アポリネールの最初と最後(前)「地帯」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Guillaume Apollinaire (1880.8.26. - 1918.11.9)
La Muse inspirant le poète. 
Le couple Laurencin-Apollinaire
peint par le Douanier Rousseau en 1909


 地帯
 ギョーム・アポリネール

とうとうお前はこの古い世界が嫌になった

羊飼いの娘 おおエッフェル塔よ 橋の群れは今朝鳴きわめく

もうたくさんだ ギリシアやローマの時代に生きるのは

ここでは自動車さえも古くさい
宗教だけがまだまあたらしい 宗教は
空港の格納庫のように単純な姿でのこっている

たった一つおまえだけがヨーロッパで古代のものでない おおキリスト教
もっとも近代的なヨーロッパ人 それはあなた 法王ビオ十世
だのにおまえは窓々に見られているのが恥ずかしくて
今朝 教会へはいってゆくことも告戒することもできない
おまえは読む 大声で歌っているちらしを カタログを ポスターを
それが今朝の詩 そして散文だったら新聞が
二十五サンチームだせば 警察ざたや
偉い人の写真や いろいろみだしでいっぱいの雑誌がある

ぼくは今朝美しい街を見た その名前はもう忘れたが
まあたらしく清潔で それは太陽のラッパ手だった
重役や労働者や美しい速記タイピストたちが
月曜の朝から土曜の晩まで 日に四回そこを通ってゆく
朝には三度サイレンがうなり
正午ちかくには気の短い鐘ががんがん鳴る
標識や告示だのが鸚鵡のようにわめきたてる
ぼくはパリのオーモン・ティエヴィル通りのあいだにある
その工場街のやさしさが大好きだ

そうだ若い街があり おまえはまだ小さな子供でしかない
おふくろは青と白の着物しかきせてくれない
おまえはたいへん敬虔な子で いちばん古い仲間のルネ・ダリーズがいっしょにいる
二人とも教会の壮麗さがなにより好きだ
九時になり ガスの炎が細くなって真青になると 二人はこっそり寄宿舎の寝室から抜けだして
夜通し学校の礼拝室で祈る
キリストの燃える光輪が
紫水晶の色をした永遠のあがむべき深遠なものとなってまわりつづけるあいだ
それはぼくらみんなの育てる美しい百合の花
それは風も吹き消さない赤毛のたいまつ
それは悲しみの母親の青白い朱色の息子
それはいつもあらゆる祈りの茂った木
それは栄誉と永遠の二重の腕木
それは六つの技をもった星
それは金曜日には死んで日曜日には蘇える神
それは飛行士よりも空たかく昇るキリストだ
彼は世界の高度記録を保持している

目の瞳孔キリスト
諸世紀の第二十代目の孤児 彼はなかなか頭がいい
そこで今世紀は鳥のすがたに身をやつして空に昇る イエスのように
深淵の悪魔たちは彼を見ようと頭をもたげる
彼らは言う 奴はユダヤの魔術師シモンのまねをしているのだ
彼らは叫ぶ あいつは飛べる だから泥棒と呼ぼう
天使たちはこのすてきな空中の曲芸師のまわりを飛行する
イカロス エノク エリヤ ティアナのアポロニオスたちは
最初の飛行機のまわりの空中を漂う
彼らはときどき聖体が輸送する連中
聖体のパンを捧げもって永遠に昇ってゆく司祭たちを通すため道をあける
ついに飛行機は翼をひろげたまま着陸する
すると空は何百万羽の鳥でいっぱいになる
鴉が 鷹が 梟が 羽ばたきしながらやってくる
アフリカからは朱鷺が 紅鶴が 鶊鶴が
物語作者や詩人たちで有名なロック鳥は
人類最初の頭 アダムの頭蓋を爪のあいだにつかんで空を舞う
鷺は地平のから大きな叫び声をたてながら
そしてアメリカからは小さな蜂雀がやってくる
中国からはつがいになって飛ぶ片羽根の鳥
長くてしなやかな比翼がきた
つぎには琴鳥と蛇の目模様の孔雀をしたがえて
精霊の鳥 鳩が
自らを産みだす火刑台の鳥フェニックスは
一瞬その灼熱の灰ですべてをおおう
人魚鳥たちは危険な海峡を後にして
三人声をあわせてやさしく昔をうたいながらやってくる
そして鷲も フェニックス 中国の比翼も
すべて鳥たちはみんなこの空飛ぶ機械の仲間になる

