グリフォン - 鷲頭、獅子胴の怪獣 (Transatlantic, 1973) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

グリフォン - 鷲頭、獅子胴の怪獣 (Transatlantic, 1973)
グリフォン Gryphon - 鷲頭、獅子胴の怪獣 Gryphon (Transatlantic, 1973) :  

Recorded at Riverside Recordings and Livingston Studios, March - April 1973
Released by Transatlantic Records TRA 262, June 1973
Produced by Lawrence Aston and Adam Skeaping
(Side 1)
A1. ケンプのジグ舞曲 Kemp's Jig (Trad. arr. Gryphon / central section including anonymous Galician musical piece from the Renaissance-era called "Pase el Agoa, ma Julieta") - 3:07 
A2. ゲイヴィン・グリムボルト卿 Sir Gavin Grimbold (Trad. arr. Gulland) - 2:45
A3. 危機一髪 Touch and Go (Harvey, Taylor) - 1:29
A4. 3人の陽気な肉屋 Three Jolly Butchers (Trad. arr. Taylor) - 3:54
A5. 良き仲間との気晴らし Pastime with Good Company (Henry VIII arr. Gryphon) - 1:31
A6. 不穏な墓場The Unquiet Grave (Trad. arr. Gryphon) - 5:40
(Side 2)
B1. エスタンピーの踊り Estampie (Anon. arr. Gryphon) - 4:53
B2. 柵を越えて Crossing the Stiles (Taylor) - 2:25
B3. 星占い師 The Astrologer (Trad. arr. Gryphon) - 3:12
B4. ティー・レクス Tea Wrecks (Anon. arr. Gryphon) - 1:06
B5. 柏槇(ビャクシン)組曲 Juniper Suite (Gryphon) - 4:49
B6. 悪魔と農夫の妻 The Devil and the Farmer's Wife (Trad. arr. Gryphon) - 1:55
[ Gryphon ]
Brian Gulland - bassoon, crumhorns, recorders, keyboards, vocals
Richard Harvey - recorders, crumhorns, keyboards, guitar, mandolin
Dave Oberle - drums, percussion, vocals
Graeme Taylor - guitars, keyboards, recorder, vocals
(Original Transatlantic "Gryphon" Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1/2 Label)
 グリフォンのアルバムはトランスアトランティック・レーベルに1973年~1975年にかけて4作、1977年にEMI/ハーヴェスト・レーベルから1作あり、そのうちデビュー・アルバムからの最初の3作はイギリス本国と同年中に日本盤も順調に発売されました。1973年~1974年のグリフォンは当時人気絶頂のイエスと同じマネジメントに見出され、イエスの前座バンドに起用されて注目されていたのですが、デビュー前を除けばこの2年だけがグリフォンの絶頂期で、1975年の4作目のアルバム発売時には本国でもほとんど成功を期待されなくなっていたのです。1977年にはメンバーの半数が替わってレーベルも移り意欲作を発表しますが、パンク/レゲエ/ディスコの流行時代にグリフォンの生き残る余地はありませんでした。そもそもグリフォンはロック・バンドですらなかったのです。バスーンとリコーダーをフィーチャーし、レパートリーの大半がインストルメンタル曲のロック・バンドなど当時は大胆きわまりなく、デビューから翌年までは変わり種のプログレッシヴ・ロックのアンサンブルとして好奇の目で見られましたが、結局グリフォンの音楽はリスナーの嗜好に定着しなかったということになります。

 グリフォンは1971年、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックの学生のリチャード・ハーヴェイ(1953年生れ、リコーダー、キーボード他)とブライアン・ガランド(1951年生れ、バスーン、クルムホルン他)を中心に結成されました。ロイヤル・カレッジとは王立音楽院なので、元来宮廷音楽家を育成するための国立大学です。良家の子弟でないと入学すらできないのはおろか、学業素行とも選り優れた学生しか在学できません。日本でいえば宮内庁召し抱えの楽士であって、この二人はイギリス中世の伝承音楽研究成果を広い聴衆に披露するためにフォーク・ロックのバンドをやっていた友人のギタリスト、グレアム・テイラー(1954年生れ)とのトリオ編成を経てヘヴィ・ロック・バンドのヴォーカル兼ドラマーだったデヴィッド・オバリー(1953年生れ)を加えて1972年1月のライヴで公式デビューしました。セカンド・アルバムからはベーシストを加え、また最後のアルバムではグレアム・テイラーの脱退によって新ギタリストを迎え、オバリーが専任ヴォーカルになってドラマーとベーシストも一新します。このデビュー・アルバムが18歳~21歳のメンバーによって制作され、リーダーのハーヴェイも弱冠19歳だったのはにわかには信じられませんが、イギリス最高の音楽大学のエリート学生がこういう音楽をやるのには当時クラシック界で進行していた古楽の再評価運動が背景にありました。具体的に名を上げると、デイヴィッド・マンロウ(1942-1976)が主宰していたロンドン古楽コンソートの運動です。

