裸のラリーズ - Mars Studio 1980 (Univive, 2004) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

裸のラリーズ - Mars Studio 1980 (Univive, 2004)
裸のラリーズ - Mars Studio 1980 (Univive, 2004) 

Released by Univive UNIVIVE-001 (3CD-R, Unofficial), 2004
Reissued by Univive UNIVIVE-001 (3CD+Bonus Disc, Unofficial), 2006

Reissued by Loewe Disk (3CD, Unofficial), Germany, 2006
Reissued by Phoenix Records ASHBOX3 (3CD+Bonus Disc, Unofficial), UK, 2012
All Songs written by 水谷孝
Disc 1: 1980/09/04-06 :  

1-2. 遠い記憶 Distat Memories - 6:20
1-3. Jam - 1:35
1-4. Enter The Mirror - 19:31
1-5. 夜、暗殺者の夜 Night of the Assassins - 2:56
1-6. 恋の物語 A Tale of Love - 11:40
Disc 2: 1980/09/06-07 :  

2-2. 黒い悲しみのロマンセI Otherwise Fallin' Love With I - 9:12
2-3. 黒い悲しみのロマンセII Otherwise Fallin' Love With II - 9:27
2-4. 白い目覚めI White Waking I - 2:10
2-5. 白い目覚めII White Waking II - 7:55
2-6. 白い目覚めIII White Waking III - 2:46
2-7. 白い目覚めIV White Waking IV - 7:49
Disc 3: 1980/09/09
3-1. Guitar Jam - 24:27 :  

3-3. 夜、暗殺者の夜 Night of the Assassins - 12:39
Bonus Track: Recorded Live at 明治学院大学, probably 1973 or 1976
3-4. 黒い悲しみのロマンセ Otherwise Fallin' Love With - 6:47
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocal, guitar, organ
山口冨士夫 - guitar (expect Bonus Track)
Doronco - bass guitar (expect Bonus Track)
野間幸道 - drums (expect Bonus Track)

 本作は、水谷孝(1948-2019)をリーダーとした、1967年末に京都で結成されたロック・バンド、裸のラリーズが、1973年自主制作のライヴハウスOZ閉店記念のオムニバス盤『OZ DAYS』への提供曲4曲(2LPのうちD面)を除けば、スタジオ・ライヴ~リハーサル的な音源ではなく本格的なスタジオ録音アルバム制作に取り組んだ、1996年まで30年あまりのバンド史上ほとんど唯一の未完成アルバム音源として知られるものです。裸のラリーズのまとまったスタジオ音源では1970年の水谷孝のソロ音源を収録した公式盤の『MIZUTANI -Les Rallizes Dénudés-』収録のアコースティック・デモ5曲、発掘音源では1975年10月1日の『渋谷アダン・スタジオ』でのスタジオ・ライヴ、また本作と同じUniviveから発掘発売された4枚組CD『Laid Down '76』は、ディスク4は公式盤『'77 Live』と同じライヴの観客録音が収められていますが、ディスク1『Lost Rock Magazine Demo』には1976年にNHKのスタジオで録音されたデモテープ、ディスク2とディスク3は当時のラリーズのマネージャー、手塚実が編集して関係者に配布したアセテート盤のデモ音源が収録されており、これらは長年関西のロック誌「Rock Magazine」を主宰していた阿木譲氏が手がけたものとしてカセットテープ・コピーが流通していましたが、阿木氏は『ロック画報25・特集 裸のラリーズ』(ブルース・インターアクションズ、2006年10月刊)のインタビューでデモテープ制作への関与を否定しており、1986年にラリーズのアルバム制作を持ちかけられ1976年のアセテート盤を託されたが、バンド側との話が進まずアルバム制作予定自体が流れてしまったと証言しています。1970年のアコースティック・デモ制作時は水谷が上京して裸のラリーズはレギュラー・メンバーがおらず、ライヴでは京都時代からの盟友バンドの村八分に参加して村八分のメンバーをバックに裸のラリーズ名義で活動していた頃で(村八分のヴォーカリスト柴田和志ことチャー坊が歌う時は村八分名義となり、活動歴の古いラリーズの方が知名度が高かったため村八分は、水谷孝抜きで裸のラリーズ名義のライヴもこなしていたと山口冨士夫の証言があります)、1970年のアコースティック・デモはアルバム制作を目的としたものではないでしょう。1973年の『OZ DAYS』にはあくまでオムニバス盤参加として、1975年の渋谷アダン音源も、アダン・スタジオのオーナーで3か月だけラリーズのドラマーとして参加していた高橋シメによるプライヴェート録音と見なせます。ただし、高橋シメと同時に1975年8月からラリーズに参加したベーシスト、楢崎裕史(非露志、HIROSHI)からの間接的証言から、楢崎加入時にはイギリスのヴァージン・レコーズからのアルバム・リリースの話が持ち上がっていたようで、もしそれが事実なら1976年のNHKスタジオ・デモ、手塚マネージャーによるアセテート盤デモ(アルバム2枚組分)はヴァージン・レコーズへのアルバム制作のためにまとめられていたと考えられます。1986年に阿木譲にアルバム制作の協力が求められたのは阿木氏も認めていますから、裸のラリーズには1976年、本作『Mars Studio 1980』、1986年と、少なくとも三度は本格的なスタジオ・アルバム制作の計画があったことになります。

