モップス Mops - 御意見無用 (Liberty, 1971) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

モップス Mops - 御意見無用 (Liberty, 1971)
モップス Mops - 御意見無用 Iijanaika (Liberty, 1971) 

Released by 東芝音楽工業株式会社/Liberty LTP9025, May 5, 1971
All Lyrics by 鈴木ヒロミツ (except B1/川内康範) All Composed by 星勝 (except B4/三幸太郎)
(Side 1)
A1. 御意見無用(いいじゃないか) - 3:48
A2. タウン・ホェア・アイ・ワズ・ボーン - 1:49
A3. グッド・モーニング、グッド・アフタヌーン、グッド・ナイト - 8:58
A4. ノーボディ・ケアーズ - 4:59
(Side 2)
B1. 月光仮面 - 3:20
B2. トレイセス・オブ・ラヴ - 5:51
B3. トゥ・マイ・サンズ - 3:29
B4. ノー・ワン・ノウズ・ワット・ゼイ・ワー - 3:20
B5. アローン - 3:25
[ Mops ]
鈴木ヒロミツ - vocals
星勝 - guitar, vocals
三幸太郎 - bass guitar
スズキ幹治 - drums
(Original Liberty "御意見無用" LP Liner Cover & Side 1 Label)

 この『御意見無用』は日本のロック・バンド、モップス(ザ・モップス)のサード・アルバムに当たる作品で(スプリット・アルバム除く)、全曲メンバーのオリジナル曲で固め、モップスのオリジナル・アルバム中もっとも完成度が高い、最高傑作と言ってよい作品です。先行シングル「御意見無用」(日本語版)は1971年1月、「月光仮面」は同年3月15日に発売されました。ザ・モップスはもともと日本ビクターから1967年11月に、シングル「朝まで待てない c/w ブラインド・バード」で日本初のサイケデリック・ロック・バンドとして売り出され、シングルはオリコン38位の中ヒット、1968年4月発売のデビュー・アルバム『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』は全12曲中当時の英米サイケデリック・ロック(アニマルズ、ジェファソン・エアプレイン、ザ・ドアーズなど)のカヴァーが6曲、オリジナル曲6曲と'60年代の日本のロック・アルバムではよくある構成ながら、オリジナル曲の出来の良さで1980年代後半から英米の'60年代ロック・マニアに注目され、むしろ海外で再評価されたことから日本でも見直される存在になりました。CD化前にオークション・サイトでは600ドル(80万円越え!)ものプレミア価格がついたという伝説を残しています。

 グループ・サウンズ・ブームの最中にデビューしたザ・モップスですが音楽性・ルックスともにアイドル性は稀薄で、1969年には多くのバンドが解散していく中オリジナル・メンバーのベーシスト、村上薫が脱退します。サイド・ギタリストの三幸太郎がベーシストとなり活動を続けるも日本ビクターとの契約は打ち切りとなり、4人編成のバンドは定冠詞を外してモップスと改名し、東芝音楽工業傘下のエキスプレス・レーベルからシングル1枚と4バンドによるスプリット・ライヴ盤『ロックンロール・ジャム'70』(2LP/1970年4月発売、A面モップス、B面ハプニングス・フォー、C面ゴールデン・カップス、D面フラワーズ)を経て、リバティ・レーベルから全編英語詞、かつ‘70年代型ハード・路線に転換したセカンド・アルバム『ロックン・ロール'70』(70年6月発売)で再デビューを果たします。
モップス - ロックン・ロール‘70 (東芝/Liberty, 1970.6) :  

 ザ・モップスはグループ・サウンズ最盛期にデビューしましたが、1970年にはほとんどのグループ・サウンズ系バンドが解散・消滅していたのを思えば、1970年の再デビュー以後に本格的な活動をなし得たモップスは'60年代デビューのバンドでも例外的に息の長いキャリアをたどったバンドでした。『ロックン・ロール・ジャム'70』で競演したハプニングス・フォー、ゴールデン・カップス、フラワーズらも'70年~'71年にかけて次々解散しています。モップスは1974年に鈴木ヒロミツのタレント活動、星勝のアレンジャーとしての大成とともに解散へ向かいましたが、'70年代前半の日本のロック・バンドでモップスほどの実績を残せたのはごく少数のアーティストしかいません。モップスのオリジナル・アルバム(ライヴ盤、編集盤含む)は次の通りになります。

1. サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン (1968年4月発売) 日本ビクター/Victor
2. ロックンロール・ジャム'70 (ライヴ/1970年4月5日発売・A面のみ) 東芝音楽工業/Express
3. ロックン・ロール'70 (1970年6月5日発売) 東芝音楽工業/Liberty
4. 御意見無用(いいじゃないか) (1971年5月5日発売) 東芝音楽工業/Liberty
5. 雷舞 -らいぶ- (ライヴ/1971年10月5日発売) 東芝音楽工業/Liberty
6. 雨/モップス'72 (1972年5月5日発売) 東芝音楽工業/Liberty
7. モップスと16人の仲間 (1972年7月5日発売) 東芝音楽工業/Liberty
8. モップス1969~1973 (シングル集/1973年6月5日発売)東芝音楽工業/Liberty
9. ラブ・ジェネレーション/モップス・ゴールデン・ディスク (ベスト・アルバム/1973年10月25日発売) 東芝音楽工業/Liberty
10. EXIT (解散コンサート・ライヴ/1974年7月5日発売) 東芝音楽工業/Liberty
 
 日本ビクター傘下のVictor、東芝音楽工業傘下のExpress、Libertyのいずれもが洋楽レーベルなのは、専属契約を結んだ従来の邦楽系作曲家が市場を独占していた従来の組合協定の下では、ロック系アーティストが自作曲、またはフリーの作曲家提供曲をレコード発売するのには邦楽レーベルからは発売できなかった事情によるものでした。ジャズやシャンソン、フォークのアーティストでもそうで、ロックを含んでこれらは邦楽作品とは見做されなかったのです。そこで洋楽アーティストを配給するための海外契約レーベルを使って日本のアーティストのレコードを制作・発売する、というややこしい事情がありました。そこでモップス'70年代のアルバムはヴェンチャーズやカン、ホークウィンドの配給レーベルでもあるリバティから発売されていたのです。純国産の日本人バンドですが作品は洋楽のアルバムとして制作・発売されていたことになります。

 モップスのデビュー・アルバムからセカンド・アルバムまでを見ると、カヴァー曲は以下のリストになります。
●『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』
・San Franciscan Nights (Eric Burdon & the Animals)
・Inside Looking Out (Eric Burdon & the Animals)
・The Letter (The Box Tops)
・Somebody To Love (Jefferson Airplane)
・White Rabbit (Jefferson Airplane)
・Light My Fire (The Doors)
●『ロックン・ロール・ジャム'70』
・I'm Cryin' (Eric Burdon & the Animals)
・(Hidden Track) Coloured Rain (Traffic~Eric Burdon & the Animals)
・Jenny Jenny (Little Richerd)
・Don't Bring Me Down (Eric Burdon & the Animals)
・Who Knows What Tomorrow May Bring (Traffic)
・Tobacco Road (The Nashville Teens~Jefferson Airplane~Eric Burdon & War)
●『ロックン・ロール'70』
・Good Golly Miss Molly (Little Richerd~The Swinging Blue Jeans~Mitch Ryder and the Detroit Wheels~Creedence Clearwater Revival)
・Long Tall Sally (Little Richerd~The Beatles)
・My Babe (Little Walter~Ray Charles~Ricky Nelson~Cliff Richerd~Elvis Presley~The Animals)
・House of the Rising Sun (Trad.~Bob Dylan~The Animals~Frigid Pink)
・I'm A Man (The Spencer Davis Group~Chicago)
・Jenny Jenny '70 (Little Richerd)
・Eleanor Rigby (The Beatles~Vanilla Fadge)
・Ain't That Just Like Like Me (The Coasters~The Searchers~The Hollies~The Astronauts~The King's Ransom)
・Club-A-Go-Go (The Animals)

 また、『御意見無用』の次作は1971年7月11日の大阪でのコンサートのライヴ盤ですが、
●『雷舞 -らいぶ-』
・I Want To Hold Your Hand (The Beatles~The Moving Sideways)
・Gimme Some Lovin' (The Spencer Davis Group)
・To Love Somebody (The Bee-Gees~Eric Burdon & the Animals)
・New York 1963 - America 1968 (Eric Burdon & the Animals)

