ザ・モップス - サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン (Victor, 1968) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・モップス - サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン (Victor, 1968)ザ・モップス The Mops - サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン Psychedelic Sounds in Japan (Victor, 1968) 

Arranged By The Mops (tracks: A2 to A5, B1 to B6) except noted.
(Side 1)
A1. 朝まで待てない (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 3:14
A2. サンフランシスコの夜 (Lyrics & Music by B.Jenkins, D.McCulloch, E.Burdon, J.Weider, V.Briggs) - 3:59
A3. アイ・アム・ジャスト・ア・モップス (Lyrics & Music by 鈴木ひろみつ, 星勝) - 3:01
A4. 孤独の叫び (Lyrics & Music by A.Lomax, C.Chandler, E.Burdon, J.Lomax) - 5:53
A5. あの娘のレター (Lyrics & Music by W.C.Thompson) - 2:18
A6. ブラインド・バード (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 2:59
(Side 2)
B1. あなただけを (Lyrics & Music by D.Slick) - 2:48
B2. ベラよ急げ (Lyrics by 阿久悠/Music by 大野克夫) - 2:33
B3. ホワイト・ラビット (Lyrics & Music by G.Slick) - 2:47
B4. 朝日よさらば (Lyrics by 阿久悠/Music by 村井邦彦) - 2:29
B5. ハートに火をつけて (Lyrics & Music by The Doors) - 6:05
B6. 消えない想い (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 3:15
(Bonus tracks)
13. お前のすべてを (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 2:00*Single A-Side, Victor VP-10, August 5, 1968
14. 熱くなれない (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 3:30*Single A-Side, Victor VP-10, August 5, 1968
15. 御意見無用(日本語版) (Lyrics by 鈴木博三/日本語詞 by 喰始/Music by 星勝) - 3:23*Single A-Side, 東芝Liberty LP-1219
16. 星まさる/眠り給えイエス (Lyrics by いまいずみあきら/Music by 郷伍郎) - 3:54*Single A-Side, 東芝Express EP-1190, November 1969
17. 傘がない (Lyrics & Music by 井上陽水) - 4:49*from the album "モップス1969~1973", 東芝Liberty LTP-9076, June 5, 1973
18. 朝まで待てない (Lyrics by 阿久悠/Music by 村井邦彦/Arranged by モップス) - 3:01*from the album "モップス1969~1973", 東芝Liberty LTP-9076, June 5, 1973
[ The Mops ]
鈴木ヒロミツ - vocals
星勝 - lead guitar, vocal on B1, B3
三幸太郎 - side guitar (expect 15-18, bass guitar)
村上薫 - bass guitar, vocal on B5 (Side A, Side B, 13-14)
スズキ・ミキハル - drums
(Original Japan Victor "Psychedelic Sounds in Japan" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)

 前回は、モップスのアルバムから東芝リバティ移籍後2作目になる『御意見無用(いいじゃないか)』1971をご紹介しましたが、この時代の日本のロックはいまだに評価が定まらない作品も多く、ある程度の知名度があってもなかなか手を出すには思い切りがいります。日本でもやはりロックの移入はエルヴィス・プレスリー影響下のソロ・シンガーたちに始まりましたが、当初ロカビリーはカントリー&ウェスタンから派生したと思われていたことでエルヴィスは「カントリーの新人」として紹介されており、'60年代にもロック・フェスティヴァル「ウェスタン・カーニバル」の呼称として名残りがありました。エルヴィスはリズム&ブルースをカントリー&ウェスタンのスタイルで歌唱・演奏したので間違いではありませんが、エルヴィスの人気もブームを過ぎると、アメリカ本国でもロックンロールはポール・アンカのようなティーン向けポップスやザ・ヴェンチャーズに代表されるギター・インストルメンタル・バンドに変質します。そんな具合にむしろエルヴィス以前のポピュラー・スタイルと折衷しながら細々と続いていたロックを、ジャズのスモール・コンボをイメージ・モデルにリード・シンガーも楽器担当者も同等の存在感を持つバンドとしてやってのけて、本質的にポピュラー音楽の主流に切り込んだのが、本来ロックの原産国ではないイギリスからのザ・ビートルズのデビューでした。