いまやおまえはバリにいて たった一人で群集のなかを歩いている
バスの群れがうなりをあげておまえのわきを走ってゆく
恋の苦しみがおまえの喉をしめつける
もうけっして愛されることがないかのように
昔だったら修道院入りでもするところだが
きみたちは思わず祈りの言葉を口にしている自分に気がついて恥じる
おまえは自分を嘲り おまえの笑いは地獄の火のようにはぜる
笑いの火花がおまえの生の奥底を金色に染める
それはうす暗い美術館の壁にかけられた一枚の絵だ
そしておまえはときどきそれをまぢかに眺めにゆく

今日おまえはバリを歩いている 血にまみれた女たち
それは思い出したくはないが 美の終りのことだった

燃えるに焔につつまれてノートル=ダムはシャルトルでぼくを見つめていた
モンマルトルではあなたの聖心の血がぼくをひたした
至福の言葉をきいてぼくは病んでいる
ぼくの苦しんでいる愛は恥ずかしい病なのだ
おまえにつきまとう面影は不眠と苦悩のうちでおまえを生きつづけさせる
その面影はいつもおまえのそばを通ってゆく

いまおまえは地中海の海岸にいる
一年中花を咲かせているレモンの木の下に
仲間たちといっしょに舟を乗りまわす

一人はニース 一人はマントン あとの二人はラ・テュルビーの男
ぼくらはこわごわ水底の蛸を眺める
そして藻のあいだには救世主の形をした魚が泳いでいる

おまえはブラハの郊外の宿屋の庭にいる
おまえはすっかり幸福だ テーブルの上には一輪の薔薇があり
おまえは散文のコントを書きもしないで
薔薇の芯のなかに眠る害虫の姿を見つめている

恐怖をもっておまえは聖ヴェート寺院の瑪瑙のなかに描かれた自分の姿を眺める
それを見た日おまえは死ぬほど悲しかった
おまえは日の光を見て狂乱したラザロに似ている
ユダヤ人街の大時計の針は逆にまわり
おまえもまた人生のなかをゆるやかに後退してゆく
プッチーンの丘へのぼり 夜には
居酒屋でチェコの歌に耳をかたむけながら

マルセイユで 西瓜にとりまかれているおまえ

コブレンツで 巨人の館にいるおまえ

ローマで びわの木の下に腰かけているおまえ

アムステルダムで おまえだけが美しいと思っている娘といるおまえ
その娘はライデンのある大学生と結婚するはずだ
あそこでは「貸間」の貼り紙もラテン語 Cubicula locanda
ぼくはあそこに三日 それからハウダにも三日いたのを思い出す

おまえはバリで子審判事のところにいる。
罪人として逮捕されるというわけだ

おまえは苦しい旅 うれしい旅をした
虚偽や年齢に気がつくまえに
二十歳のときも三十歳のときも恋に悩んだ
ぼくは馬鹿みたいに生きて時を無駄にすごした
おまえはもう自分の手が見られない そしていつだってぼくは泣きたいんだ
おまえのこと ぼくの愛する女のこと おまえを怖がらせたすべてのもののことで

おまえは涙でいっぱいの目であのあわれな移民たちを見ている
彼らは姉をしてお祈りをする女たちは子供に乳を飲ませている
彼らの体臭でサン・ラザール駅の構内はいっぱいだ
彼らは東方の博士たちのように自分の星を信じている
彼らはアルゼンチンで金をもうけ
一財産つくって国に帰ることを願っている
ある家族はきみらが心臓を持ち運ぶように 赤い羽根ぶとんをもってゆく
羽根ぶとんも そしてぼくらの夢も どちらも現実にはないものだ
移民たちのうちの幾人かはここにとどまり
ロジェ街やエクープ街のあばら屋に住みつく
ぼくはよく見た 晩になると彼らが往来に出て風にあたり
そして将棋の駒のようにめったに動かないのを
たいていはユダヤ人で女たちはかつらをつけ
店の炎に血の気のない顔をしてじっと坐っている。

