裸のラリーズ「夢割草」「海のように」 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


裸のラリーズ - 夢割草 (Live, 1981) - 7:30 :  

Recorded Live at 法政大学学生会館大ホール, November 6, 1981
裸のラリーズ - 夢割草 (Live MV with Lyrics, 1982) - 7:26 :  

裸のラリーズ - 夢割草 (Live, 1982) - 8:11 :  

Released by Illegal-Alien Records IAL05 as 10CD Box "81-88 Live & Soundboard", Germany, 2004 (Unofficial)
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocal, lead guitar
藤井アキラ - saxophone on 1981, guitar on 1982
Doronco - bass guitar
野間幸道 - drums 

裸のラリーズ - 海のように (Live with Lyrics, 1993) - 27:57 :  

裸のラリーズ - 海のように (Live, 1993) - 30:28: 

Released by Ignuitas YOUTH-197 as 10CD Box "Disaster Sources Encyclopedia Of Rallizes Vol. 2", Japan, 2012 (Unofficial)
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocal, lead guitar
石井勝彦 - guitar
高橋燿櫂 - bass
野間幸道 - drums 

 水谷孝(1948-2019)率いる裸のラリーズは極端にレパートリーの少なかったバンドで、1967年末の結成から1996年の活動休止まで、4アーティストの自主制作オムニバス盤『OZ Days』(OZ, 1973.8)、初の単独アルバムとして一気に3作発表された『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI - Les Rallizes Dénudés -』『'77 Live』(Rivista, 1991.8)、バンド自身による唯一の映像アンソロジー『Les Rallizes Dénudés』(Ethan Mousike, 1992.9)、アート雑誌の付録シングル「黒い悲しみのロマンセ c/w 永遠に今が」(雑誌「etcetra」1996.9)のすべての公式音源を集めても(同じ曲がアルバムごとに再演されるため)公式発表曲は22曲しかありません。非公式に流出したスタジオ音源、ライヴ音源を足しても30数曲にとどまり、ラリーズの場合は同一曲の改作から別曲に発展したものも多いので、例えば1969年に最初期のライヴ音源が残されている「The Last One」は別名「踏みつぶされた優しさ」と呼ばれる楽曲で、1970年以降には「The Last One 70 (踏みつぶされた優しさ)」とされ、1973年には同曲の別歌詞・別アレンジで「お前を知った」が成立するとともに「The Last One 70 (踏みつぶされた優しさ)」も演奏され続け、1974年には「The Last One 70 (踏みつぶされた優しさ)」と「お前を知った」の延長線上に、その両曲とも異なる派生曲の「The Last One」が成立し、1996年の活動休止までライヴの最終曲として演奏され続けます。1974年以降の「The Last One」成立とともに「The Last One 70 (踏みつぶされた優しさ)」の演奏は廃され、しばらくの間は「お前を知った」も演奏され続けます。また代表曲のひとつ「夜より深く」は軽快でフォーク・ロック的な長調のヴァージョンと、ヘヴィーでダウナーな短調ヴァージョン「夜より深く Part 2」では歌詞こそ共通するものの、ほぼ完全に別曲と言ってよく、やはり代表曲「氷の炎」は1976年成立のヴァージョンと1981年以降のヴァージョンではリフも歌詞も一新されています。ラリーズは持ち時間1時間のイヴェント出演では比較的コンパクトに4、5曲のセットリストにまとめますが、ワンマン・コンサートでは2時間半で7、8曲と1曲ごとに長大な演奏を聴かせるので、1970年に水谷孝が京都から上京後にようやくメンバーの布陣が整い、ライヴ演奏の作風の確立した1973年以降にはリーダー、水谷孝以外のメンバー・チェンジは多いながら(ラリーズ在籍経験メンバーは40人を越えています)、1996年の活動休止までライヴではほぼ10曲前後にレパートリーを絞りこんでいます。

 公式アルバム3作中もっとも人気の高い2枚組CD『'77 Live』は、ディスク1に「Enter The Mirror」「夜、暗殺者の夜」「氷の炎」「記憶は遠い」、ディスク2に「夜より深く (実際は「夜より深く Part 2」)」「夜の収穫者たち」「The Last One」の代表曲ばかり7曲収録で、編成も1976年~1977年の2年間レギュラーだった水谷孝、中村武志(セカンド・ギター)、楢崎裕史(ベース)、三巻俊郎(ドラムス)の絶頂期メンバー四人でしたが、1980年8月~1981年3月の山口冨士夫(ギター、1949-2013)在籍時までライヴ・レパートリーとして演奏頻度が高かったのは、『'77 Live』の7曲に加えて、いずれもアシッド・フォーク的な「白い目覚め」「黒い悲しみのロマンセ」「鳥の声」「天使」などでした。公式アルバム、映像、シングルに22曲、全年代でも30数曲、ライヴ・レパートリーは10曲前後で30年あまりの活動を続けていたのはラリーズがアンダーグラウンド・シーンでの非商業的バンドに固執していたからですし、1980年代以降には新曲はライヴでは演奏されなかった「恋の物語」(『Mars Studio 1980』)、スタジオ音源も残されている1981年以降成立の「氷の炎 ('80年代ヴァージョン)」「残酷な愛」、そしてこの「夢割草」と1993年初演の「海のように」があります。

