ステッペンウルフ「ワイルドで行こう!」(RCA/Dunhill, 1968) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ステッペンウルフ - ワイルドで行こう!(RCA/Dunhill, 1968)
ステッペンウルフ Steppenwolf - ワイルドで行こう!Born to Be Wild (Mars Bonfire) (RCA/Dunhill, 1968.5.9) - 3:02 :  


 言わずと知れたロック・アンセム(当初の邦題は「ワイルドでいこう!」、現行タイトルは「ワイルドで行こう!」)。あまりにこの曲ばかりが人口に膾炙したため、ステッペンウルフというバンド自体が何か恥ずかしい存在、この曲だけの一発屋という印象があります。実際、1964年のビートルズの全米大ブレイク(ブリティッシュ・インベイジョン)に感化されて同年カナダで結成された、ステッペンウルフの前身バンド、ザ・スパロウズはオントリオ州オシャワで活動していた、あまりパッとしないローカル・バンドでした。ベーシストにのちにバッファロー・スプリングフィールドに参加するブルース・パーマーが在籍した時期もありましたが、ギタリストのデニス・エドモンズ(マーク・ボンファイア)とドラマーのジェリー・エドモンズ兄弟以外のメンバーは流動的で、初代ヴォーカリスト、ジャック・ロンドンから1965年末に二代目ヴォーカリスト、ジョン・ケイ(1944~)にメンバー・チェンジし、さらにベーシストにニック・セント・ニコラス、オルガン奏者にゴールディー・マックジョンを迎えて、1966年には初期ステッペンウルフになるメンバーが揃います。ジョン・ケイ(ヴォーカル)、マーク・ボンファイア(ギター)、ゴールディー・マックジョン(オルガン)、ニック・セント・ニコラス(ベース)、ジェリー・エドモンズ(ドラムス)となったスパロウズはまずニューヨークに進出しますが、ラヴィン・スプーンフルやラスカルズら洗練されたバンド群が活躍していたニューヨークでは泥臭い音楽性のスパロウズは受け入れられず、アメリカ西海岸のロック・シーンに移住したのは1966年末で、当時ヒッピーの聖典として熱心に読まれていたヘルマン・ヘッセ1927年の長篇小説『荒野のおおかみ (Der Steppenwolf)』からステッペンウルフと改名し、バンドが拠点をサンフランシスコに定めたのは1967年初頭でした。
 RCA/MCAレコーズ傘下のダンヒル・レコーズとの契約を機に、ギタリストのボンファイアは「ワイルドで行こう!」を置き土産に脱退してマイケル・モナークが後任者となり、ベーシストのニコラスも一旦脱退し後任ベーシストは流動的になるも、ニコラスは何度も出戻ることになります。1966年秋に制作され1967年1月29日にリリースされたデビュー・アルバム『ワイルドでいこう! ステッペンウルフ・ファースト・アルバム (Steppenwolf)』は全米6位となり、全英では59位にとどまるもカナダ1位の大ヒット・アルバムになり、第1弾シングル「A Girl I Knew」(1967.10)はノー・チャート、第2弾シングル「Sookie Sookie (邦題「スキ・スキ・スー」、のち「好き好きスー」「スーキー・スーキー」「スキー・スキー」)」(1968.2)もカナダ92位と振るわなかったものの、第3弾シングル「ワイルドで行こう!(Born to Be Wild)」(1968.5)はラスカルズのNo.1ヒット「自由への賛歌 (People Got To Be Free)に阻まれながらも全米2位、全英では30位ながらカナダ1位の特大ヒットになりました。誰が聴いてもアルバム中白眉の1曲のこの曲が第3弾シングルと遅れたのは、メジャー・デビュー前に脱退したマーク・ボンファイアのオリジナル曲だったからと思われます。