 と、エリック・バードン&ジ・アニマルズとスティーヴ・ウィンウッド(スペンサー・デイヴィス・グループ~トラフィック)への傾倒が目立ちます。ビートルズの「抱きしめたい」をZ.Z.トップの前身ムーヴィング・サイドウェイズのヴァージョンからカヴァーし、また言わずと知れた「朝日のあたる家」をフリジッド・ピンクのヘヴィ・サイケ・ヴァージョンを参考にしているあたり、モップスは当時屈指のロック・ヴォーカリストでバンドの顔役だった鈴木ヒロミツと、音楽的リーダー・星勝の嗜好を反映した最先端の洋楽マニアのバンドでした。ただしモップスが英語詞ロックのバンドだったのはフラワー・トラベリン・バンドとはっぴいえんどが対決していた1971年が岐路になり、「ブルースをわかりやすく伝える」意図で企画されたシングル「月光仮面」のノヴェルティ(コミック・ソング)・ヒットに対して、「月光仮面」以外は意欲的な英語詞オリジナル曲で固めたアルバム『御意見無用』が前作『ロックン・ロール'70』同様ほとんど反響を呼ばなかったことから、1972年以降から1974年の解散までのモップスは日本語詞ロックのバンドに転換することになります。
 
 タイトル曲「御意見無用」は英語詞ハード・ロック(冒頭のリフやアレンジは当時の国際水準でもトップクラスです)なのに、サビでは唐突に阿波踊りのリズムとお囃子になる、あまりに先駆的で斬新なハード・ロックと阿波踊りの融合というエスニック・ロック(笑)の試みを行った、バンドにとっての自信作でしたが、やはり東洋音階のリード・ギターに英語詞を乗せた、現在でこそ欧米では日本産ロックの最高峰とされているヘヴィ・ロックのフラワー・トラベリン・バンドさえ当時は過小評価されたほどなので、モップスの英語詞ハード・ロックと阿波踊りの融合は一種の色物と見られてしまいました。モップスはファッション・センスや鈴木ヒロミツのタレント性とともに、軽佻浮薄なヒッピー風俗を象徴するバンドとして同じプロダクションの後輩・和田アキ子さん主演のアクション映画にも起用されています。
◎モップス -『野良猫ロック 暴走集団'71』より「御意見無用(いいじゃないか)」(日活, 1971) :  

  アルバム発売前には、日本語詞ロックの試みとしてアルバム『御意見無用』では英語詞で収録された「御意見無用」「アローン」も日本語詞でシングル発売されていました。日本語ヴァージョンも楽曲・アレンジの鋭さもあって優れた(日本語詞ハード・ロックとしても面白い)出来なのですが、当時の日本語ロックでは硬派の頭脳警察、軟派のはっぴいえんどが評価されていたのに対して、モップスの日本語ロックの試みはまるで話題にも評価の対象にもなりませんでした。
◎モップス - 御意見無用 Iijanaika (日本語版シングル・ヴァージョン, Liberty, 1971) :   

  モップスは井上陽水とも同じマネジメント(ホリ・プロダクション)に属しており、初期の井上陽水のアルバムは星勝がアレンジャー(プロデューサー)として制作されていました。ステージでの共演も多く、モップスはフォーク系シンガー・ソングライターとの交流も深いロック・バンドでした。モップスによる井上陽水楽曲のヘヴィ・ロック・ヴァージョンもあります。ここぞとばかりのギター・ソロは、星勝の手がけた当時の井上陽水ヴァージョンでは不可能でした(モップスのヴァージョンはアルバム『モップス1969~1973』収録、リード・ヴォーカルは星勝)。
◎モップス - 傘がない (Liberty, 1973) :  

  あと数枚、モップスのアルバムをご紹介する機会はあると思いますが、1967年11月のデビュー・シングルはメンバーの自作曲ではなく新進作曲家の村井邦彦作曲、作詞は広告代理店出身でこれが作詞家としてはほぼ処女作となる阿久悠による、ビート・サイケを狙った書き下ろし曲でした。外部ライター提供の楽曲とはいえ当時のグループ・サウンズ系バンドにあてがわれていた西洋メルヘン調、メロドラマ調または青春歌謡調の曲とは違う、当時のメジャーなレコード会社から発売されたものでは際立って攻撃的なロック曲になっています。カヴァー曲と半々のバンドから全曲英語詞の自作曲に進み、さらに日本語詞のロックに回帰したモップスですが、デビューから解散まで通すべき筋は通したバンドでした。このデビュー曲はB面の超ヘヴィな名曲「ブラインド・バード」とともに'60年代の日本産ロックでは外せないナンバーです。モップスがビート・グループから'70年代ロックのスタイルに向かう過渡期を、サイケデリック・ロックを媒介にして体現したバンドだったのがわかります。
◎ザ・モップス - 朝まで待てない (日本Victor, 1967) :   

◎ザ・モップス - ブラインド・バード (日本Victor, 1967) :  


(旧記事を手直しし、再掲載しました。)