小説は書き出しが命(ジッド編その2) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 ユベール
 火曜日

 五時頃、大気がひんやりしてきたので、ぼくは部屋の窓を閉めて、書き始めた。
 六時に親友のユベールが入ってきた。競馬場からの帰りだった。
 彼は言った、「おやっ!仕事かい?」
 ぼくは答えた、「『パリュード』を書いているのさ」
「何だい、そりゃ」--「本だよ」
「ぼくのためかい?」--「いいや」
「ややこしいものなのかい?」--「退屈なものさ」
「じゃ、何でそんなものを書くんだい?」--「ぼくでなきゃ、誰が書くもんか」
「また告白ものかい?」--「まあ、そうじゃないな」
「ならいったい何だい?」--「まあ座れよ」
 彼が座ると、ぼくはウェルゲリウスの詩を二行読んだ。
 El tibi magna satis quamvis lapis amnia nudus
 Limosoque palus obducat pascua junco.
「翻訳するよ。--ひとりの牧人がもうひとりの牧人に語りかけて、こう言う。『おまえの牧場はなるほど石ころだらけ、たぶん沼地だらけだろうけど、おまえにはそれで十分であり、満足できて、たいへん幸せだ』と。--牧場を変えるわけにはいかないとすれば、これ以上賢明な考えはあるまいと、きみは言うかな?……」
 ユベールは何も言わない。ぼくは言葉をつぐ。--
「『パリュード』ってのは、とりわけ、旅をすることのできない人の物語なのさ。--ウェルゲリウスではティーティルスという名前になっている。--『パリュード』ってのは、ティーティルスの牧場を所有して、そこから出ようとしないどころか、それに満足している人の物語なのさ。それはこんな調子だ……」
 ぼくは語る、……「一日目、彼は自分がそれに満足だと認めて、いったいどうしたものかと考えこむ。二日目、鳥の群れが飛んできたので、朝、四羽の黒鴨だか小鴨だかをしとめて、夕方、やぶの茂みのおぼつかない火で焼いて二羽を食べる。三日目、暇つぶしに大きな葦で小屋を一軒建てる。四日目、残りの二羽の黒鴨を食べる。五日目、小屋を解体して、もっと気の利いた家屋ができないものかと頭をひねる。六日目には……」
「もういいよ!」とユベールが言う、「わかったよ、きみも……せいぜいがんばれよ」彼は帰って行った。
 すっかり夜になっていた。ぼくは原稿を片づけた。夕食をせずに外出し、女ともだちのアンジュールの家を訪ねた。
 (若林真訳)

 数種の翻訳があるので一部他の訳書を参照して数か所わかりやすく訳文を改めましたが、以上はアンドレ・ジッド(1869~1951)の中篇小説『パリュード』(1895年刊)の冒頭の章「ユベール/火曜日」の約1/4、2ページ相当に当たる書き出しです。ジッドみずから「ソチ(茶番劇・風刺作品=コメディ)」と呼ぶ26歳の時のこの作品は、日記体の処女作『アンドレ・ワルテルの手記』(1891年刊)以来『ユリアンの旅』(1893年刊)、『愛の試み』(1893年刊)とエッセイ、批評、紀行文ばかり書いてきたジッドにとって初めての小説的性格を備えた作品になりました。もっともその後「詩的散文」の『地の糧』(1897年刊)、中篇「ソチ」の『鎖を解かれたプロメテ』(1899年刊)、2作の戯曲を経て、ジッドがようやく「レシ(中篇小説=人間ドラマ)」と称した小説らしい小説を書いたのは刊行当時黙殺された1902年刊の『背徳者』、小説家として認められたのは(1907年刊のレシ『放蕩息子の帰宅』を経た)レシ第3作『狭き門』(1909年刊)なので、『パリュード』はその続篇的性格の『鎖を解かれたプロメテ』とともに、まだジッドの習作期の戯作と見なせます。冒頭部分で打ち出されているように、この小説は「パリュード」(ラテン語由来の言葉で「泥沼」)というタイトルの小説を書いている文学青年の火曜日から日曜日までのパリの文学青年仲間との交流を六日間に渡って描いたパロディー的性格の強い小説で、それは主人公の語り手が「一日目、二日目……そして六日目には」と親友ユベールに語る「パリュード」のプロットと照応しています。冒頭2ページ相当に当たるこの書き出しはあらかじめ作品構成を明らかにした巧みな伏線となっており、作者がもっとも工夫を凝らした会心の書き出しと言っていいでしょう。「パリュード」という創作を書いている主人公の手記がそのまま『パリュード』という作品をなしている、また随所に主人公が書き進めている「パリュード」が挿入されているという「紋中紋」の形式の、素朴ながら作者の明快な意図によるメタフィクション小説と言ってよいでしょう。
 匿名出版されたジッド21歳の時の処女作『アンドレ・ワルテルの手記』は、姉妹編をなす詩集『アンドレ・ワルテルの詩』とともに、アンドレはジッド自身の名前から、ワルテルはゲーテの『若きウェルテルの悩み』の主人公ウェルテルのフランス語型で、狂死または自殺した文学青年の遺稿手記(日記)という体裁を取った、プロットもストーリーもなく、ジッドの生の精神的懊悩をそのまま映したものでした。匿名出版による架空の主人公の手記という形式の文学作品はトマス・チャタートン(1752~1770)の昔からロマン主義時代のマイナー詩人がよく用いたもので、『アンドレ・ワルテルの手記』の10年後のヘルマン・ヘッセの処女作『ヘルマン・ラウシャー(青春彷徨)』も同じ体裁を取っています。ジッドはその後本名で『ユリアンの旅』『愛の試み』を発表しますが、テーマはより集中した内容に絞られながらも、ジッド自身の内面吐露の延長にありました。『パリュード』で初めてジッドは語り手である主人公とジッド自身を切り離すことに踏み出したので、それによって戯画的に客観化されたジッド自身と、19世紀末パリの文学青年たちの青春群像をようやく描き出すことに成功しています。それには従来のジッド自身の作品をパロディー化する作業が必要でしたが、あえて大胆なパロディー(「ソチ(茶番劇・風刺作品=コメディ)」)とすることで『パリュード』というメタフィクションは成立したので、次作の『地の糧』が「詩的散文」の形式に戻りながら、より意志的な、『アンドレ・ワルテル~』『ユリアンの旅』『愛の試み』の文学青年的告白にとどまらないマニフェスト的作品になったという具合に、ジッドの発展をたどることができます。文庫版で100ページほどの『パリュード』はそのように面白く、「ソチ」次作『鎖を解かれたプロメテ』同様20世紀文学を先取りしたジッドのおとぼけ小説で、のちの大作にして「ソチ」第3作『法王庁の抜け穴』(1914年刊)、ジッドが唯一の「ロマン(本格的長篇小説)」とした『贋金つくり(贋金つかい)』(1926年刊)でさらに大規模に拡張される端緒を刻んだ作品です。ジッドの作品系列はあまりに放射状的に多彩で、読者を困惑させるようなものですが、今日ジッドを読む読者には『背徳者』『狭き門』『田園交響楽』『女の学校』のようなシリアスな心理小説(「レシ」)よりも、『パリュード』『鎖を解かれたプロメテ』(またより挑発的な大作『法王庁の抜け穴』『贋金つくり』)のようなウィットの効いた冗談小説の方が、この食えない作家の本質にして最良の面を楽しめるように思えます。