 以降この「ワイルドで行こう!」は1968年中に再発売、1969年には映画『イージー・ライダー』(Columbia Pictures, 1969.7.14)のテーマ曲として再々発売され、以降も何度もリヴァイヴァル・ヒットし、1973年にはオランダ14位、1990年にはオランダ5位、1999年には全英18位になり、セールスでは全米で100万枚、デンマークで45万枚、全英で40万枚、イタリアで2万5千枚のゴールド・シングルに輝いています。ステッペンウルフの魅力は何と言っても「いかにもロック」なジョン・ケイのやさぐれたダミ声のヴォーカルにあり、この曲はケイの声質がもっとも活かされた楽曲でした。
 もっともステッペンウルフはイギリスではブレイクせず、アルバム第2作『The Second』(Dunhill, 1968.10)も全米3位・カナダ2位ながらイギリスではチャートインを逃し、第3作『At Your Birthday Party』(Dunhill, 1969.3)では全米7位・カナダ12位、第4作でデビュー前のライヴを発掘リリースした『Early Steppenwolf』(Dunhill, 1969.7)が全米29位、第5作『Monster』(Dunhill, 1969.11)が全米17位・カナダ11位・全英43位でスタジオ盤唯一のイギリスでのチャートイン・アルバムになるも全米での順位は下がり、第6作の2枚組ライヴ盤『Steppenwolf Live』(Dunhill, 1970.4)が全米7位・全英15位と再び全米でも順位を上げた上にようやくイギリスでも健闘するも、第7作『Steppenwolf 7』(Dunhill, 1970.11)は全米19位・カナダ14位、第8作『For Ladies Only』(Dunhill, 1971.11)は全米54位と大きくセールスを落とし、バンドは一旦解散してしまいます。ステッペンウルフはアメリカと出身地のカナダ以外ではハード・ロックが人気のノルウェーでセールスを上げ、『Monster』8位、『Steppenwolf Live』9位、『Steppenwolf 7』10位、『For Ladies Only』13位とアメリカ、カナダでの人気下降時にバンドを支えましたが、いかんせん小国ノルウェーでの人気だけではバンドの維持はかないませんでした。その後ステッペンウルフは1974年には実質的にジョン・ケイのソロ・プロジェクトとして再結成され、2004年までにさらに7作のスタジオ盤、3作のライヴ盤をリリースしますが1曲のトップ40ヒットを除いてチャートに返り咲くことはなく、ライヴを中心に2018年まで断続的に活動し、2019年にジョン・ケイ自身が解散宣言を発表するまで継続しました。LP時代にはベスト盤も乱発され、輸入盤店の中古コーナーで『Reborn to be Wild』というタイトルのベスト盤を見かけた時は苦笑したものです。
 ステッペンウルフには5作の全米トップ10アルバム(うち1作トップ3ヒット)があり、7曲の全米トップ40ヒット(うち1曲は唯一の再結成後のチャートイン・ヒット)があり、うち全米2位の「ワイルドで行こう!」の他に1968年9月の「Magic Carpet Ride」が全米3位、1969年2月の「Rock Me」が全米10位とトップ10ヒット3曲、うち2曲がトップ3ヒットの成績を残し、「好き好きスー (Sookie Sookie)」や、「ワイルドで行こう!」とともに映画『イージー・ライダー』のサウンドトラックに使用された「ザ・プッシャー (The Pusher)」、アルバム第5作『Monster』のタイトル曲で三部構成・9分半におよぶ大曲「Monster」などの人気曲(第5作までの人気曲・代表曲は2LPの第6作『Steppenwolf Live』に網羅され、同作は当時としては珍しくライヴ盤ながら全米7位・全英15位のヒット作になりました)などの人気曲もあり、決して一発屋ではないのですが、批評家からの評価が低く、リスナーの人気も維持できなかったのは、どこかヒッピー・ムーヴメントの便乗バンドっぽく、安っぽいアルバム・ジャケット・デザインも含めて、頭の悪そうな(ステッペンウルフが好き、というと音楽の趣味が悪そうな)イメージがついてまわったことにありました。
ステッペンウルフ Steppenwolf - 好き好きスー Sookie Sookie (Don Covay) (Dunhill, 1968.2, MV) - 3:09 :  