 実際にはアメリカ本国でもザ・ビーチ・ボーイズも同じ発想(ただし学生クラブのイメージ)でビートルズに先駆けてデビューしていました。ビートルズと表裏一体だったのはザ・ローリング・ストーンズではなくビーチ・ボーイズだったのですが、では日本ではビートルズのブレイク以降どうだったかというと、ビートルズ出現前のアメリカのロックのイメージを引きずったまま、ビートルズ、またはストーンズ風に演奏するのが大半のバンドのスタイルでした。つまり歌は専属シンガーによるポップス、演奏はギター・バンドというのが日本のロックがグループ・サウンズ(GS)と呼ばれた時期(1965年~1969年)までの主流になります。GS最大のヒット曲はジャッキー吉川とザ・ブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」で1967年のレコード大賞受賞曲(150万枚)ですが、ブルー・コメッツはロカビリー時代からソロ・シンガーのバック・バンドとして定評ある、ジャズマン出身のプロ中のプロ集団でした。ブルー・コメッツの場合はメンバーが作曲も歌も手がけるようになって、むしろ本格的にイギリスのロック・バンド(デイヴ・クラーク・ファイヴやマンフレッド・マン)に近いバンドでしたが、GSの典型かつ最高の人気グループは沢田研二をシンガーに擁したザ・タイガースで、人気のピークは「君だけに愛を」(オリコン2位)、「銀河のロマンス c/w 花の首飾り」(7週連続1位・70万枚)、「シー・シー・シー」(6週連続1位)とヒットを連発、日本人アーティストとしては初のスタジアム公演(後楽園球場=現東京ドーム)を成功させた1968年でした。ですが当時GSでなく、真に欧米ロックと同じ精神的背景を持っていたのは、フォーク・ソングのアマチュア大学生グループから出てきたザ・フォーク・クルセダーズやジャックス、五つの赤い風船らでした。フォークルは京都で結成され、もともと自主制作盤で出されたアルバム収録曲が話題になってメジャーの東芝音工から発売された「帰って来たヨッパライ」(1967年12月発売)は発売2か月で100万枚のヒットになりました。大学生の宅録が最終売上280万枚を記録したのは空前絶後と言うしかありません。洋楽のエッセンスを徹底的に摂取したフォークルに対し、ジャックスは東京出身で真摯な洋楽の素養を持ちながら完全に洋楽要素を排した異様な音楽性で異彩を放っており、フォークル、ジャックスともに前世代のカレッジ・フォーク(やはり実験的な音楽性の五つの赤い風船はカレッジ・フォーク的イメージを受け継いでいましたが)とは明らかに異質の反逆性を持っていました。1968年はフォークルの『紀元貮阡年』(7月)、ジャックスの『ジャックスの世界』(9月)によってグループ・サウンズの次の時代が予告されたと言えます。フォークルやジャックスほどの屈折や真のオリジナリティには到達しませんでしたが、真剣にビートルズやストーンズの音楽に迫ろうとしていた好ましいグループ・サウンズのバンドも、ブルー・コメッツ、ザ・スパイダーズの両巨頭バンドを始めとして決して乏しくはありません。単発~数枚のシングル発売にとどまったバンドでもレコード発売にこぎ着けただけの勢いが楽しめるものが少なからずあり、アルバム制作まで届いたバンドは数少ない分、グループ・サウンズの商業的制約の中では限界まで可能性が試行されていたのは認められていいでしょう。

 モップスのデビュー作の紹介にグループ・サウンズの概括から始めているのは、このデビュー作はモップス唯一のグループ・サウンズ時代のアルバムだからでもあります。日本の自作自演ロックのアルバムの嚆矢となったのは加山雄三&ザ・ランチャーズ『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』1966.1でヴォーカル曲とエレキ・インストが半々でしたが、同年4月にはザ・スパイダーズが全曲ヴォーカル入りオリジナル曲のデビュー・アルバムを発表、ブルー・コメッツのGSとしての初アルバムは同年9月に発売されます。寺尾聰在籍のザ・サヴェージのデビュー・アルバムが同年12月で、ここまではビートルズ以降の日本の'60年代ロックの第1世代のグループと言えます。翌1967年にはザ・ワイルドワンズ、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなど歌謡性・アイドル性の高いバンドが次々とアルバム・デビューを果たしますが、芸能プロダクションの方針によってメンバーの自作曲を後回しにし、ポップス系の専属作曲家がつく例も増えてきます。1968年はもう爛熟で、ザ・カーナビーツ、ザ・ジャガーズ、ゴールデン・カップス(以上3組のシングル・デビューは1967年ですが)、ハプニングス・フォー、ザ・ダイナマイツらと並んでモップスもデビューしましたが、前年までのグループよりはっきりと洋楽ロックに対応できる音楽性を追求しており、タイガースですらフォークルに刺激されてアート性の高いコンセプト・アルバムに挑戦しています。ブームの終焉が見え始めた1968年末にデビューしたオックスは初期タイガースをさらにアイドル化したような路線で一躍人気グループになりました。そしてこれらのバンドのほとんどが1969年からは急激に人気を失い、失速・解散を余儀なくされます。

