家の近くの用水路 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

 筆者はすり鉢状に東西両側に坂が広がる坂道途中のアパートに住んでいるのですが(お茶碗みたいな地形を想像してください)、坂のいちばん下にはマネキンの町工場があり、マネキン工場の隣には用水路が流れています。このマネキン工場がなかなか古風な風情があり、道からすぐはトラックの駐車場と物置小屋があるのですが、物置小屋の前に物干し場があって、通りかかるたびにずらりと足首だけ・手首だけのパーツが干してあることが多々あり、等身大のマネキンのパーツですから肌色でつるりとした、しかし死後硬直したバラバラ死体の一部のように見えて壮観です。特に手首が干してある時は、手指というのは表情があるものですから、指先を揃えて硬く凍りついた手首がずらりと並んでいると思わず立ち止まってしまいます。写真でお見せしたいところですが、この物干し場は喫煙所も兼ねているらしく大概作業員の方が一服しているので、さすがに写真を撮るわけにはいきません。「写真を撮ってもいいですか?」と許可を得ればいいのですが、断られるのは目に見えています。筆者は女性でも美女でもありませんから(マネキンパーツに興味を寄せる美女というのも不気味ですが)、特殊性癖の男と見られて、今後マネキン工場で不法侵入の痕跡や盗難でもあったら真っ先に容疑者と疑われてしまいます。

 しかしマネキン工場脇の用水路の写真を撮るのは別に公共の害でもないので、金網の隙間にレンズを合わせて用水路の写真を撮ってきました。筆者が子供の頃はこの辺りは山林地帯で、段々状に分譲マンション住宅造成地になったのは比較的近年らしいので(筆者の住んでいる木造マンションは築48年ですが)、もともとは自然の小川が流れていたのが人工用水路に整備されたものと思われます。かつて小川だった面影が用水路になっても残っていて、筆者が子供の頃はこの地帯は子供たち(男子限定かもしれませんが)の間では「お玉沼」「カエル沼」と呼ばれておたまじゃくしやカエルやヤゴを採って遊んだのを思い出します。3か月前まで住んでいたアパートも子供の頃は児童公園のあった市営住宅跡地で、今は「お玉沼」「カエル沼」跡地に住んでいると思うと、大学生~社会人(兼家庭人)時代に多摩川沿いに住んでいた頃から離婚を期に故郷に戻ったことへの感慨が重なり、結局こうして落ち着くべくして落ち着いたのは生まれ育った町なんだな、と一介の書生に帰った気がします。人生は短し芸術は永し、と言うより、むしろ人生の短さを感じさせるのは山林河川木石といった身近な自然環境です。マネキン工場の隣に用水路が流れる、といった光景は何の変哲もないような事でありながら、「巴里の空の下セーヌ川が流れる」よりもはるかに人と自然の営みを居抜いています。何よりそこには何の面白みもないことで、索莫とした人生そのものをそのまま率直に表しているようでもあります。そして用水路の水は意外なほどさやさやと澄みきって流れています。おそらく、いや確実に、それは何の感傷も伴っていないのです。