モップス - モップスと16人の仲間 (リバティ, 1972) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

モップス - モップスと16人の仲間 (リバティ, 1972)モップス - モップスと16人の仲間 (リバティ, 1972)
発売・リバティ(東芝音楽工業), LTD-9059, 1972年7月5日
(A面)
A1. たどりついたらいつも雨ふり (吉田拓郎作詞・作曲) : YouTube - 3:30

A2. 大江戸冒険譚 (つのだひろ作詞・加藤和彦作曲) - 2:38
A3. いつか (猪野佳久作詞・岩沢幸矢作曲) - 2:49
A4. マイ・ホーム (忌野清志郎作詞・肝沢幅一作曲) - 2:43
A5 母さんまっ青 (スズキミキハル作詞・星勝作曲) - 4:31
A6. くるまとんぼ・アンドロメダ (及川恒平作詞・小室等作曲) : YouTube - 3:42

(B面)
B1. あるがままに (左真樹作詞・杉田二郎作曲) - 3:12
B2. ねえ、ちょいとそこゆくお嬢さん (遠藤賢司作詞・作曲) - 3:23
B3. 当世少女気質 (泉谷しげる作詞・作曲) - 3:20
B4. 窓をあけろ (井上陽水作詞・作曲) - 3:26
B5. もう、いやだよ (スズキミキハル作詞・星勝作曲) - 4:06
B6. 輪廻 (伊藤アキラ作詞・かまやつひろし作曲) - 3:01
(2014年CDボーナス・トラック)
1. フーズ・フー・イン・マイ・ライフタイム~人生の香り (多木比佐夫作詞・星勝作曲) - 2:31
2. Who's Who in My Lifetime (多木比佐夫作詞・星勝作曲) - 2:31
[ モップス ]
鈴木博三 - リーダー、リードヴォーカル、パーカッション
星勝 - ギター、ヴォーカル(A3, A5, A6, B1, B6, ボーナス・トラック1, 2)
三幸太郎 - ベース、ヴォーカル (A2)
スズキミキハル - ドラムス、ヴォーカル (B5) 

 今回は2曲しかYouTubeリンクが引けず慚愧に耐えませんが、本作は‘70年代モップスのアルバム中もっとも知られた作品でもありますのでご紹介しないわけにはいきません。サード・アルバム『御意見無用(いいじゃないか)』1971.5はモップス初の全曲オリジナル英語詞曲で固めた力作でしたが、ただ1曲、川内康範の「月光仮面」の歌詞を借りたブルース・ロック改作が、ブルース・ロックをリスナーにわかりやすく紹介するというバンドの意図を差し置き、鈴木博三作詞・星勝作曲の英語詞オリジナル曲を差し置いてコミック・ソングとしてヒットしてしまい、モップスの方向性を転換させることになってしまいます。アルバム・タイトル曲「御意見無用」も先行シングルでは日本語ヴァージョンでしたから、モップスも英語語詞には必ずしも固執してはいなかったと思われます。当時のニュー・ロックの風潮に従い、シングルは日本語詞、アルバムは英語詞と使い分けていたようです。次のライヴ盤『雷舞(らいぶ)』1971.10も英米ロックの英語詞のままのカヴァー4曲、英語詞オリジナル1曲に「月光仮面」という構成で、結局モップスの英米ロックのカヴァー、英語詞オリジナル時代はそのライヴ盤で終わることになりました。

 翌1972年5月のアルバム『雨/モップス'72』は先行シングルを多く含みますが、新録音も既発表の英語詞オリジナル曲を日本語詞に改めたものや、書き下ろしの日本語詞オリジナル曲で統一した、モップス初の全曲日本語詞のソフト・ロック・アルバムになりました。この『雨/モップス'72』は、バンドのみのサウンドではなくストリングスやオーケストラ導入曲、アコースティック曲にアレンジされているため、シングル集+新録音の企画盤の印象からかあまり注目されませんが、楽曲がメンバー自作中心という点で『モップスと16人の仲間』1972.7より選曲やサウンドに統一感があり、星勝さんのリード・ヴォーカル曲が半数を占める点で地味かもしれませんが、これも勝れたアルバムで、筆者は『~16人の仲間』より『雨』の方が好きなくらいです。『雨/モップス'72』はYouTubeからの試聴リンクがフルアルバムで聴けますが(『モップスと16人の仲間』も以前にはYouTubeに全編アップされていましたが、今回は2曲しか引けませんでした)、モップス、また東芝リバティとしては『雨/モップス'72』はあくまでシングル集+追加曲で、全編新録音の『モップスと16人の仲間』の方が勝負玉だったのは間違いなさそうです。そうでなければ『雨/モップス'72』が1972年5月、『~16人の仲間』が同年7月などというペースで発売するわけはないでしょう。
(Original Toshiba Liberty "雨/モップス'72" LP Front Cover)
◎モップス - 雨 (リバティ, 1972.5) :  

 後に東芝音楽工業からアルバムが発売されたゴールデン・カップスとモップスの再発LPには、当時洋楽ロック誌「ロッキング・オン」の編集長かつ全国ネットのNHK-FMの音楽番組のロック番組担当DJで名を馳せた某氏の「これらの作品と時代を共有できただけで僕は誇らしい気持になる」との共通キャッチコピーを掲載していました。某氏はFM番組でたまにカップスやモップスを流す程度でしたし、洋楽ロック誌で日本のバンドをほとんど取り上げず、カップスやモップスの記事や特集も組まなかった某氏は結局カップスともモップスとも無関係だったとしか言えません。

 この『モップスと16人の仲間』は全12曲中2曲(A5、B5)のバンド自作曲を除き、残り10曲をフォーク、ポップス系のシンガー・ソングライターからカヴァー、または書き下ろしを受けたものでした。A1は吉田拓郎、A2は加藤和彦(サディスティック・ミカ・バンド)、A3はブレッド&バター、A4はRCサクセション、A6は六文銭、B1はジローズ、B2は遠藤賢司、B3は泉谷しげる、B4は井上陽水、B6はかまやつひろし、とやたらと顔の広いもので、16人の仲間というのはモップスのメンバーとモップス以外の楽曲提供者(詞・曲)を含めた人数を指します。気がついたらモップスは日本のロック界にもフォーク、ポップス界にも均等に近い距離感にいる珍しいバンドになっていました。アルバムからの最大のヒットは、楽曲とモップスの相性が良いこの曲でした。当時のテレビ出演映像があります。
◎モップス - たどりついたらいつも雨ふり (NHKヤング・インパルス)YouTube 

 すでに音楽的リーダーの星勝が歌謡フォークやポップスのアレンジャー、音楽ディレクター(現在ではプロデューサーに相当する立場)に起用されて成功を収めていたモップスにとっては、外部作家の楽曲を取り上げる点では、英米ロックのカヴァーも日本のフォークやポップス系シンガー・ソングライターの曲のカヴァーも、スタンスにはあまり違いはなかったということかもしれません。しかし歌詞は日本語、アレンジはポップス化したとはいえ、ソフト・ロック路線の前作『雨/モップス'72』はメンバー自作曲や洋楽性によって『御意見無用』の作風からそれほど違和感を感じさせないアルバムでした。モップスはサイケデリック色については東芝移籍以来意図的に払拭しており、ハード・ロックとバラードに二分した作風になっていましたから、『雨/モップス'72』はバラードの方に振れた佳作として充実していましたし、日本語詞なのはGS時代のシングル曲でもあったことでしたからことさら本質的な問題ではなかったとも言えます。

 ですが『モップスと16人の仲間』は全12曲中10曲すべて異なるアーティストによる、個性の強い作品が1曲ごとに並ぶために、モップスのパフォーマンスではなく楽曲のヴァラエティの方が目立つアルバムになっています。楽曲にあわせてリード・ヴォーカルの適任者が選ばれたため、鈴木博三のリード・ヴォーカルが全12曲中5曲、星勝のリード・ヴォーカルが5曲、三幸太郎とスズキミキハルが1曲ずつと、楽曲に統一感があればこれもビートルズ的な分担ですが、いかんせん楽曲に統一感がないための策でしたから散漫さに拍車をかけてしまいました。モップスの次作『モップス1969~1973』1973.6は『雨/モップス'72』と同様先行シングルに新録音を足したものですが『雨/モップス'72』にも劣らず、『モップスと16人の仲間』よりずっと優れた作品になっています。モップスはベスト盤『ラブ・ジェネレーション/モップス・ゴールデン・ディスク』1973.10の後1974年4月のコンサートで解散、ライヴとスタジオ音源からなる解散アルバム『Exit』1974.7がリリースされますが、その辺は次回でご紹介します。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)