VHSテープを断捨離 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

 筆者は自分の手元を通ったものはすべて神さまが与えてくださった賜物だと思っているので、断捨離という言葉は好きではないのですが、引っ越し以来少しずつ段ボール箱を開梱しているうちにどっさり出てきたVHSテープはすべてゴミ出しに処分することにしました。まだあと数箱あるはずですが、これで100サイズの段ボール箱1箱分です。いずれも18年前の離婚以前にテレビ放映から録り貯めた映画ばかりで、主だったところはDVDで買い直したので水濡れ本の処分ほどの痛恨はありません。
 2000年代初頭にはまだ地上波で古今の映画、しかも古典ハリウッド/ヨーロッパ映画、アート・シアター系映画がテレビ放映されていたのも思い出されます。深夜放映とはいえ溝口や小津、フェリーニやアントニオーニ、ゴダールやアラン・レネ、侯孝賢やエドワード・ヤンの映画まで地上波放映され、特に各国版で長さの違うアントニオーニ作品が民放で最長版で放映されたりしていましたから、映画のテレビ放映は気の抜けないものでした。テレビ東京土曜深夜の「日本映画名作劇場」などはミニシアター再上映もレンタル・ビデオ化もされていない日本映画の宝庫で、鈴木清順作品を始め、木下恵介の『破戒』も中川信夫の『地獄』も羽仁進の『不良少年』も三隅研次の『斬る』も勅使河原宏の『砂の女』もテレビで観たのが最初でした。NHK-BSでは監督ごとの特集週間があり、日本未公開作品を含む中期までのパゾリーニ作品を始め、未ビデオ化の中平康作品特集などもあり、特に幻の傑作『砂の上の植物群』(モロにアントニオーニを意識した挑発的作品です)などはのちの中平康作品一斉DVD化の際に発売予告されながらも日活の自主規制で発売中止、いまだに映像ソフト化もミニシアター上映や配信さえもされない問題作(どの辺りが自主規制の原因になったかは、吉行淳之介の原作小説を読めば一目瞭然)です。
 そうして録画し貯めたVHSビデオも、再生機器が壊れて以来プレーヤーを買い直していない今では保存していても仕方ありません。主だったところはDVDやBlu-rayソフトで買い直し、映像ソフトや配信で観直しているだけでも飽和状態です。『イントレランス』『戦艦ポチョムキン』『市民ケーン』の3本(そしてチャップリン、ロイド、キートン、マルクス兄弟の諸作)だけをくり返し観ても(それに『カメラを持った男』『嘆きの天使』『吸血鬼ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『アタラント号』『ゲームの規則』『駅馬車』『コンドル』『不良少女モニカ』『情事』『バリエラ』を加えればさらに)、映画は十分という気がします。本物の映画は演劇同様、本来一回性の強いメディアだからかもしれません。戦後映画の真の天才映画監督は、ロッセリーニ>アントニオーニ>ゴダール>ベルイマン>フェリーニ>タルコフスキーだと思います。
 中平康の『狂った果実』や鈴木清順の『東京流れ者』は世界一面白い映画だと思いますが、1900年代以降120年におよぶ映画史は一人の観客が一生かけても観切れるものではなく、どこかで諦めが肝心です。どんな新作映画でもエルンスト・ルビッチや溝口健二、ウィリアム・ウェルマンの1本にはかなわない、そしてルビッチや溝口、ウェルマン作品はパブリック・ドメイン配信や映像ソフトで大半が観られるなら、ましてや『国民の創生』『イントレランス』『戦艦ポチョムキン』『グランド・ホテル』『痴人の愛』『市民ケーン』『無防備都市』『マルタの鷹』『三つ数えろ』『カサブランカ』『河』『フィラデルフィア物語』『結婚五年目』が500円ワンコインDVDで観られるなら、映画保守陣営の筆者としてはそれで十分です。ちなみに筆者の大嫌いな映画は『灰とダイヤモンド』『ラウンド・ミッドナイト』『グッドモーニング・バビロン』『プリティー・ウーマン』『ニュー・シネマ・パラダイス』『アルマゲドン』『タイタニック』です。先に上げた作品に較べれば大した映画とは思いませんが、『望郷』『自転車泥棒』『靴みがき』『禁じられた遊び』『夜の終りに』『恐怖の報酬』『ジョーズ』は大好きです。映画についてはどなたも好き嫌いが激しく分かれると思いますので、以上笑殺していただければ幸いです。