おまえはいかがわしいバーのスタンドの前に立っている
あわれな遠中にまじって2スーのコーヒーを飲んでいる

おまえは夜おそく一軒の大きなレストランにいる

あの女たちもたちが悪いわけではない いろいろと悩みが あるのだ
いちばん醜い女でさえみんな男を苦しめたことがある
あのはジャージーの巡査の娘だ

ぼくが見たことがなかった彼女の手は 固くてひびが切れている

ぼくは彼女の腹の傷痕がかわいそうでたまらない

ぼくはいまぼくの唇をすさまじい笑い方をするあわれな娘に差し出す

おまえは一人だ もうすぐ朝がやってくる
道では牛乳屋が罐をガタガタ鳴らす

夜は美しいメティヴのように去ってゆく
あれは嘘つきのフェルディーヌか用心深いレアだ

そしておまえは飲む おまえの生命のように燃えるこのアルコールを
火酒のようにおまえが飲むおまえの生命

おまえはオートゥイユにむかって歩いてゆく 家まで歩いて帰り
オセアニアやギニアの彫像のあいだで眠るつもりなのだ
それらは別の形の別の信仰のキリスト
漠然とした希望の下等なキリストだ

さようなら さようなら

太陽 切られた首

(原題"Zone"、滝田文彦訳)

 この長大な詩篇「地帯」はポーランド国籍のフランス詩人、ギョーム・アポリネール(1880-1918)の本格的な第一詩集『アルコール (Alcohol)』1913の巻頭を飾る詩篇で、1898年~1913年までの詩篇51篇を収録した同詩集は著名な「ミラボー橋」を始めとしてアポリネール生涯の代表作となった詩篇ばかりと言っていい傑作詩集ですが、形式・内容ともにもっとも奔放な長詩「地帯」を巻頭に置いたのはアポリネールの並々ならぬ自信が感じられます。詩集中ではもっとも最新作に数えられますが、他ならない第一詩集の巻頭作に据えられたことによって、この「地帯」こそがアポリネールの自負する最初の到達点と見做していいでしょう。かなりの長詩ですが連の分け方は勝手気ままで、内容的には少年時代から「地帯」執筆時までの自伝的作品と言えるものですが、整然とした構成など意に介さないユーモラスで自由連想的な展開が、波瀾万丈の放浪詩人アポリネールの自画像を自然に形成しています。19世紀後半にボードレールの『悪の華』1957が『悪の華』以前・以後と言えるほどの位置を占めたように、20世紀フランス詩は『アルコール』以前と以後と目せるほどの詩集の、その画期性を代表するのがこの「地帯」です。

 1913年(大正2年)に刊行された詩集『アルコール』がフランス詩史上で占める位置は、日本で言えば北原白秋(『思ひ出』明治44年/1911年)、山村暮鳥(『三人の處女』大正2年/1913年)、高村光太郎(『道程』大正3年/1914年)、萩原朔太郎(『月に吠える』大正6年/1917年)、佐藤春夫(『殉情詩集』大正10年/1921年)を合わせたほどになるでしょうが、「地帯」に見られるコスモポリタン感覚はフランス留学経験のある高村光太郎の一部の詩に見られるだけで、亡命ポーランド貴族の母の私生児としてローマに生まれ、フランス帰化後もヨーロッパ諸国を巡り歩いたアポリネールほどの国際感覚を備えた詩人はその後の日本の現代詩でも西脇順三郎、金子光晴くらいでしょう。アポリネールの生涯については先に後期の恋愛詩篇をご紹介した際に触れましたが、アポリネールほど人生を肯定的に謳歌した詩人は稀でした。それはもともと外国人でフランスに帰化した経歴にもよるものもあるでしょうが、19世紀初頭のロマン主義、また象徴主義以降のヨーロッパの文芸思潮が陥っていた(だからこそ急進的な発展を見た、とも言えますが)自意識中心の発想を大らかに突破する役割を果たすことになりました。その点でアポリネールと同時代の日本の詩人はまだ自意識の文学化が課題だったので単純な比較はできませんが(1913年は石川啄木が夭逝した翌年、萩原朔太郎が詩を書き始めた年です)、110年を経て『アルコール』は何度立ち返ってもいい現代詩の原点の一つです。この野放図な詩「地帯」は今なお詩の未来を示す羅針盤です。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)