アポリネールの恋愛詩篇 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Guillaume Apollinaire (1880-1918)
 ルウへ
 ギョーム・アポリネール

とてもいとしい可愛いいルウきみが好きだ
いとしく可愛いいおののく星よきみが好きだ
おいしそうなこりこりしたからだきみが好きだ
クルミ割りみたいに締めつける女陰きみが好きだ
ばら色でとってもいばった左の乳房きみが好きだ
とてもやさしくばら色がかった右の乳房きみが好きだ
なめらかなシャンパン色の右の乳首きみが好きだ
生れたての仔牛のひたいのこぶのような左の乳首きみが好きだ
あんまりきみが触るので大きくなった小陰唇きみが好きだ
ぐっとでっぱったえもいえぬすばしっこいお尻きみが好きだ
くぼんだ暗いお月さまみたいなおへそきみが好きだ
冬の森のように明るいちぢれ毛きみが好きだ
生れたての白鳥みたいにうぶ毛に蔽われたわきのしたきみが好きだ
ほれぼれするほど清らかななだらかな肩きみが好きだ
古代の円柱のように芸術的な腿きみが好きだ
メキシコの小さな宝石のようなまくれた耳きみが好きだ
愛の血にぬれた髪きみが好きだ
たくみな足こわばる足きみが好きだ
騎手のような腰ちからある腰きみが好きだ
コルセットなんか着けたことのないしなやかな胴きみが好きだ
すばらしく仕上った背中ぼくのためにしなった背中きみが好きだ
口おおぼくの歓喜おおぼくの甘露きみが好きだ
無比のまなざし星のようなまなざしきみが好きだ
手ぼくの熱狂するその動ききみが好きだ
とても貴族的な鼻きみが好きだ
うねるような踊るような物腰きみが好きだ
おお可愛いいルウきみが好ききみが好き

(原題"à Lou"、大槻鉄男訳)

 この恋愛詩は発表を意図して書かれたものではなく、ポーランド系のフランス詩人ギョーム・アポリネール(1880-1918)が第一次世界大戦従軍中に配属された連隊から当時の恋人、ルイーズ・ド・コリニー=シャテイヨンこと愛称ルウ宛ての手紙に同封していた詩篇です(1915年4月8日付け)。貴族出身で驕慢な美女だったというルウとアポリネールが軍人主催の夜会で出会ったのは従軍志願中の1914年9月27日で、出会った翌日からアポリネールはルウを手紙攻めにし、同年12月にようやく従軍志願受理とともにルウを口説き落としたアポリネールは、以降連隊寮や戦地からルウへ手紙と詩をひっきりなしに送り続けます(1914年9月28日から1916年1月18日までの間に220通)。ルウとの恋愛は数度目の逢い引きを重ねたのちの1915年4月にルウからの拒絶で終わり、アポリネールはすぐにあらたな恋人を作るもルウへの手紙は送り続けました。女好きだったアポリネールは、前線で受けた頭部の負傷から療養のためパリに戻り、38歳で亡くなる1918年11月9日までに、さらに婚約者2人、 平行して少なくともさらに2人の愛人の間を渡り歩きますが、ルウへの手紙に同封されていた恋愛詩篇はアポリネール没後、全集編纂とともに『ルウ詩篇 (Poèmes à Lou)』1955として、82歳の長寿をまっとうしたルウの生前に、単行詩集にまとめられています。ルウとの関係で言えば、これはアポリネールがルウに振られる直前に書き送った詩ですが、ルウの方はアポリネールを振っても220通もの恋愛詩入りの手紙を40年あまり保管していたわけで、生前のアポリネールはルウと別れたあと友人の貴族夫人に「ルウに贈った詩はこの二年間のぼくの詩では最上だと思う」と話していたそうですから、ルウに送る前にも親しい間柄の人には恋愛自慢がてら見せることがあったのかもしれません。大槻鉄男氏の訳詩は昭和40年(1965年)7月の「本の手帖」誌の特集「文学とエロティシズム」で発表されたもので、句読点のない原詩の効果を生かした素晴らしい翻訳です。