 モップスはギタリスト星勝を中心とした高校生のエレキバンドに、マネージャーをしていたメンバーの兄・鈴木博三(ヒロミツ)がヴォーカリストとして加入してブルース・ロック色の強いバンドとして活動するや間もなく芸能プロダクションのホリ・プロダクションにスカウトされ、事務所側のアイディアで日本初のサイケデリック・ロック・バンドとして売り出されたバンドです。ひと月早いデビュー・アルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』1968.3でずば抜けた存在感を発揮した横浜出身のゴールデン・カップスは、当時の流行でロックより最先端かつ本格的とされた「R&B」のバンドとして売り出されましたが、本来ブルース色の強いロック・バンドだったモップスとカップスはまったく同期に隣りあった音楽性でデビューしました。アルバムを残せずアルバム1枚分相当のシングルしかリリースできなかったシングル中心のバンド(リンド&ザ・リンダース、ヤンガーズ、アダムスなど)もいるのでアルバムだけではGS全体は語れませんし、1965年11月のアルバム『フォー・ナイス・ガイ』を始めとして‘60年代いっぱいまでに14枚ものアルバムをリリースした大物エレキ・インスト・バンドのシャープ・ファイブも見逃せませんが、インスト兼カヴァー・バンドなのでGSというよりヴェンチャーズ~アストロノウツの系譜にあるバンドとしてここでは数えないことにします。先述したアルバムを含めて、GS時代の主要バンドのデビュー・アルバム~代表アルバムを年表にする方が早いでしょう。

・加山雄三&ザ・ランチャーズ『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』1966.1
・田辺昭知とザ・スパイダース『アルバムNo.1』1966.4
・ジャッキー吉川とザ・ブルー・コメッツ『青い瞳/青い渚 ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集』1966.9
・寺内タケシとバニーズ『バニーズ誕生』1966.12
・ザ・サヴェージ『この手のひらに愛を』1966.12
・寺内タケシとバニーズ『正調寺内節』1967.3
・ザ・ワイルドワンズ『ザ・ワイルドワンズ・アルバム』1967.6
・寺内タケシとバニーズ『レッツゴー「運命」』1967.9
・アウト・キャスト『君も僕も友達になろう』1967.11
・ザ・タイガース『ザ・タイガース・オン・ステージ』1967.11
・シャープ・ホークス『ゴーゴー・シャープ・ホークス』1968.1
・ザ・ジャガーズ『ファースト・アルバム』1968.2
・ザ・カーナビーツ『ファースト・アルバム』1968.2
・ザ・ブルー・コメッツ『ヨーロッパのブルー・コメッツ』1968.2
・ザ・ヴィレッジ・シンガース『グループ・サウンズの貴公子』1968.3
・ザ・ゴールデン・カップス『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』1968.3
・ザ・ダイナマイツ『ヤングサウンドR&Bはこれだ』1968.4
・ザ・モップス『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』1968.4
・ザ・タイガース『世界はボクらを待っている』1968.5
・ザ・テンプターズ『ファースト・アルバム』1968.6
・ザ・ビーバーズ『ビバ・ビーバーズ』1968.6
・ザ・ハプニングス・フォー『マジカル・ハプニングス・トゥアー』1968.7
・デ・スーナーズ『リズム・アンド・ブルース天国』1968.7
・ザ・ボルテイジ『R&Bビッグヒット』1968.8
・ザ・スパイダース『明治百年・すぱいだーす七年』1968.10
・ズー・ニー・ヴー『R&Bベスト・ヒット』1968.10
・デ・スーナーズ『ポートレイト・オブ・ブルース・スーナーズ』1968.10
・ザ・リード『ザ・リード・ゴーズR&B』1968.10
・タイガース『ヒューマン・ルネッサンス』1968.11
・オックス『ファースト・アルバム』1968.12
・パープル・シャドウズ『小さなスナック』1968.12
・ランチャーズ『フリー・アソシエイション』1968.12
・ザ・テンプターズ『5-1=0』1969.2
・ザ・スウィング・ウエスト『雨のバラード/ザ・スウィング・ウエスト・オン・ステージ』1969.3
・オックス『テル・ミー/オックス・オン・ステージNo.1』1969.3
・ザ・リード『サウンド・オブ・サイレンス/ザ・リード・トップ・ヒット』1969.3
・ザ・ジャガーズ『セカンド・アルバム』1969.6
・ザ・テンプターズ『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』1969.7
・ザ・ゴールデン・カップス『スーパー・ライヴ・セッション』1969.8
・ランチャーズ『OASY王国』1969.9
・ズー・ニー・ヴー『ゴールデン・ズー・ニー・ヴー』1969.11
・ザ・ハプニングス・フォー『アウトサイダーの世界』1970.7
・ザ・タイガース『ザ・タイガース・アゲイン』1970.9
・ザ・タイガース『自由と憧れと友情』1970.12
・ザ・ゴールデン・カップス『フィフス・ジェネレーション』1971.1
・ザ・テンプターズ『ザ・テンプターズ・アンコール』1971.1
・ザ・タイガース『ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム』1971.2
・ザ・タイガース『ザ・タイガース・フィナーレ』1971.7

 上記はいずれも日本の‘60年代ロック=GSの必聴盤と言えるアルバムですが、このGS代表アルバム年表に、ポストGS~ニュー・ロックに移行するまでの、

・ザ・フォーク・クルセダーズ『紀元貮阡年』1968.7
・ジャックス『ジャックスの世界』1968.9
・ザ・バーンズ『R&Bイン・トーキョー』1969.2
・パワーハウス『ブルースの新星』1969.4
・ザ・ヘルプフル・ソウル『ソウルの追求』1969.4
・岡林信康『私を断罪せよ』1969.8
・エイプリル・フール『エイプリル・フール』1969.10
・ブルース・クリエイション『ブルース・クリエイション』1969.10
・ジャックス『ジャックスの奇蹟』1969.10
・かまやつひろし『ムッシュー/かまやつひろしの世界』1970.2
・岡林信康『見る前に跳べ』1970.6
・モップス『ロックン・ロール'70』1970.6
・はっぴいえんど『はっぴいえんど(ゆでめん)』1970.8
・サムライ『河童』1971.3
・フラワー・トラベリン・バンド『SATORI」1971.4
・モップス『御意見無用』1971.5
・ストロベリー・パス『大烏が地球にやってきた日』1971.6
・スピード・グルー&シンキ『前夜』1971.6
・トゥー・マッチ『Too Much』1971.7
・ブルース・クリエイション『悪魔と11人の子供たち』1971.8
・サムライ『侍』1971.8
・ザ・ハプニングス・フォー『引潮・満潮』1971.8
・PYG『PYG』1971.8
・はっぴいえんど『風街ろまん』1971.11
・PYG『Free with PYG』1971.11
・フラワー・トラベリン・バンド『Made in Japan』1972.2
・フライド・エッグ『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』1972.3
・頭脳警察『頭脳警察2』1972.6

 を連ねると、グループ・サウンズの全盛期は本当に短く、結局は新しい英米ロックのトレンドにスライドしたか、あえて英米ロックと距離を置く(歌謡曲化する、またはフォークに移行する)かに分かれていっており、GS時代の音楽的試行が‘70年代に順当に後継されたとは言えません。タイガースとカップスほど対照的なバンドはありませんが、ともにぎりぎりまでグループ・サウンズを代表するバンドとして殉じたのは共通します。モップスはGSとしては華に欠けていたのでビクターからのGS時代はシングル3枚とアルバム1枚しか残せませんでしたが、逆に実力派のカップスやハプニングス・フォーにすら果たせなかった脱GS化に成功した、'70年代唯一のGS出身バンドになりました。解散したスパイダース、タイガース、テンプターズからのピックアップ・スーパーグループだったPYGですらスタジオ盤1枚、2枚組ライヴ1組しか続かなかったほどGS出身者は時代遅れとされてしまいましたが(ブルー・コメッツはメンバー・チェンジして完全な歌謡曲グループになりました)、GS全盛期にせいぜい通好みグループだったモップスだけが生き延びたのは実力だけでは説明がつきません。