 デイヴィッド・マンロウは木管楽器のマルチ奏者かつイギリス中世古楽研究家、教育者、演奏家で1967年にロンドン古楽コンソートを創設、当時ほとんど忘却されていたイギリス中世古楽を積極的に発掘・演奏・レコーディングし、グスタフ・レオンハルトやニコラウス・アーノンクールと並んでクラシック音楽におけるピリオド(歴史的)・アプローチを推進させた人でもあります。それまでクラシック音楽は比較的近世・近代の作品ですら現代の演奏家が演奏する際には現代の楽器を使って現代的解釈で演奏するのが普通でしたが、その作品が最初に演奏された当時の楽器と当時の解釈を可能な限り再現してこそ作品の正当な音楽的鑑賞や評価ができるのではないか、という考えがピリオド・アプローチで、これは西洋クラシック音楽の読み直しをさらに多様にするものでした。マンロウは1976年に予定されていたコンサートの直前に自宅で変死体となって発見され、ゲイであったことから私生活にも秘密が多く死因も自殺から事故死(薬物過剰摂取を含め)、殺害までさまざまな憶測を呼びましたが真相は現在でも明らかにされていません。グリフォンが結成され活動の場があったのはまさにマンロウの活動と名声が絶頂にあった時代のイギリスだったからこそと言え、グリフォンのメンバーもマンロウが主導した古楽ブームの刺戟があってこそバンドを結成したことを認めています。マンロウはアカデミズムの世界にいながら演奏の自発性を認めて多彩な解釈を許し、音楽家としての興味、演奏家としてのレパートリーは近・現代音楽から前衛音楽まで手がけた人でした。

 グリフォンは厳密なピリオド・アプローチはあえて考慮せず、楽器もモダン・ピッチ(440Hz基準)の管楽器を使い、古典ピッチ(415Hz基準)までは挑みませんでしたが、これは今日の鍵盤楽器がモダン・ピッチなので鍵盤楽器ごと大がかりな調律をするか、鍵盤楽器を加えない純粋な管弦アンサンブルでないと古典ピッチで統一はできないからです。ギターのフレットもピアノの調律同様平均律で調律されており、グリフォンのメイン楽器はバスーンとリコーダーですがリコーダーのハーヴェイが電気オルガンやシンセサイザーにまわる場面も多く、またこのデビュー・アルバムでは単音と復音、コードを自在に組み合わせたテイラーのギターによってバスーンがリード・ソロからアンサンブルにまわるパートとともにベース・パートを補っており、モダン・ピッチで演奏する必要性は編成からも必然だったと思われます。グリフォンはバンドではありましたが自分たちでもロック・バンドという意識はまったくなく始めたそうで、本格的なロック・バンド化を意識したのは商業的には不成功に終わった第4作、第5作(ラスト・アルバム)でした。グリフォンは1990年代に初CD化にともなうコンピレーション・アルバムの制作から一時的に再結成し、2000年代には断続的ながら現役バンドとして活動しています。名作・佳作と呼ばれるのは第2作『真夜中の饗宴』と第3作『女王失格』(ともに1974年)ですが、大曲中心でコンセプトの明快なその2作と較べて、統一感のない小曲の寄せ集めのデビュー・アルバムである本作もこれはこれでとっ散らかった魅力があります。くり返しになりますが、平均年齢20歳にもならない現役大学生バンドのメジャー・デビュー作がこんなアルバムで、こんな音楽がポピュラー音楽としてまかり通った時代がつい45年ほど前にはあったということ自体が恐れ入るとしか言いようがなく、レコード会社がこれをロックとして売り出していたのも何でもありだったんだなあと感心させられるばかりです。事実第2作、第3作ではこの音楽性のままロック要素がバランス良く導入されて秀作になり、第4作、第5作ではロック化を進めたばかりに失速し失墜してしまったのがグリフォンというバンドでした。こういうロックでも何でもないロック・バンドがいた、しかもいまだに健在とは、世界にもまだ正義が存在する証拠という気がします。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)