ゴッズ(3)第三新約聖書 (ESP, 1968) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ゴッズ - 第三新約聖書 (ESP, 1968)
ゴッズ Godz - 第三新約聖書 The Third Testament (ESP, 1968) 

Originally Released by ESP-Disk 1077, 1968
(Side One)
A1. Ruby Red (Jim McCarthy) - 2:25 (Original LP length 2:23)
A2. Eeh-Oh (The Multitude) - 2:43 (Original LP length 2:42)
A3. Down By The River (Jim McCarthy) - 3:45 (Original LP length 3:35)
A4. The First Multitude (The Multitude) - 12:12 (Original LP length 13:10)
(Side Two)
B1. A-B-C (The Multitude) - 3:35 (Original LP length 4:25)
B2. Walking Guitar Blues (Paul Thornton) - 2:56 (Original LP Length 2:48)
B3. Neet Street (Jim McCarthy) - 2:49 (Original LP Length 2:43)
B4. Womban (Larry Kessler) - 3:35 (Original LP Length 3:30)
B5. K-L-M (The Dogz) - 2:36 (Original LP Length 2:33)
10 (CD Bonus Track). In My Shadow (Alone In Regret) (Jim McCarthy) - 1:20
B6. Like A Sparrow (Jim McCarthy) - 2:10 (Original LP Length 2:08)
B7. Quack (I'm A Quack) (The Dogz) - 2:36 (Original LP Length 2:30)
13(CD Bonus Track). The Mind (Ending) (Larry Kessler) - 0:46
[ Godz ]
Paul Thornton, Larry Kessler, Jim McCarthy, J.?(Jay Dillon)
with [ The Multitude ]
Mike Berardi, Joan Berardi, Marty Topp, Jim McCarthy, Krishner, Howie Levy, Howie's Cousin, Larry Kessler, Phreee, Linwood Dixon, Carol Miller, Nick, Paul Thornton, Mark Whitecage, Pudgy, Ramona, McC, J.?
with 
[ The Dogz ]
Ray Rouch, Herb Abramson, Morty Kalb, Paul Thornton, Larry Kessler, Jim McCarthy
Kathe - photography
Kathe Graham, Ruthanne Ponnech - design
(Original ESP-Disk "The Third Testament" LP Liner Cover & Side One/Two Label)

 デビュー・アルバム『Contact High with The Godz』1966、第2作『Godz 2』に続くゴッズの第3作『第三新約聖書(The Third Testament)』は、創設メンバー四人のうちジェイ・ディロン(1942-2002・オートハープ、キーボード)が「J.?」名義でゴースト・メンバーになり(ディロンは1973年の次作『Godzhundheit (悪乗りゴッズ)』にも参加せず、2005年にディロンの2002年頃の訃報が伝えられたあとは、残るジム・マッカーシー、ラリー・ケスラー、ポール・ソーントンによって、2019年4月のソーントンの逝去までゴッズ再結成の活動が実現しました)、アルバム内容はザ・マルティテュード名義のゴッズの4人を含む18人編成(!)のセッション(A2、A4、B1)、またザ・ドッグズ名義のディロン以外のゴッズの3人を含む6人編成のセッション(B5、B7)の5曲以外は、ジム・マッカーシー(1944-)、ラリー・ケスラー(1941-)、ポール・ソーントン(1940-2019)それぞれの自作曲のソロ演奏となっています。ラリー・ケスラーは2007年~2018年の再結成ゴッズではリーダーになりましたが、1966年~1968年のゴッズではジム・マッカーシーのオリジナル曲とリード・ヴォーカルが多く、またポール・ソーントンが本作でアコースティック・ギターの弾き語りで歌うB2「Walking Guitar Blues」はボブ・ディランが民謡メロディーを改作したプロテスト・フォーク時代の名曲「ハッティ・キャロルの寂しい死 (Lonesome Death of Hattie Carroll)」(アルバム『時代は変る』1964.2収録)と同じメロディー、コード進行の改作です。もっともゴッズ初期3作のフォーク調の曲はどのメンバーの曲もディランの寝言のような作風なのですが、ゴッズのメンバー個々がソロのフォーク・シンガーとしてデビューしていたら散々だったでしょうから、ゴッズのフォーク曲はバンド名義だからこそ通用したともいえます。

