トリスタン・コルビエール「夜のパリ」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Tristan Corbière (1845-1875)
"Les Amours jaunes", 1873


 夜のパリ
 トリスタン・コルビエール

 これは市ではない。世界なのだ。

海だ。なんという静かな海だ。
潮はいまや、はるか彼方に轟き、遠のこうとしている。
波は鈍い音をたてて岸辺へ戻る。
聞こえないか 夜の蟹の引っ搔く音が。

ここは乾いた冥府の河だ。
屑屋のディオゲネスが手にカンテラを持ってぶらぶらやって来る。
へそ曲りの詩人たちは黒い流れにいつまでも漁をする。
彼らの空っぽの頭蓋は餌箱にもってこいだ。

ここは野原だ。身の毛もよだつような怪鳥が
穢らしいボロを拾うために羽ばたきながら旋回する。
猿の奴が鼠をめがけて、あの夜の収穫者たち、
ボンディの少年たちから逃げだす。

ここは死だ。お巡りがやられた。二階の部屋では、
女が肥った腕の肉を吸いながら憩う。
女の接吻は赤い染みを残す。
あるものは時間だけだ。お聞き、夢は身動きひとつしない。

ここは生だ。お聞き、死体置き場のベッドの上に目を大きく開いて、横たわった
真っ青な手足をした海神のねばつく頭の上で
清らかな水が永遠の唄を歌う。

(原題"Paris nocturne", 篠田一士訳)

 トリスタン・コルビエールはフランスの港町、ブルターニュ圏プルジャンに海軍士官にして海洋小説家の父のもとに生まれ、長じてパリのモンマルトルで詩作活動を行いましたが身近な詩人仲間以外にはほとんど知られず、28歳の1875年に父の援助で唯一の詩集『黄色い恋 (Les Amours jaunes)』を自費出版するも反響は皆無で、極貧で不規則な生活から少年時代に罹患していた関節リウマチの悪化、結核の悪化によって30歳の誕生日まで四か月前の1875年3月に29歳で亡くなりました。没後ほぼ10年近く経って、ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)の詩人論集『呪われた詩人たち (Les Poètes maudits)』1884に、当時まだ無名だったアルチュール・ランボー(1854-1891)、ステファヌ・マラルメ(1842-1898)、マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモール(1875-1859)、ヴィリエ・ド・ リラダン(1838-1889)、そしてポーヴル・レリアン(ポール・ヴェルレーヌのアナグラム)ことヴェルレーヌ自身と並んで評伝と作品紹介が行われ、また自然主義手法で書かれた耽美主義小説の奇書として話題作となったJ・K・ユイスマンス(1848-1907)の長篇小説『さかしま (À rebours)』1884の主人公の愛読書として作中に『黄色い恋』が上げられたことから再評価の声が高まり、『黄色い恋』は1891年、1903年、1912年、1920年、1926年、1931年、1941年、1943年、1947年と版を重ね、1920年版以降は詩集未収録詩篇を増補していき、1953年版以降はほぼ現存する詩篇を集成したコルビエール生涯の全詩集となっています。また公私に渡ってランボーの友人だった放浪詩人ジェルマン・ヌーヴォー(1851-1920)や没後50年にして再発見されるようになったロートレアモン伯爵(イジドール・デュカス、1846-1870)ともども20世紀のフランス詩人たちによってコルビエールはダダ~シュルレアリスムの先駆者と見なされるようになりました。日本でも上田敏(1874-1916)の『牧羊神』1919(没後刊行)で紹介されたのを始めとして、中原中也がランボー、ヴェルレーヌ、ジュール・ラフォルグ(1860-1887)とともにコルビエールを愛読し、『呪われた詩人たち』のコルビエールの章ともども数篇を訳出していたことでも知られます。

