谷岡ヤスジ「(仮)馬と股旅」(『ヤスジの任侠道』より) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。




 昭和17年(1942年)8月29日、愛媛県宇和島生まれの故・谷岡ヤスジ氏は高校生時代から児童マンガのプロとして活躍していた人ですが、大ブレイクを果たしたのは昭和45年(1970年)から翌年にかけて「週間少年マガジン」に連載した『ヤスジのメッタメタガキ道講座』でした。昭和45年第19号から昭和46年第38号の1年強の連載にもかかわらず同作は社会現象と呼べるほどの反響を呼び、同作を原作にした劇場版長篇アニメ映画やLPレコードも制作され、「アサーッ!」(ムジ鳥)、「鼻血ブー!」は流行語になり、ことに「鼻血ブー!」は興奮状態を表すマンガ表現(「漫譜」)として後世のマンガに広く受け継がれます。同作の特大ヒットを期に谷岡氏は青年マンガ誌に主要な発表の場を移し、1970年代後半からはポルノ誌、エロ本、ビニール本、果ては児童絵本誌まで媒体を構わず執筆し、週間連載4本~8本までを同時にこなす猛烈な創作活動を晩年まで続け、平成11年(1999年)6月14日に喉頭癌で56歳の若さにして亡くなりました。
 多くの代表作の中で最長連載になったのは「週間漫画サンデー」(実業之日本社)に昭和48年(1973年)~昭和63年(1999年)の16年に渡って全750回、総ページ数6,500ページに渡って連載された『アギャキャーマン』ですが、谷岡作品はあまりに膨大なため生前刊行単行本に収められたのはほんの一部で、平成26年(2014年)にようやく刊行された全24巻の『谷岡ヤスジ全集』でも『アギャキャーマン』全750回は4巻(各巻1,600ページ!)を占めるにすぎません。全集24巻に収められたページ数だけでも38,000ページ以上、散佚作品を含めれば生涯の執筆量は4万枚を越えると言われます。
 それだけ膨大な執筆量を誇る大マンガ家だったため、谷岡ヤスジ作品に触れるには何をお薦めするか迷いますが、ギャグマンガの宿命からか生前刊行の谷岡ヤスジ作品の単行本は雑誌連載からの抜粋版が大半の上にほとんどが初版のみで絶版になっているため、絶頂期の傑作『アニマルぞろぞろ』(芳文社、昭和55年)、後期の名作『のんびり物語』(講談社、平成6年)なども入手困難です。昭和55年(1980年)には1,000ページを越える1巻本選集『谷岡ヤスジのギャグトピア』(白夜書房)があり、谷岡ヤスジ生前には同書が1970年代の谷岡作品の傑作選として高い人気を誇りました。
 谷岡ヤスジ没後には、平成26年(2014年)の全集刊行に先だってさまざまな選集が編まれましたが、筆頭に上げられるのが追悼出版として没後半年後に刊行された1巻本選集『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』(実業之日本社、平成11年12月刊)です。かつて『谷岡ヤスジのギャグトピア』を編んだスタッフによって編集された全520ページの同書は、第1部に谷岡ヤスジの主要作品から435ページ分を収録し、第2部に谷岡ヤスジ論・対談・エッセイを32ページ分収録し、第3部に谷岡ヤスジを尊敬するマンガ家12名によるトリビュート作品を45ページ収録した上、巻末に判明している谷岡ヤスジ全作品年表と谷岡ヤスジ年譜、谷岡作品キャラクター図鑑を掲載して読者の理解を助ける、ヒジョーにシリョーセーの高い1巻本選集となっています。谷岡作品の収録分量では『谷岡ヤスジのギャグトピア』の四割程度に過ぎませんがその分作品はより精選され、エロ本から児童書まで幅広い発表媒体に目を配った上に、最晩年の作品や遺作まで収録しており、好評で数版を重ねたので、入手困難になっている『ギャグトピア』に代わる代表的選集として入手も容易でお薦めできます。
 追悼出版『天才の証明』の好評から翌年の平成12年(2000年)にはヤスジ最大の代表作、全750回、総ページ数6,500ページのうち1/6弱を収録した1,000ページもの『アギャキャーマン傑作選』(実業之日本社)が、さらに平成16年(2004年)2月には初期の特大出世作になった連載から全480ページの選集『ヤスジのメッタメタガキ道講座~もうひとつの「少年マガジン黄金時代」』(実業之日本社)が刊行され、平成21年(2009年)には「シリーズ・昭和の名作マンガ」の1冊として昭和55年(1980年)~昭和62年(1987年)に「週間ヤングジャンプ」に連載された人気作から370ページ分を選出・収録した『ヤスジのド忠犬ハジ公』(朝日新聞出版)が刊行されました。全24巻・38,000ページもの『谷岡ヤスジ全集』は荷が重すぎるとして、選集『谷岡ヤスジのギャグトピア』『天才の証明』『アギャキャーマン傑作選』『ヤスジのメッタメタガキ道講座~もうひとつの「少年マガジン黄金時代」』『シリーズ・昭和の名作マンガ~ヤスジのド忠犬ハジ公』の5冊、うち入手困難な『ギャグトピア』はお薦めしづらいとして、『天才の証明』で谷岡ヤスジ作品の全貌は凝縮されています。

