世に迎えられ、1910年に青年資産家のガストン・ガリマールをパトロンに迎え、NRF出版社を設立するとともに、多くの新人文学者を輩出し、また19世紀文学の再評価を行い、フランス文壇の中心的役割を果たしました。同誌の成功でガリマールは1909年にガリマール出版社を興し、NRF誌に依る文学者の著作や古典文学叢書「プレイヤード叢書」を刊行するとともに、NRF社はガリマール社に併合され、文芸誌「NRF」は115年後の今でも刊行されています。ジッドもNRF誌とNRF出版社を支えるため多くの著作を同誌に発表し、シュルレアリスム派の文学者から戦後文学者まで広く執筆者に門戸を開いたので、20世紀~現在までのフランス文壇はジッド創刊の同誌の歩みと言えるものになっています。ジッドの生前だけでも、プルーストからアンドレ・ブルトン、レイモン・クノー、ドリュ=ラ・ロシェル(兼編集長)、アントナン・アルトー、モーリス・ブランショ(兼文芸時評主任)まで同誌によって文壇的地位を獲得したとは畏れいります。いわば日本で『文藝春秋』創刊者の菊池寛が果たした役割を先取りしていたようなものです。ジッドの著作が小説中心ではなく批評、詩、エッセイ、戯曲、紀行文など多岐に渡り、小説家としての業績より総合的な「文人」としての活動に広がったのも、NRF誌のご意見番、文壇の名伯楽としてあらゆる文学ジャンルの指導的役割を果たさなければならなかったからですが、ジッド自身がそうした資質を備えた文人だった(刊行直後いち早くジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』論まで発表しています)と思った方が自然でしょう。ジッドの著作でもっともポピュラーなのは小説ですが、ジッド自身は小説の創作だけでは満足できない文学者でした。NRF誌の創刊もジッドのジャーナリストとしての欲求に依るものだったでしょうが、常に最新の文学動向に積極的に関心を持ち、新進文学者たちを応援しながら小説創作だけでは満足しきれない面を批評、エッセイ、紀行文(社会批評)で表明する場がジッドには必要だったと思われます。
 ジッドが初めて当事者の立場から主張した同性愛擁護のエッセイ『C.R.D.N.』は1911年には12部限定(!)の自費出版として匿名刊行され、同エッセイを改題した『コリドン (Corydon)』は1920年にやはり自費出版、それをNRF出版社から実名で公刊したのは1924年でした。同じくジッド自身の同性愛遍歴を実名で告白した自伝的長篇『一粒の麦もし死なずば (Si le grain ne meurt)』は数次の限定自費出版を経て1926年にNRF出版社から公刊されています。『コリドン』と『一粒の麦もし死なずば』はジッドが用意周到に当初の匿名自費出版から小出しにして実名で刊行したものですが、それ以前に1916年から当時47歳のジッドは32歳年少のマルク・アレグレ(脚本家・映画監督、やはり映画監督のイヴ・アレグレの兄、1900~1973)と公然とした交際に入り、その関係はジッドの逝去までほぼ30年間続きます。ジッドが著作でアレグレの存在を匂わせのは1927年の長篇植民地ルポ『コンゴ紀行』ですが(アレグレが同行した旅行記の同書は「私たちは」「私たち二人は」と、常に複数型で書かれています)、すでにフランス文壇内では公然の秘密になっていたアレグレ10代の頃からの関係をさも当然に見せかけるように、先んじて『コリドン』『一粒の麦もし死なずば』を徐々に自費出版~公刊していったとしたら、かつてオスカー・ワイルドのスキャンダルを目の当たりにしたジッドの慎重な策士ぶりには舌を巻かずにはいられません。「作家の仕事とは全集を書くことだ」と宣言したのは百科全書的な文学者だったゲーテですが、ジッドも21歳の処女作『アンドレ・ワルテルの手記 (Les Cahiers d'André Walter)』(架空の詩人アンドレ・ワルテルの遺稿集~アンドレはジッドの本名、ワルテルはゲーテの『若きウェルテルの悩み』より、匿名出版、1891年)から、82歳の生涯を全集から逆算するようにして著作を重ねてきたような印象を抱かせます。また、20世紀前半のフランス文学を代表する文学者をジッドとプルーストとした場合、ともに同性愛者だったのは何かを暗示しているようです。小説家としては大成しなかった作家、ジッドについてはまだまだ語り尽くせないので、今回も中途半端ながらここまででひと区切りをつけることにします。