 本作は『The Encyclopedia of Rock Vol.2』1975では「多少はまともになった(前2作『Contact High~』『Godz 2』ほどは奇矯で稚拙でもない)」と評されていますが、12分以上の即興曲を含むザ・マルティテュード名義の演奏、やはり即興性の強いザ・ドッグズ名義の演奏は、前2作よりさらにフリー・フォームなアヴァンギャルド・ロックに傾いており、ザ・13thフロア・エレベーターズのデビュー作『The Psychedelic Sounds of The 13th Floor Elevators』(International Artists IALP #1, October 1966)と並ぶテキサス・サイケの雄レッド・クレイオラ1966年のデビュー作『The Parable of Arable Land』(International Artists IALP #2)の「Free Form Freak-Out」の組曲構成からのコンセプト借用(ただしゴッズのフリー・フォームは巧妙なレッド・クレイオラとは比較にならないほど拙いものですが)を指摘されています。もっともレッド・クレイオラのアルバムなどは当時聴いていた人すら少ないので、ゴッズのアルバムのゲスト参加メンバー全員が聴いていたとはとても思えないものの、ゴッズは1966年9月録音の『ゴッズ2』からプロト・パンク/プロト・サイケ的なサウンドになりますが、ロック初のサイケデリック・ナンバーと言われるザ・バーズの「霧の8マイル (Eight Miles High) c/w 何故 (Why)」が'66年3月発売、同曲を収録したバーズの『霧の5次元 (Fifth Dimension)』が'66年7月発売、ロックのアルバムで初めて「サイケデリック」という言葉を使ったのがブルース・マグースの『Psychedelic Lollipop』とザ・ディープの『Psychedelic Moods Vol.1』、ザ・13thフロア・エレベーターズの『The Psychedelic Sound of The 13th Floor Elevators』で、この3枚はレコード業界誌には'66年11月発売と登録されるも実際には'66年10月には店頭に並んでいたとされます。『ゴッズ2』はその3枚発売の前月に録音され、マグース、ザ・ディープ、エレベーターズのアルバムの直後に発売されたので、来たるサイケデリック・ブームを先取りして制作されていました。その程度にはゴッズも時流に敏感だったのがわかります。