 鈴木ヒロミツのヴォーカルの力量、ヴォーカルもとりギタリストにとどまらない星勝のトータルな音楽的才能、と数えてみても、モップスはフォークルやジャックスのように真に革新的な音楽をやっていたとは言えませんでした。しかしGSの中では洋楽を自然に消化して、外部ライター提供の日本語歌詞のオリジナル曲と英語詞のままの洋楽カヴァーを同等に違和感なく演奏できる資質があり、その感覚がモップスを1970年代まで生き延びさせた、と言えるかもしれません。また、グループ・サウンズ時代のヴォーカリストのほとんどは音程が正確に発声できない(フラット気味になる)日本人特有の癖があり(タイガース、テンプターズ、ジャガーズに顕著、またカップス、ハプニングス、ジャックスら優れたシンガーを有したバンドでも)、つまり西洋音階を会得していなかったのですが、モップスの鈴木ヒロミツと星勝は正確な音程、しかもロックやブルースの音程で歌える数少ないヴォーカリストだったのは意外と見過ごされています。

 このアルバムに収録された洋楽ロックのカヴァーの内訳は以下の通りです。
・San Franciscan Nights (Eric Burdon & the Animals)
・Inside Looking Out (Eric Burdon & the Animals)
・The Letter (The Box Tops)
・Somebody To Love (Jefferson Airplane)
・White Rabbit (Jefferson Airplane)
・Light My Fire (The Doors)
 アニマルズの曲のカヴァーの出来がずば抜けているのは、もともと鈴木ヒロミツの嗜好がエリック・バードンのヴォーカルにあったのにもよります。ボックス・トップスの1967年の年間No.1ヒット「あの娘のレター」も鈴木ヒロミツのヴォーカルで原曲より激しい歌唱です。ジェファソン・エアプレインのカヴァーは星勝、ドアーズのカヴァーは村上薫が歌っていますが、サイケデリック色を強調したアルバム制作のためのレパートリーと思われ、ライヴで練られた形跡がないのがリズムの緩みから推察できます。モップス最高の演奏力はアニマルズ・ナンバー2曲、特に「孤独の叫び」の凄まじいインタープレイに現れており、ブルース・ロックがサイケデリアを通過してヘヴィ・ロックというヴァリエーションを生んだ時代的過程を日本のバンドではもっともよく表した例となっています。

 アニマルズの「孤独の叫び」をカヴァーした流儀は阿久悠作詞・村井邦彦作曲のシングル用提供曲「朝まで待てない c/w ブラインド・バード」「ベラよ急げ c/w 消えない思い」、大野克夫作曲の「朝日よさらば」にも表れており、日本語詞でこれほど激しいサウンドを出していた先例はアウト・キャストくらいしかいませんが、アウト・キャストには多分にサウンド設計の勘違いに由来するような不安定さがありました。「ブラインド・バード」は歌詞の問題でのちに自主規制され2014年のリマスターCDまで再発売から除外されていた伝説的な日本語サイケデリック・ロックの名曲ですが、デビュー・アルバムの日本語詞曲では群を抜いてヘヴィな曲になりました。ほとんど'70年代のヘヴィ・ロック・バンドの演奏と言ってもおかしくないほど傑出した楽曲です。後にこの曲からバンド名をとったと覚しいバンドがおり、1971年7月発売のオムニバス・アルバム『ロック・エイジ・コンサート』(ワーナー・パイオニア)収録の1曲しか残していませんが、もしフルアルバムを制作していたら'70年代初頭の日本のロックのモンスター・アイテムになっていたかもしれない出来です。このバンド、ブラインド・バードもブルー・チアー、MC5直系のヘヴィ・ロックをやっていますが、意図せずして1968年の「孤独な叫び」や「ブラインド・バード」のモップスもアメリカのヘヴィ・ロック勢と同時に似たような音楽にたどり着いていました。これはフォークルやジャックス、はっぴいえんどとはまったく関係ない方向に日本のロックが進んだかもしれない可能性を示すものでもあります。
◎Blind Bird - Kick the World (日本Atlantic, from the album "Rock Age Concert", 1971) :


(同記事を手直しし、再掲載しました。)