サン・ラ Sun Ra - サン・ラの太陽中心世界 The Heliocentric Worlds of Sun Ra (ESP-Disk, 1965)
Released by ESP-Disk 1014 (US), Fontana Records (EUR), 1965
An album of compositions and arrangements by Sun Ra played by Sun Ra and his Solar Arkestra
(Side A)
A1. Heliocentric - 4:00
A2. Outer Nothingness - 7:40
A3. Other Worlds - 4:18
(Side B)
B1. The Cosmos - 7:20
B2. Of Heavenly Things - 5:40
B3. Nebulae - 3:16
B4. Dancing in the Sun - 1:50
[ Sun Ra and his Solar Arkestra ]
Sun Ra - piano, bass marimba, electric celeste, timpani
Chris Capers - trumpet
Teddy Nance - trombone
Bernard Pettaway - bass trombone
Marshall Allen - piccolo, alto saxophone, bells, Spiral cymbal
Danny Davis - flute, alto saxophone
Robert Cummings - bass clarinet, woodblocks
John Gilmore - tenor saxophone, timpani
Pat Patrick - baritone saxophone, timpani
Ronnie Boykins - bass
Jimhmi Johnson - drums, percussion, timpani
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この発売60周年近いフリー・ジャズ、1960年代ジャズの里程標的傑作『サン・ラの太陽中心世界』(邦題)こそはサン・ラ50歳にしてついに国際的ジャーナリズムの注目を集めた記念碑的作品にして、欧米の各種ジャズ・ディスクガイドでもジャズ史上の名盤に上げられ、5つ星評価で満点が定着している代表作とされているアルバムです。日本でも発売前からサンプル盤がレーベルからジャズ雑誌に直接プロモートされ、即座に日本盤発売された初のサン・ラのアルバムになりました。サン・ラの場合評価がもっとも遅れたのがアメリカ本国で、本作はフリー・ジャズの新興インディー・レーベルESP-DISKからのリリースという話題性に加え、ヨーロッパや日本のジャズ・ジャーナリズムにとっては謎の伝説的ジャズマンだったサン・ラの音楽が片鱗たりともようやく明らかになったことで衝撃的な事件ですらありました。それまで発表されたサン・ラのアルバムは短命インディー・レーベルのトランジションに1枚、アーケストラ自身の自主レーベルのサターンに3枚とニューヨークの老舗インディー・レーベルのサヴォイに1枚きりで、サヴォイ盤すらまったくプロモートされず発売即廃盤になっていたので、サン・ラは名のみ囁かれる存在にもかかわらずアルバムはほとんど聴くすべもありませんでした。
盛衰の激しかった戦後ジャズ・シーンで'50年代いっぱいサン・ラ・アーケストラがシカゴの重鎮足り得たのは、シカゴはニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐアメリカ第三の大都市ですが、流行に敏で毎年のようにジャズの好況と不況をくり返しているニューヨークやロサンゼルスよりも安定していて、また南北戦争後に農奴から解放された南部の黒人はミシシッピ川の河川ルートによって工業都市シカゴに仕事を求めて移住したので南部からのブルース、R&B、ジャズが流入した都市だったことにありました。イギリス~ヨーロッパ系移民が多く全米のビジネスの本拠地でもあるニューヨークや、19世紀末にようやく開拓され、もともとスペイン領のメキシコから合併された都市だったカリフォルニアは非白人人口が75%だった人種混淆都市であり、ロサンゼルスは映画産業の発達によってニューヨーク以上に全米の音楽産出の中心地とも言えたので、シカゴはそうしたニューヨークやロサンゼルスとは比較にならないほど黒人音楽のルーツ色の強い都市でした。サン・ラ・アーケストラはニューヨークやロサンゼルスの主流ジャズに対してオルタネイティヴな発展を遂げる条件が揃っていました。しかしシカゴにとどまる限りアーケストラはローカル・バンドであり、'60年代初頭にはロックンロールやソウル系ポップスの台頭からついにシカゴでもアーケストラは活動に行き詰まり、思い切ってニューヨークに進出してきたのが1962年でした。アーケストラは経済的な苦境に耐えながら地道に活動を続け、それがようやくアルバム『サン・ラの太陽中心世界』で耳目を集めることになったのです。
サン・ラの推定年齢や活動歴の長さはジャズ界の謎として語られていたので、サン・ラ・アーケストラの実態が明らかになるのはアメリカのアンダーグラウンド・ジャズ・シーンの核心に迫ることでもありました。ただしアーケストラの音楽性は1963年を境に急激に変化しており、シカゴ時代の初期5年間にはほぼ一定していた作風がニューヨーク進出後には急激に先鋭化したことがわかります。それはリーダーのサン・ラだけではなく、メンバーがニューヨークの黒人ジャズ・シーンに深く関わる中で、盛んになりつつあったフリー・ジャズ運動に刺激を受けたことがアーケストラの新しい方向性に反映されたものでもありました。前作『Other Planes of There』(early 1964)と本作の間に前回ご紹介した1964年6月15日のライヴ録音『Featuring Pharoah Sanders & Black Harold』があります。後者はサターン・レコーズから1976年に発掘発売されたもので、これはファロア・サンダース(テナーサックス・1940~)の短期在籍中のアーケストラ唯一の録音として貴重なアルバムですが、続く『サン・ラの太陽中心世界』にサンダースの参加がなかったのは両者にとって必然だったと思えます。サンダースの本領発揮にはサン・ラの音楽的コントロールは厳重すぎたと言えるでしょう。アーケストラのレギュラー・テナーだったジョン・ギルモアの代役としてサンダースは悪くはないもののギルモアほど多彩な表現力に富む演奏家ではなく、アーケストラのアンサンブルとは指向性が異なります。特に『太陽中心世界』はアーケストラ作品でもメンバー個々の個性が抑えられた、ある種匿名的なアンサンブルが求められたアルバムでした。その点ではサン・ラ・アーケストラの典型的な作風を示した作品とは必ずしも言えず、代表作にして突出した異色作でもあるので、本作はサン・ラ渾身の力作、勝負玉ではあっても普段のアーケストラ作品とは異なった、ややよそ行きの性質になったアルバムの観もあります。アーケストラらしいファミリー的な結束と奔放さでは2014年まで未発表だった幻のアルバム『Other Strange World』や、サターン・レコーズから発表した次作『Magic City』に分がありますが、本作の時点でアーケストラは結成10周年にもなり、発表済みアルバムこそわずか5枚ですが録音・制作済みの未発表アルバムはさらに18作あまりありました。それだけの埋蔵量を秘めて制作されたのが本作『サン・ラの太陽中心世界』だったのです。
一聴すると『Other Planes~』とそれほど変わりのないように聴こえる『太陽中心世界』ですが、構成やアンサンブルははるかに引き締まった精度を誇るものです。『Other Planes~』も前年の録音時点では完成と到達点を示したアルバムですが、本作の完成度とはテンションの持続に習作と完成品ほどの差があります。本作では尋常なフルセットによるドラムス・パートが最終曲B4まで存在せず、各種パーカッション・アンサンブルが前面に出て、唯一ベースが持続的なビートを担っているのが本作全編の異様なサウンドの鍵を握っており、これほど打楽器中心ながら定型ビートがなく、テーマ・パートをパーカッション・アンサンブルが担って成功したアルバムはエドガー・ヴァレーズ以降の現代音楽にも稀でしょう。