 エレベーターズやクレイオラをリリースしていたインターナショナル・アーティスツはテキサスのローカル・インディー・レーベルでしたから、ニューヨークのゴッズがレッド・クレイオラのアルバムなどを知っていたかと半信半疑になりますが、ゴッズはレコード会社勤務のサラリーマン4人が組んだバンドで、マッカーシー、ケスラー、ソーントンは営業セールスマンでしたが、ジェイ・ディロンは他でもないESPディスクの専属アート・ディレクターでした。ディロンがジャケット・アートを手がけたESPディスクのアルバムは、Albert Ayler Trio『Spiritual Unity』(ESP 1002, 1964)、Pharaoh Sanders Quintet『Pharaoh Sanders Quintet』(ESP 1003, 1964)、New York Art Quartet『New York Art Quartet』(ESP 1004, 1964)、The Byron Allen Trio『The Byron Allen Trio』(ESP 1005, 1964)、Ornette Coleman『Town Hall 1962』(ESP 1006, 1965)、Paul Bley Quintet『Barrage』(ESP 1008, 1965)、Bob James Trio『Explosions』(ESP 1009, 1965)、The Fugs『The Fugs First Album』(ESP 1018, 1965)、Paul Bley Trio『Closer』(ESP 1021, 1965)、Frank Wright Trio『Frank Wright Trio』(ESP 1023, 1965)、Timothy Leary, Ph.D.『Turn On, Tune In, Drop Out』(ESP 1027, 1966)、Charles Tyler Ensemble『Charles Tyler Ensemble』(ESP 1029, 1966)、Sonny Simmons『Staying On The WatchVarious』(ESP 1030, 1966)、Sunny Murray『Sunny Murray』(ESP 1032, 1966)、『ESP Sampler: Vol. I』(ESP 1033, 1966)、Godz『Contact High with The Godz』(ESP 1037, 1966)、Fugs『Virgin Fugs』(ESP 1038, 1967)と、クレジットが確認できるだけでもこれだけあります。アルバート・アイラーの『Spiritual Unity』、バイロン・アレンの『The Byron Allen Trio』、ニューヨーク・アート・カルテットの『New York Art Quartet』、ポール・ブレイの『Barrage』と『Closer』、オーネット・コールマンの『Town Hall 1962』、サニー・マレーの『Sunny Murray』など、ディロンはジャズ史上に残るESPディスクのフリー・ジャズの名盤の数々のジャケット・デザインを手がけただけでもたいへんな業績を残したアート・デザイナーであり、またディロンがファッグスの『The Fugs First Album』のジャケットを手がけたことからゴッズ結成のきっかけが芽生えたのでしょう。ならば同時期のテキサスのインディー・レーベルにも注意を払っていたのは十分に考えられることで、おそらくディロンこそがバンドの頭脳だったと思われます。

 次作『悪乗りゴッズ』が5年後の1973年録音・発売、'90年代のCD化まで未発表になっていたゴッズ名義のマッカーシーのソロ・アルバム『Alien』(1973年録音)、やはりゴッズ名義のソーントンのソロ・アルバム『Godz Bless California』(1974年録音、ポール&リンダ・マッカートニー夫妻が1曲参加!)は一時的なアルバム制作のための企画盤だったと思われるので、ゴッズが21世紀の再結成以前にレギュラー・バンドとして活動していたのは1966年~1968年の『コンタクト・ハイ~』『ゴッズ2』、本作『第三新約聖書』の3作の時期だけだったと思われます。本作自体が多人数セッションのザ・マルティテュードとザ・ドッグズのテイクとメンバーのソロが半々と、バンドの実体が解体していた時期であり、前2作よりもさらにムラのある奇妙なアルバム構成です。CD化に際してLPではA面4曲・B面7曲だったのがB面曲の合間と最後に短い追加曲「In My Shadow (Alone In Regret)」(マッカーシーのソロ、1分20秒)、「The Mind (Ending)」(ケスラーのソロ、46秒)が入り、またLPとCDでは各収録曲に尺の違いがあるのも本作の特徴で、おそらくCD化の際にLPマスター以前のマスター・テープが発掘・採用されたのでしょう。特にともにザ・マルティテュードによるA4『The First Multitude』 がLPでは13分10秒に対しCDでは12分12秒、B1『A-B-C』がLPでは4分25秒に対しCDでは3分35秒になっており、CDがマスターテープ通りなのか新規マスター制作によって編集の違いが起こったのか(追加曲はA4、B1の短縮部分から切り離されたものかもしれません)、謎の多いアルバムでもあります。担当楽器もゴッズのメンバーはマッカーシーがギター&ヴォーカル、ケスラーがヴァイオリン、ヴィオラ、ギター、ヴォーカル、ディロンがオートハープとキーボード、ソーントンがドラムス、ギター、ヴォーカルでしょうが、ゴッズの4人以外に14人も参加しているザ・マルティテュード、ディロンを除くゴッズの3人にゲストが3人参加したザ・ドッグズではまるで楽器編成の想像がつきません。メンバー単独名義の曲は作者のソロによる歌と演奏によるものであり、それらソロの楽曲はアシッド・フォーク調で、前2作の作風を継ぐものです。