 鈴木信太郎訳で『呪われた詩人たち』が昭和26年(1951年)に全訳され、ユイスマンスの『さかしま』が昭和37年(1962年)に澁澤龍彦訳で全訳され、またロートレアモンが'50年代には全訳されて以降に散文詩集『マルドロールの歌』だけでも7種、『ロートレアモン全集』が4種に渡って刊行され、ラフォルグが'80年代には全訳されても、コルビエール詩集の全訳が2019年の『アムール・ジョーヌ』 (小澤真訳、幻戯書房ルリユール叢書、ただし初版詩集版の全訳)までかかったのは知名度が低く文学的な重要性・革新性において劣るとされていたからですが(ラフォルグは20世紀にはむしろイギリス、アメリカのモダニズム詩人たち、エズラ・パウンドやT・S・エリオット、ハート・クレインらに影響を与えました)、それに加えて詩集の大部さにも全訳刊行が遅れた原因がありました。現行の増補版以前の初版でも、シャルル・ボードレール(1821-1867)が晩年までかけて増補改訂決定版(実質的に散文詩以外の全詩集)『悪の華』と同じくらい浩瀚な詩集なのです。せっかくの単行詩集全訳ですから幻戯書房版『アムール・ジョーヌ』も増補全詩集版で訳出してほしかったところですが、もともと大冊の詩集なので初版翻訳にとどめるのが昨今の出版事情ではせいぜいだったのでしょう。かつて昭和33年(1958年)から昭和38年(1963年)までかけて全18巻が刊行された文学全集『世界名詩集大成』は第2巻~第5巻の4巻を「フランス編」に当てて総計120冊もの詩集を収録し、象徴主義時代の詩集を中心とする第3巻「フランス編2」昭和39年(1959年)は福永武彦訳ボードレールの『悪の華』を始めとして26冊の詩集を収録、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメなどは全訳が収められましたが、コルビエールの『黄色い恋』(篠田一士訳)は5ページほどの抄出収録でした。8ポイント活字三段組で5ページですから1段組なら20ページ程度にはなるとしても、初版詩集でも悠に500ページ(幻戯書房版)にも上る詩集からさらに増補された全詩集版『黄色い恋』から20ページ程度、しかも短詩2篇、連作長詩1篇のたった3篇では詩集の全容はわかりません。それでも詩歴50年、象徴主義時代からダダ時代までを生きたジェルマン・ヌーヴォー(ヌーヴォーはランボーがもっとも信用した友人で、ヴェルレーヌと別れた後のランボーと同居し、ランボーが詩壇や詩作とも決別する際に『イリュミナシオン』の原稿を託した詩友です)よりは紹介に恵まれた方ですが、ここに平凡社版に収められた故・篠田一士氏の訳でご紹介した「パリの夜」は、『黄色い恋』初版には含まれず(つまり初版詩集全訳の幻戯書房版『アムール・ジョーヌ』には含まれず)、1920年以降の増補改訂版で追加された詩集未収録のコルビエール晩年近い時期に書かれた詩篇で(フランス語版ウィキペディアによる)、全5連を巧みな視点の移動によって展開していき、全19行(4行4連・最終連3行)に生と死の交差を描き出しています。中原中也の詩篇で言えば、遺作詩集『在りし日の歌』の名高い「骨」(「ホラホラ、これが僕の骨だ」)を連想させます。中原全集の日記編に「世界に詩人はまだ三人しかをらぬ。/ヴェルレエヌ/ラムボオ/ラフォルグ/ほんとだ!三人きり」とよく引用される一節を残していますが(また中原はもっとも敬愛する高橋新吉について「高橋新吉/まあなんと調子の低い作品を残したのだらう?/世界中で一番調子の低い!/それが、彼の素晴らしさ!」とも書いています)、高橋新吉的なダダの痕跡もある笑えないブラック・ユーモア詩「骨」にはヴェルレーヌでもランボーでもラフォルグでもない、コルビエールの詩の反響があるように思えます。

 父のお伴をして舟遊びで少年時代を送ったというコルビエールには、詩集では海と水夫(海の男の生活、そして海難事故や水死)のテーマが目立つのですが、この詩篇「パリの夜」では遠い海辺から始まり、「冥府」を経てパリの街中にいたる、巧みな構成が全5連・20行にも満たない短詩に豊かな想像力を盛りこんでいます。コルビエールも初版『悪の華』1857以来ボードレールが切り拓いた象徴主義詩の時代の詩人であり、マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボーらに交じって象徴主義の、いわば落ちこぼれ的な位置にいた詩人ですが、落ちこぼれゆえにポスト象徴主義の自由詩詩人、ラフォルグの先駆をなす独自の傍流的作風を確立していたと言えます。この詩の巧みな視点移動はラフォルグではもっと洗練され、英米圏の20世紀モダニズム詩に大きな影響を与えることになります。また、この「パリの夜」の第3連で現れる「夜の収穫者たち」は鼠を追う猿をさらに捕まえる「ボンディの少年たち」にかかりますが、ボンディはフランス内陸部(つまり海と面さない)森林地帯の町です。この「夜の収穫者たち」はそのまま日本の伝説的ロック・バンド、裸のラリーズの1976年以来のレパートリーとして1996年の活動休止まで演奏される、ラリーズのレパートリーでも突出して疾走感溢れる曲想を備えた楽曲として人気を誇る、代表曲のタイトルとなります。ラリーズは一貫して「夜」をテーマにしたアンダーグラウンド・シーンのロック・バンドでした。リーダー水谷孝の作詞・作曲(そしてこのコルビエールの詩句からタイトルを採った)「夜の収穫者たち」は多数のヴァージョンがありますが、やはり公式アルバム『'77 Live』(録音1977年、リリース1991年)収録のヴァージョンがもっとも知られた決定版ヴァージョンでしょう。
裸のラリーズ - 夜の収穫者たち (from the album "77 Live") :  


(旧記事を手直しし、再掲載しました。)