サン・ラの考えるジャズは常に黒人音楽としてのジャズでしたから、白人音楽の前衛としての現代音楽との比較は意味をなさないのですが、これはディジー・ガレスピーやアート・ブレイキー、マックス・ローチらが試みていたような(そしてサン・ラとはまったく異なる音楽性でナイジェリアのジャズマン、フェラ・クティが英米ジャズの影響下から出発して完成させることになるアフロ・ビートに先立つ)ラテン音楽やアフリカ起源の音楽としてのジャズとも異なる方向から発明されたブラック・ミュージックで、ジャズの歴史が事実上黒人ジャズマンと白人ジャズマンのアイディアのキャッチボールで発展してきたことを思えば、サン・ラほど白人ジャズとは無関係に自分のバンドを率いてきたジャズマンは珍しいのです。アーケストラと近い音楽を演っていたチャールズ・ミンガス、室内楽に近い音楽性だったモダン・ミュージック・カルテット(MJQ)、'70年代にアーケストラの音楽性に急接近するマイルス・デイヴィスらはむしろ白人ジャズマンと積極的に交流していた黒人ジャズマンでした。
ロサンゼルスのスタン・ケントン楽団のように戦後早くから現代音楽をビッグバンドに採り入れた(プログレッシヴ・ジャズと呼ばれた)白人バンドの例はありましたし、サン・ラが白人ジャズや現代音楽にまったく無関心だった証拠はなく、ESP-DISKは多くのジャズ・レーベルがそうだったように白人オーナーによるレーベルでした。またフリー・ジャズ自体も多くの白人ジャズマンを擁したジャズの革新運動でした。ビ・バップ以来黒人ジャズに白人ミュージシャンがアプローチする機会は増え(ビ・バップからハード・バップへの移行期にビ・バップに固執したのはむしろ研究熱心な白人ジャズマンでした)、フリー・ジャズは特定のスタイルを指すものではないため音楽的にも黒人ジャズと白人ジャズで区別されるようなものではありませんが、アーケストラのようなフリー化以前から中型ビッグバンドの可能性を追求していた黒人バンドは他にいなかったのです。バス・クラリネット、バス・トロンボーンら低音域のホーン・アンサンブルは従来のアーケストラ作品でもこれほど大胆な試みはなかったほどで、A1のようにサン・ラのピアノやエレクトリック・チェレステ(改造フェンダー・ローズ、または自作エレクトリック・ピアノと推定されています)すら入らない曲(おそらくサン・ラはパーカッションと指揮に徹していたと思われます)があり、一方サン・ラはピアノにとどまらず、鍵盤楽器ソロ曲B3以外にはバス・マリンバとティンパニでパーカッション・アンサンブルをリードする局面が多いのも本作の特色です。A1~A3のA面3曲はシームレスのメドレーであり、B2「Of Heavenly Things」はA1「Heliocentric」の同一モチーフにより、アルバム全編が1曲であるような循環的な構成になっています。結果、本作はサン・ラのアルバムではもっともフリー・ジャズ的かつ完成度が高く、幻惑的な印象がもっとも強いアルバムになりました。これがサン・ラにとってもきわどい成功だったのは、半年後に録音された『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Two』『Volume Three』が本作ほどの完成度に至らなかったことでも致し方なかったと思えます。また2014年まで未発表だった次作『Other Strange World』が本作以上にパーカッション・アンサンブル(カリンバ・ジャズ!)に徹しながら、本作よりリラックスしてチャーミングな内容になったことでも、本作は名盤ながらサン・ラ・アーケストラ作品としては佶屈すぎるように思えます。前述の通り本作はジャズの名盤ガイドなどで、歴史的名盤かつサン・ラの代表作として、1970年~1971年のドイツ公演からの傑作ライヴ『世界の終焉 (It's After The End Of The World)』(MPS, 1971)とともに紹介されることが多いアルバムですが、この2作なら断然サン・ラ・アーケストラらしい『世界の終焉』を、また1969年のストレンジなコンセプト作『Atlantis』や1973年のスペース・ファンク作品『Space Is the Place』、1978年の傑作ライヴ『Unity』、1984年の渾身の反核コンセプト・アルバム『Nuclear War』、最晩年の傑作ライヴ『Friendly Galaxy』(録音1991年、発表1993年)などを、より本来のサン・ラ・アーケストラらしい作品としてお薦めします。本作『太陽中心世界』だけを聴くと、サン・ラに苦手意識を持ってしまうリスナーも多いのではないかと思われるのです。
(旧記事を手直しし、再掲載しました。)