 ゴッズについてもっとも早い同時代の批評は、アメリカのロックのリトル・マガジン(同人誌)「Creem」誌1971年12月号に批評家のレスター・バングス(1948-1982)が寄稿したエッセイ「ゴッズはエスペラント語を話すか?(Do the Godz Speak Esperanto?)」で、バングスは以下のように述べています。「彼らを特別にしているのは何か?理屈ならば誰でもこんな演奏はできるはずだが、実際はそうはいかない。誰でもこれほど間抜けな演奏をあえてするのは一見無意味だと考えるだろうし、それができる機会はゴッズほどの音楽マニアのバンドでなければ普通は実現できない。もしそれを実証しようとしても結果はまったく違ったものになるのがオチだろう。それを私はロックンロールにずっと追い求めてきたので、すぐにゴッズの音楽の狙いがわかった。月に遠吠えするほどの狂気に駆られた時には単に遠吠えすればいいだけであって、それに理由や証明を求める輩はもともと月になど吠えはしないし、もとよりそんな理屈が必要だろうか?しかしゴッズは吠え続けた!何の弁解もなく、ただ月に吠えるように!それが彼らを他のバンドから際立たせたのだ」。

 レスター・バングスはアレン・ギンズバーグ(1926-1997)の戦後アメリカ詩の記念碑的長編詩「吠える (Howl)」1956を念頭に置いてゴッズを「月に吠えるバンド」と賞賛しているのですが、今日の音楽サイトAllmusic.comの批評家ジョン・ドーガンはゴッズの項目にこう書いています。「ロックンロールの歴史にはこのニューヨークを拠点としたゴッズよりもひどいバンドを多少なりとも存在したにしても、ゴッズはこれまでに生み出されたもっとも珍妙でもっとも不協和な、意図的に無能なロック・ノイズを咳きこんでいたバンドだった。ハーフ・ジャパニーズやシャッグスのプロトタイプのように聴こえるゴッズは、あたかもテープレコーダーが回る10分前に初めて楽器を手にしたかのように演奏する。調子外れっぱなしの歌はほとんど何かのパロディのようで、サウンドは作曲されたものというよりも即興的な断片のように聴こえる。それはリスナーにとってポップ・ミュージックと呼ばれるものには聴こえないかもしれないが、ゴッズにとってはこれこそが独特のブランドであり、聴覚的ナンセンスに基づいた絶対的な無意識の喜びによるものなのだ」。

 思えば筆者がゴッズのアルバムを初めて聴いたのは片っ端から未知の'60年代の泡沫バンドを聴いていた1980年代末で、日本盤はおろかまだCD化もされていませんでしたからイタリア盤の輸入盤を中古レコード店で見つけて買いました。それが本作で、価格は確か1,200円だった覚えがあります。それまで買った無名バンドの輸入盤にもずいぶんひどい内容のものがありましたが、ゴッズの本作ほど買って後悔したアルバムはありませんでした。曲がまるで曲になってもいなければ、素人芸にもなっていないのです。しかしそれから30年以上を経て、CDまで買い替えていまだに聴いているわけで、'80年代当時ゴッズのオリジナル・メンバーはまだ40代だったはずです。21世紀に再結成したゴッズはいまだに日本盤も出ず、リヴィング・レジェンドとして日本のロック・フェスティヴァルにも呼ばれるような話はまったくありませんでした。そして近年には再結成後にがんばっていたメンバーも80代を目前に人知れず逝去しているので、今後再評価が高まることもまずあり得ないでしょう。こういう誰も話題にしようもないバンドをひっそりと聴きつづけるのも音楽の楽しみであり、本作のB7「Quack (I'm A Quack)」などを聴くと結局ゴッズは動物の鳴き真似しかできなかったのかと相変わらず呆れ、驚嘆し、お手上げしてその唯一無二の存在に思いをはせるしかかないのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました)