かつて'60年代に「文藝春秋」が行った著名人への「実は読んでいない本3冊」アンケートで、哲学者の中村雄二郎氏は『存在と時間』(ハイデガー)、『知覚の現象学』(メルロ=ポンティ)、『存在と無』(サルトル)を上げ、吉行淳之介氏は『聖書』『資本論』『源氏物語』を上げて喝采を浴びたそうですが(この「実は読んでいない本比べ」はイギリスの作曲家・推理作家のエドマンド・クリスピン1946年の代表作『『消えた玩具屋 (The Moving Toyshop)』で、監禁された主人公とその友人のひま潰し遊びでも披露されています)、少女マンガ誌「花とゆめ」で‘80年代~′90年代の看板作家だった川原泉さんの代表作『笑うミカエル』(昭和62年/1987年)でヒロイン三人組が読書課題で取り組んだ『源氏物語』への感想は実に身も蓋もないもので、今なお苦笑せずには読めません。
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学生時代の坪内逍遙がイギリス人教授のシェイクスピア授業を受けて登場人物を善悪に分ける感想文を提出し、「文学作品の読み方は登場人物の道徳的判断ではない」と一蹴を食らって文学作品の自律性について蒙が開けたとは明治文学史でよく引用されるエピソードですが、シェイクスピアよりさらに6世紀以上昔の『源氏物語』、しかも筆記伝承によって原文の改竄が激しいものとなると、主要登場人物たちの性格の一貫性や言動に複数作者による粉飾や矛盾や誇張が著しいため、こうした解釈も出てきます。筆者も2,500ページもの『源氏物語』は、王朝文学の研究書や与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子の現代語訳以外に原文そのものに当たったのは、江戸時代に木版本で流通されて古典文学の教養として広く読まれた北村季吟編集・校訂版『源氏物語湖月抄』(講談社学術文庫で註釈を増補し翻刻)を学生時代に読んだきりです。あれはさまざまな異文を整理し一貫した本文にまとめ的確な註釈が施された良い本でした。一応買い直して手元に置いてありますが、真の『源氏物語』についての感想は、あまりにおびただしい異文、成立事情の複雑さのためにお手上げで、たぶん一生もて余して終るという気がします。
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