 冒頭に引いたのは『天才の証明』に寄稿されたトリビュート作品から谷岡作品に心酔してデビューしたマンガ家、中崎タツヤ氏が、おそらく『ヤスジの任侠道』の散佚作品から記憶に従って忠実にその1コマを再現したもので、添えられた中崎氏の回想によると人づて(編集者?)によって谷岡氏にこの作品をもっとも印象的な谷岡マンガに上げる中崎氏の感想が伝わり、谷岡氏はあっさり「覚えとらん」と答えたそうです。おそらく中崎氏の記憶はペン・タッチから構図、フキダシ、台詞の改行に至るまで正確でしょう。仮にこれを「(一本道の)馬と股旅」と仮題しましたが、この1コマだけでたまたま一本道で対峙して、断固として道を譲らない馬と股旅の対話なのが伝わります。台詞のみを翻字(谷岡ヤスジは、生涯手書き文字によるフキダシを貫いたマンガ家でした)してみましょう。

股旅「どかんと/きる」
馬「お前に/ワシは/きれんよ」
「なぜなら/ワシは/きー/きー/きる/きる/きれない/だーら」
「おそれ/いったか」
股旅「おそれいらん/なぜならオレは/おー/おー/おそれ/おそれ/おそれいらない/だーら」

 食事の代わりに3食滋養強壮ドリンク剤20本(1日60本!)を飲み、精神安定剤とタバコ60本に一日3回300回腹筋(綺麗に六つに割れていたそうです)を欠かさなかった谷岡ヤスジは物理学が好きで、自作はエントロピー理論の応用であると「絶対ウソ(笑)」(『アギャキャーマン傑作選』解説より)な豪語をしていたそうですが、この「馬と股旅」の無限に向かうトートロジー(同語反復)は常人が思いつくものではありません。しかも作者はいたって真面目かつストイック、しかも生命存在の宿命的な根本にある諧謔と滑稽を押さえています。「エントロピー」はずはりトマス・ピンチョンのデビュー作のテーマでしたし、三島由紀夫は遺作『豊饒の海』でエントロピーに飲みこまれましたが、谷岡ヤスジのマンガは1コマで三島もピンチョンも、ピンチョンの先駆をなす存在論的作家ウィリアム・ギャディスも越えます。哲学や文学以上のものは谷岡ヤスジのような無意識の非(反)・芸術的天才の中にこそ煌めいています。役者が上とはヤスジ氏のような創作家にこそ言えるのです。