 本作の水谷、Doronco、野間幸道に加えて元ダイナマイツ、元村八分のギタリスト山口冨士夫(1949-2013)のラインナップが揃ったのは1980年8月のライヴ以来であり、山口冨士夫在籍時のライヴ音源、スタジオ音源は、
・1980年8月14日、渋谷・屋根裏ライヴ(山口加入後の初ライヴ)
・1980年9月4~7日・9日、国立Mars Studio アルバム録音
・1980年9月11日、渋谷・屋根裏ライヴ
・1980年10月29日、渋谷・屋根裏ライヴ
・1980年11月7~8日、神奈川大学「100時間劇場~人工庭園・錬音術師の宴」オールナイト・イヴェント(ほか12バンド以上)
・1980年11月23~24日、法政大学学生会館ホール「イマジネイティヴ・ガレージ」オールナイト・イヴェント(ほか8バンド以上)
・1980年12月13日、渋谷・屋根裏ライヴ
・1981年3月23日、渋谷・屋根裏ライヴ(山口在籍時の最終ライヴ)

 と、在籍期間8か月間にライヴ7回、5日間におよぶ未完成未発表スタジオ・アルバム録音の本作『Mars Studio 1980』が記録されています。ほぼ毎月1回ペースのライヴですが、1981年1~2月にはライヴ記録がないため実質的には8か月間とは言えず、正味6か月と目していいでしょう。山口冨士夫の自伝『SO WHAT』や関係者の証言によると、ほとんど無償でレコーディングに協力した国立Mars Studioのスタッフは、山口ともどもほぼ完成間近まで録音されたアルバム(CD3枚分、編集さえすればアナログLP2枚組が組まれる可能性がありました)を水谷孝が未完成・未発表としたことに不満と怒りを抱く結果となり、また山口は裸のラリーズをめぐる「スタッフもファンも水谷サマサマ」の状況にはライヴを重ねるたびに嫌気をさしたと証言しています。しかし山口冨士夫在籍時のラリーズは、1991年に初の公式アルバム3作『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』『'77 LIVE』(この3作は2022年8月に先行してリリースされた『OZ DAYS』の増補版『OZ Tapes』に続いて、ほぼ30年ぶりに2022年10月に裸のラリーズ公式サイトから再発売されました)がリリースされる以前には、当時日本のアンダーグラウンド・ロック・シーンで現役最長のキャリアを誇るカリスマ・バンド、裸のラリーズに、伝説的バンド・村八分の伝説的ギタリスト山口冨士夫参加の話題性もあって、ラリーズ史上もっともロック誌やリスナーからの注目を集めていた時期でした。ラリーズが山口冨士夫在籍時にアルバム構想があったのは、本作に続いてリリースされたCD6枚組の発掘ライヴ『Double Heads』(Univive, 2005)からも明らかで、1980年8月14日、渋谷・屋根裏ライヴ、1980年10月29日、渋谷・屋根裏ライヴ、1981年3月23日、渋谷・屋根裏ライヴの3回のライヴを収めた同作は凄まじい演奏はもちろん、オーディエンス・ノイズをカットしたサウンドボード(ミキサー卓)音源による最高音質とミキシングで、明らかに公式リリース可能なマスターテープ状態で残されていたものです(山口在籍時の7回のライヴはすべて音源が残されていますが、音質・ミキシング・編集において『Double Heads』収録の3回分が突出して優れます)。