 アポリネールは大詩人ですのでことさらここで経歴をたどるまでもないでしょうが、38歳の生涯を楽しむだけ楽しんで早逝した太陽のような詩人でした。匿名で『ミルリーまたは安価な小さい穴 (Mirely ou le Petit Trou pas cher)』1900(原稿散佚)、サドの翻案『一万一千本の鞭 (Les Onze Mille Verges)』1907を始めとしたポルノ小説を6冊も書けば、SF/ファンタジー的奇想小説の傑作『腐ってゆく魔術師 (L'Enchanteur pourrissant)』1909、『異端教祖株式会社 (L'Hérésiarque et Cie)』1910(短篇集、ゴンクール賞候補)、『虐殺された詩人 (Le Poète assassiné)』1916(短篇集)や戯曲『ティレジアスの乳房 (Les Mamelles de Tirésias)』1917も書き、生前刊行詩集は『アルコール (Alcools)』1913(1898年-1913年の詩篇を収録)、『カリグラム、平和と戦争の詩篇 1913-1916 (Calligrammes, poèmes de la paix et de la guerre 1913-1916)』1918の2冊に数冊の小詩画集があるだけでしたが、没後刊行詩集は7冊を数えます。無名時代のアンリ・ルソーやピカソと友人になり発表前に『アビニヨンの娘たち』も見て美術批評も書けば、マリー・ローランサンとは5年におよぶ恋愛関係を結びます。文芸批評ではいち早くコレットを賞讃すれば、1911年8月のルーヴル美術館のモナ・リザ盗難事件では窃盗団一味の一員の嫌疑がかけられ冤罪で入獄しています。窃盗団の首謀者は美術品窃盗密売をアルバイトにしていたアポリネールの秘書で、その首謀者がベルギーへ逃亡したあと事実を明かしたために嫌疑は晴れて釈放されましたが、アポリネール釈放運動を起こしていたピカソもアポリネールも当時外国籍だったため大衆からの偏見と反感を買うことになり、またローランサンとの恋愛も終わってしまいます。アポリネールは友人たちの応援を得て新作詩篇の創作に励み、18歳から33歳までの15年間の詩篇をまとめた、句読点の一切ない自由詩の本格的な第一詩集『アルコール』を1913年(大正2年)に刊行します。一躍時の人になったアポリネールはいよいよ旺盛な文筆活動に乗り出し、1914年8月の第一次世界大戦勃発にはみずから進んで従軍を志願します。それからはルウとの関係で触れた通りですが、アポリネールが戦線に出ているうちにダダイズム~シュルレアリスムの新鋭詩人たちの間でアポリネールは崇拝の対象となり、アポリネールも新作詩篇やシュルレアリスム論、シュルレアリスム短篇集『虐殺された詩人』、シュルレアリスム演劇『ティレジアスの乳房』で新鋭詩人たちの期待に応え、またジャン・コクトーやエリック・サティとの親睦も深めます。絶え間ない恋愛(そして膨大な恋愛書簡と恋愛詩篇)、多作、芸術運動、スリリングな従軍とアポリネールは人生を謳歌した挙げ句、戦地での負傷の後遺症を抱えたままスペイン風邪(インフルエンザ)で急逝しましたが、多くの友人と愛人に恵まれ、喜びと楽しみに満ちた人生を送った人でした。ルウの次にはアルジェリア人女性マドレーヌ・パジェスと恋愛してやはり200通もの手紙を送り婚約まで進むも(『マドレーヌへの秘めごとの詩篇 (Poèmes secrets à Madeleine)』没後1949年刊行)従軍中に婚約は立ち消えになり、平行して少なくとも二人の愛人を渡り歩くも、1916年3月には戦地で頭部に流れ弾を受け腫瘍に悪化、除隊して開頭手術のためパリの病院に転院します。そこで見舞いに来た、従軍以前から周知だった女性、ジャクリーヌ・コルブと恋愛関係になり、ジャクリーヌはアポリネール最後の女性となりました。没年の1918年(大正7年)4月には『アルコール』以降の第二詩集『カリグラム』が刊行され、5月2日にはピカソと友人の美術商の立会でジャクリーヌと結婚、コクトーからエジプト美術を贈られますが、11月9日には結婚半年足らずで急死してしまいます。ワクチン開発前のこの1918年~1920年のインフルエンザ(スペイン風邪)は当時の世界人口約18億人のうち5億人以上が感染し、死者1億人以上におよび第一次世界大戦の終結を早めたとさえ言われ、日本でも当時の人口5500万人に対し約2400万人が感染し、40万人の死者を出した人類史上最大の感染症被災でした。

 アポリネールがフランス詩史上で占める位置は、日本で言えば北原白秋(『思ひ出』明治44年/1911年)、山村暮鳥(『三人の處女』大正2年/1913年)、高村光太郎(『道程』大正3年/1914年)、萩原朔太郎(『月に吠える』大正6年/1917年)、佐藤春夫(『殉情詩集』大正10年/1921年)を合わせたほどになるでしょう。アポリネール自身が太陽のように輝き、その詩はいつも太陽に向いて咲く向日葵のようでした。生の全面的肯定、そしてそれを生きることに生涯を捧げたアポリネールは、ボードレールの『悪の華』1957以降、内省的な自意識抜きには現代詩たり得なかったフランス詩の思潮を振り切って、開けた生の喜びに立ち返らせるものでした。発表を意図せず、しかも人目に触れることも厭わず書かれた「ルウへ」は確かにエロティシズムの性愛・愛欲詩でしょう。中学生や高校生が国語の宿題で提出したら親御さんが呼び出されるような詩です。しかしこの詩篇「ルウへ」は天下へ晒して恥じることのない、アポリネールの真情のこもった、大らかなユーモアすら感じられる素晴らしい恋愛詩です。北原白秋がユートピア的幼年時代を詠った『思ひ出』、高村光太郎の詩では文学・芸術仲間とのすき焼きパーティーを詠んだ「米久の晩餐」と、当時の日本の詩人が制限された題材のみでかろうじて詠み得た領域でしか詠い切れなかった生の全面的な肯定感において(白秋にも高村にも男女の性愛について当時の基準でぎりぎり迫った詩篇はありますが)、アポリネールは何の顧慮もせず、ずばり性愛そのものを詠いあげます。それが自分からの一方的な思慕であれ(実際には相手の女性と恋愛関係に進んでからの詩篇ですが)、アポリネールはひるみません。この驚異的な詩人には性愛と全身全霊の愛に分裂がないからです。そこにこの恋愛詩の真の自由の感覚があり、アポリネールの幸福があります。それだけは疑いようのないことです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)