ステッペンウルフ Steppenwolf - ザ・プッシャー  The Pusher (Hoyt Axton) (from the album "Steppenwolf", 1967.1/TV Broadcast Live '70's) - 5:43 :  

ステッペンウルフ Steppenwolf - マジック・カーペット・ライド Magic Carpet Ride (Kay, Rushton Moreve) (Dunhill, 1968.9/TV Broadcast) - 4:30 :  


 ステッペンウルフにはCD2枚組ベスト盤『ワイルドで行こう〜ステッペンウルフ・ヒストリー (Born to Be Wild - A Retrospective)』(MCA, 1991)があり、バンドの最後のスタジオ盤は1990年なので、ザ・スパロウズからジョン・ケイのソロを含め、1990年の最新作までステッペンウルフの全貌を手っ取り早く知るには最適なコンピレーションになっています。また2021年11月にはダンヒル時代のアルバム8作とシングル・ヴァージョンを集成した8枚組CD『Magic Carpet Ride (The Dunhill / ABC Years 1967 - 1971)』(Box Set, Compilation)がリリースされ、それまで単品CDやベスト盤のみに収録されたレアなシングル・ヴァージョンも集成され、詳細ブックレットと丁寧なマスタリング、編集でバンドの歩みを聴ける決定版ボックスです。しかし1974年以降の再結成ステッペンウルフはジョン・ケイ自身によるセルフ・トリビュート・バンド色が強く、観客が求めるのも『Steppenwolf Live』のセットリストの再現でした。レッド・ツェッペリンは「天国への階段」を、イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」を、ライヴで初演以降一度もセットリストから外せなかったそうですが、ステッペンウルフも「ワイルドでいこう!」を初演以来演らないライヴはなかったでしょう。残念ながらステッペンウルフの欠点は「何度も聴いていると飽きる」ことで、大学生のグラス・パーティーのBGMならともかく、一人で素面で聴いているとサウンドの深みのなさに飽きてくるのです。ジム・モリソン在籍時のザ・ドアーズも1967年~1971年に2枚組ライヴLP含めてステッペンウルフと同時期に7作を残し、グレイトフル・デッドも1967年~1972年に2枚組ライヴLP2作、3枚組LP1作を含め8作を残し、またイギリスのキング・クリムゾンは1969年~1974年に(ライヴ盤2作を除く)7作のスタジオ・アルバムを残しましたが、サウンドに深みのあるドアーズやデッド、クリムゾンが聴き飽きない高品質のアルバムを残したのとは対照的です。メンバーの力量で言えばステッペンウルフも十分上手いバンドでしたが、楽曲やアレンジの発想は乏しく、それがヒットに結びつきやすい明確なノリ(わかりやすさ)であったとしても、サウンドは単調になりがちでした。そして「このバンドの音は飽きる」と感じさせたら、これほど致命的な弱点はありません。またサンフランシスコ・サイケまっただ中にデビューしたカナダ出身のステッペンウルフはサイケ色・ヒッピー色が薄いのはともかくとして、ブルース、R&Bやフォーク、カントリーなどルーツ・ミュージックの素養が浅く、そこに生粋のアメリカン・バンドにはかなわない背骨の弱さがありました。

 しかしそれでもステッペンウルフは「ワイルドで行こう!」1曲で残るので、全盛期の7作も再結成後の7作もすべてはこの1曲に代表されていると言っていいものです。映画『イージー・ライダー』はアメリカン・ニュー・シネマ期を代表する作品(ただし傑作と呼べるかは疑問で、映画遺産に留まるものでしょう)ですが、「ワイルドで行こう!」をテーマ曲に使わなかったらそのインパクトも半減していたでしょう。一介のオルガン・ハードロック・バンドとしてステッペンウルフはその創造力ではヴァニラ・ファッジやアイアン・バタフライすらおよびませんが、ステッペンウルフにしか出来ないことをなしとげたのです。ステッペンウルフを嗤う者はステッペンウルフに泣く、いくら何でも有象無象のバンドより偉い、それが「ワイルドで行こう!」1曲にかかっていることでも、ステッペンウルフは讃えられていい存在です。それで十分ではありませんか。