 この未完成アルバム『Mars Studio 1980』は、ジャムセッション曲を除くと曲目は「Enter The Mirror」「遠い記憶」「夜、暗殺者の夜」「恋の物語」「黒い悲しみのロマンセ」「白い目覚め」「氷の炎」から成り、「黒い悲しみのロマンセ」「白い目覚め」は'70年代中期からのライヴ定番曲ながら1991年リリースの公式盤3作には未収録となり、また「恋の物語」は新曲です。水谷孝が好きだったというパールズ・ビフォア・スワイン的なアシッド・フォーク曲「白い目覚め」あたりは比較的小品ですが、ラリーズの楽曲は20分前後も珍しくない、通常1曲10分を越える長さで演奏されるので、上記曲目に山口冨士夫とのツイン・ギター・ジャムセッション曲を混じえて、編集で収録時間を整え、アナログLP2枚組制作を目的に録音されていたと思われます。この未完成アルバム音源はあくまで未完成なので、エンジニア室とのやり取りを交えたメイキング・セッションの雰囲気が伝わってくるのはむしろドキュメンタリー的な長所でしょう。音質・ミックスは正規のスタジオ録音としてレコーディングされたものだけあって安心して聴ける、最上級のものです。1973年~また山口冨士夫加入時にもライヴでは目立っていた水谷のギターの暴走も、ここでは控えめで、ヴォーカルを中心にバランスの良いサウンドに仕上げようとする意図が感じられます。アシッド・フォーク曲の小品「白い目覚め」では水谷自身が弾くオルガンによるスタジオ録音ならではのアレンジとアコースティック・ギターによるアレンジなどさまざまなヴァージョンが試され、またセッション最終日に当たる1980年9月9日には(この日に限らず、本作収録分でマーズ・スタジオ・セッションの全演奏が収録されているとは限りませんが)、「Guitar Jam」で24分27秒(悠にアナログLP片面を占める長さです)、「氷の炎」で15分49秒、「夜、暗殺者の夜」で12分39秒と、ほぼ完成型に近い演奏が聴かれます。これに「Enter The Mirror」(19分)、「遠い記憶」(6分)、「恋の物語」(11分)、「黒い悲しみのロマンセ」(9分)、「白い目覚め」(7分)を加えれば、「Guitar Jam」を短縮編集または割愛、またはボーナス・ディスクとしてEPもしくは12インチEPで別添しても、2枚組LP・90分余には十分だったでしょう。『Mars Studio 1980』をそのまま組み換えても、

A1. Enter The Mirror - 19:31
B1. 遠い記憶 Distat Memories - 6:20
B2. 恋の物語 A Tale of Love - 11:40
C1. 夜、暗殺者の夜 Night of the Assassins - 12:39
C2. 黒い悲しみのロマンセ Otherwise Fallin' Love With  - 9:27
D1. 白い目覚め White Waking - 7:49
D2. 氷の炎 Ice Fire - 15:49
Bonus EP: Guitar Jam - 24:21

 これで十分強力な、1980年当時の音楽シーンにおいてはあまりに異様であっでも、のちの公式アルバム『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』『'77 LIVE』や発掘ライヴ『Double Heads』に匹敵する、しかも唯一公式スタジオ・アルバム制作の意図を持って録り下ろしされたラリーズ畢生の作品としても、1980年~1981年の日本のロック・アルバムでも、RCサクセションの『Rhapsody』、フリクションの『軋轢』、PANTA & HALの『TKO Night Light』、P-Modelの『Potpourri』、プラスチックスの『ORIGATO PLASTICO』、スターリンの『Trash』、INUの『メシ食うな』、吉野大作&プロスティテュートの『死ぬまで踊り続けて』などと匹敵するかそれ以上の、サイケデリアともプレ/ポスト・パンクとも位置づけ難い、謎めいたモンスタラスな怪作となったと思われます。しかし水谷孝はこの『Mars Studio 1980』セッションのアルバム化を未完成・未発表のままにし、ラリーズをあくまでライヴ・バンドとしてのみ継続して行くことになります。本作については、さらに次回でも聴きどころを探っていくことにします。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)