ピンク・フロイド1968年スタジオ・ライヴ映像! | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ピンク・フロイド - 光を求めて (EMI/Columbia, 1968)
Roger Waters - bass guitar, vocals
David Gilmour - guitars, vocals
Richard Wright - Farfisa organ, Hammond organ, vocals
Nick Mason - drums


 初期ピンク・フロイドがのちのピンク・フロイドになった歴史的瞬間を捉えた映像がこれです。ピンク・フロイドはもともと建築学部学生のロジャー・ウォーターズ(ベース、1944~)とリック・ライト(キーボード、1943~2003)、ニック・メイソン(ドラムス、1944~)に、抜群のソングライティング力とカリスマ性を備えた年少のヴォーカリスト&ギタリスト、シド・バレット(1946~2006)が加わるやシドをリーダーとして、ロンドンのアンダーグラウンド・シーンのトップ・バンドとしてライバル・バンドのソフト・マシーンとともに名を馳せたバンドでした。シド・バレット在籍中のシングル、デビュー・アルバムがいかに際立った作品だったかは、リンクを引いた旧記事で詳述していますので、ここではくり返しません。傑作デビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き (The Piper at the Gates of Dawn)』(EMI/Columbia, 1967.8)は、制作中に隣のスタジオで『サージェント・ペパーズ~』を録音していたビートルズのメンバーが見学に来るほど斬新な、サイケデリック・ポップ~プレ・プログレッシヴ・ロックの傑作になり、実験的な作風にもかかわらず商業的にも全英6位の成功を収めました。しかしシド・バレットは同作のリリース後のコンサート・ツアー中、ドラッグの過剰摂取からまともに演奏できなくなり、私生活でも奇行が目立ち、重篤な統合失調症の兆候を示してしまいます。

 初期シングル、デビュー・アルバムの成功からレコード会社からも期待がかかり、シド以外のメンバーもさらなる活動に意欲的だったフロイドは、リーダーのブライアン・ウィルソンがアルバム制作に専念し、ブライアンの代役にブルース・ジョンストンを迎えてライブ活動していたビーチ・ボーイズに倣って、やむなくシドを楽曲提供とレコーディングのみのメンバーとし、シドをサポートしライブではシドの代役を果たすヴォーカリスト兼ギタリストとして、デビュー以前から親しかったバンドからデイヴィッド・ギルモア(1946~)を五人目のメンバーに迎えます。しかしセカンド・アルバム『神秘 (A Saucerful Of Secrets)』(EMI/Columbia, 1968.6)の制作は難航し、ますます病状の慢性化したシドはアルバム全7曲中1曲しか新曲を提供できず、レコーディング・セッションでも自作曲1曲を含む3曲しか参加できない状態に陥っていました。『神秘』発表後、フロイドはシドをソロ・アーティストとして独立させた上でシドのソロ活動をバックアップし、フロイドとしての活動はシドを除く四人で続けていく方針を宣言します。それが実質的に、今日知られる音楽性のピンク・フロイドのスタートになりました。
 一般にリーダーが脱退して残りのメンバーで継続したバンドは方向性の迷いとパワーの低下がやむを得ないもので、ブライアン・ウィルソンの病状悪化と離脱に伴うビーチ・ボーイズもそうでしたし、のちにはジョン・フォックス脱退後のウルトラヴォックス、イアン・カーティス没後のジョイ・ディヴィジョン~ニュー・オーダー、ピーター・マーフィー脱退後のバウハウス~ラヴ&ロケッツなどもその例に漏れないものでした。しかしピンク・フロイドのセカンド・アルバム『神秘』は、ウォータース、ライト、メイソンのオリジナル・メンバーに加え、新加入のデイヴィッド・ギルモアを迎えてウォーターズ主導の、さらに実験性を増した先鋭的アルバムとして画期的な作品になりました。シドを除くメンバー四人の即興的共作曲で、生楽器演奏ながら調性も定則リズムもないサウンド・コラージュだけで構成される12分のアルバム・タイトル曲「神秘 (A Saucerful Of Secrets)」がのちのプログレッシヴ・ロック、スペース・ロック、クラウトロックに与えた影響はロック史上屈指のものです。『夜明けの口笛吹き』はモッズ時代のブリティッシュ・サイケの名盤ですが、『神秘』はロックにおけるビッグ・バン的作品で、同作なしにカンもタンジェリン・ドリームもクラフトワークも考えられません。アシュ・ラ・テンペルにいたっては、初期4作のアルバムB面すべてが「神秘」のヴァリエーションと見なせます。楽器を音響発振器として使用したサウンド・コラージュ曲「神秘」はその性質上ライヴではいくらでも拡張可能であり、発掘ライヴではスタジオ盤の倍の24分ヴァージョンから、30分台~50分近いヴァージョンまで引き延ばした演奏が聴かれます。アルバム『神秘』においてもっとも重要な曲はそのアルバム・タイトル曲なのですが、それはアルバム『神秘』を改めて取り上げる時にご紹介します。

 全英9位のチャート成績を残した『神秘』はシド・バレットの脱落によって、デビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』でもシドに次ぐソングライターだったロジャー・ウォーターズが、メンバー中もっとも楽理に強いリック・ライトの助力を得て、バンドの建て直しを図った作品でもありました。全7曲中ウォーターズの単独作曲が3曲、リック・ライトの単独作曲が2曲、シド・バレットの単独作曲が1曲に、最後にシドを除く四人で録音されたのがタイトル曲「神秘」ですが、アルバムからライヴ・レパートリーとして残ったのは「神秘」とウォーターズ作の瞑想的楽曲「太陽讃歌 (Set the Controls for the Heart of the Sun)」で、ウォーターズ作の他2曲とライト作の2曲はまだシド・バレットの作風に似せた痕跡が認められます。しかしアレンジと演奏はシド在籍時の軽やかな浮遊感よりもぐっとヘヴィーでダウナーになり、バンドの作風の変化を示したものになりました。今回引いた「光を求めて (Let There Be More Light)」はウォーターズ作のアルバム・オープニング曲で、フランス公演中にフランスのテレビ局で収録されたスタジオ・ライヴですが、ウォーターズの強力なベースのリフが引っ張る楽曲です。フロイドはデビュー作からザ・フーの影響が色濃いバンドでしたが、ここでもフロイドのアレンジにはベースとドラムスが楽曲をリードするザ・フーの作風の独自消化が見られ、シドというカリスマ性の強いリーダーを失った代わりに、より結束力を高めたウォーターズ主導のフロイドの姿が見られます。まだ新加入のギルモアの個性は抑えられており、ギルモアはヴォーカルもギター演奏もシドのイメージを引き継ぐスタイルにとどまっていますが(ソロ・アーティストになったシド・バレットのソロ・アルバムは第1作がギルモアとウォーターズ、第2作にして引退作がギルモアとライトのプロデュースで、ギルモアの前任者シドへの敬意とシドの才能から学ぼうという姿勢が感じられるものになっています)、シド・バレット主導時代のフロイドがパワー放出型のアンサンブルだったとすれば、ウォーターズ主導のフロイドはパワーをぐっと押さえこむような内省的な方向に転換しつつあるのがわかります。フロイドは1983年のアルバム『ファイナル・カット (The Final Cut)』までウォーターズをリーダーとして解散し、ソロ活動に進んだウォーターズとギルモア、ライト、メイソンの再結成フロイドとウォーターズの間に訴訟合戦までくり広げられることになりましたが、ウォーターズ以外のメンバーで再結成されたフロイドはウォーターズ主導時の全盛期の作風を継承しつつもより明快な音楽性と開放感を感じさせるバンドになりました。この「光を求めて」のヒプノティックなウォーターズのベース中心のアンサンブルを聴く(観る)と、やはりシド脱退後のピンク・フロイドの核はウォーターズの存在感にあったのを痛感させられます。いまだにウォーターズとギルモアは和解せずインタビューで罵りあいを続けていますから、大成功したバンド(2018年にウォール・ストリート・ジャーナルが集計した「史上もっとも人気のあるバンド100」でピンク・フロイドは4位、ちなみに1位はビートルズ、2位はレッド・ツェッペリン、3位はクイーン、5位はローリング・ストーンズです)というのも難しいものです。