 慶応大学横浜日吉校舎1982年10月2日のライヴ映像『Metal Machine Music 82』や法政大学学生会館大ホール1982年12月18日のライヴ映像でもご紹介しましたが、「夢割草」はこの時期からの新曲で、5年間のフランス滞在から帰国した1993年以降には「海のように」に改作されますが、ボブ・ディラン(水谷孝は'70年代からボブ・ディランへの傾倒を表明しています)の「All Along the Watchtower」のコード進行を借りた楽曲と目せます。同曲はジミ・ヘンドリックスの決定的なカヴァー・ヴァージョン、ブルー・オイスター・カルトの「(Don't Fear) The Reaper」に改作された曲としても知られます。
Bob Dylan - All Along the Watchtower (Columbia, 1967) :  

The Jimi Hendrix Experience - All Along the Watchtower (Reprise, 1968) :  

Blue Oyster Cult - (Don't Fear) The Reaper (Columbia, 1976) :  

 先に引いた法政大学学生会館大ホール1981年11月6日のライヴ・ヴァージョンと、1982年10月2日の慶応大学横浜日吉校舎、同年12月18日の法政大学学生会館大ホールでのライヴを聴き較べると、同じ曲でも1982年12月18日のライヴではぐっとテンポが落とされ、ヘヴィーな演奏になっているのに気づかされます。公式録音ではない記録用録音(撮影)のためにギターやベースのチューニングが甘く、水谷孝のヴォーカルもしばしば不安定ですが、当時ライヴを観た観客としてもラリーズのライヴの轟音は曲の区別すらつかないほどで、ましてやラリーズの音楽性を思えばこれらも意欲的に新曲に挑んだ名演でしょう。ただしラリーズとしてはこの新曲「夢割草」は、レパートリー中もっともオーソドックスなロック的楽曲に近づいた曲と言えます。ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ブルー・オイスター・カルトの前例からもそれは明らかで、代表曲「造花の原野」がホークウィンドの「Masteis of the Universe」、さらに「夜、暗殺者の夜」がリトル・ペギー・マーチの「I Will Follow Him」、さらに同曲をコラージュしたアモン・デュールIIの「Hawknose Harlequin」にインスパイアされたものと同様、ボブ・ディランの「見張り塔からずっと」の派生曲なのはセンスの良さを示すものであり、何のマイナスにもならないでしょう。

 1988年秋に渡仏して、パリ滞在中に初の単独アルバム3作・映像アンソロジー1作をリリースし、ますます伝説的存在になった水谷孝は、5年間のパリ滞在から帰国し、1993年2月13日に吉祥寺・バウスシアター、2月17日に川崎・クラブチッタで5年ぶりの裸のラリーズのライヴを行い、批評家や新たに獲得したリスナーで満員御礼のカムバック公演は音楽誌に大々的に取り上げられました、メンバーは水谷孝の他に1978年以来の野間幸道(ドラムス)、1984年以来の高橋燿櫂(ベース、元・吉野大作&プロスティテュート、分裂症候群)、新たなメンバーに石井勝彦(セカンド・ギター)を迎えた、水谷孝がもっとも好んだ2ギターの四人編成で、高い完成度のライヴに日本のアンダーグラウンド・ロック・シーン現役最年長バンドとしての裸のラリーズの評価はこのカムバック公演2公演で決定的になりました。そこで2公演とも演奏されたのが新曲「海のように」で、吉祥寺・バウスシアターでは28分、川崎・チネチッタでは30分半もの圧倒的な演奏がくり広げられました。お聴きいただければすぐわかる通り、この新曲「海のように」は「夢割草」の歌詞を一新した改作で、コード進行は「夢割草」と同じ、ボブ・ディランの「見張り塔からずっと」(そしてジミ・ヘンドリックスの「ウォッチタワー」、ブルー・オイスター・カルトの「死神」)を下敷きにした楽曲です。

 ただし聴き較べると、1981年~1982年の「夢割草」と、1993年の「海のように」では調性に違いがあるのに気づきます。テンポ違いの異動はあるといえ、「夢割草」はニ短調(Dm、長調に置き換えればG)の楽曲でした。コード進行はいわゆる1920年代からの大スタンダード「朝日のようにさわやかに (Softly, as in a Morning Sunrise)」、いわゆる「ソフトリー進行」で、このコード進行を簡潔に流用したのがヴェンチャーズの「急がば回れ (Walk, Don't Run)」(「ソフトリー進行」と並んで「ウォーク・ドント・ラン進行」とも呼ばれる由縁)です。裸のラリーズの「夢割草」はDm(ニ短調)の「ソフトリー~ウォーク・ドント・ラン進行」の曲でした。コード進行ではタイトルと歌詞、歌メロを一新した1993年の改作「海のように」も変わっていないのですが(「Ocean」はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの同曲を意識しているかもしれません)、1993年2月13日の吉祥寺・バウスシアターでの「海のように」は調性はロ短調(Bm)、2月17日の川崎・クラブチッタでの「海のように」はイ短調(Am)に変えられています。Bmでは「夢割草」のDmから三度下げとも五度上げとも聴こえますし、数日後にAmになったのはギターとベースがともに一度下げの調弦を試したためとも解せるでしょう。しかし何と言っても1981年~1982年の「夢割草」から1993年の「海のように」で大きく異なったのは演奏時間で、8分前後で演奏されていた「夢割草」から30分前後まで演奏時間を拡張された「海のように」は圧巻です。またDmの「夢割草」もいいですが、BmそしてAmに移調された「海のように」は張りのある演奏と長時間演奏の気迫で際立っており、同一曲の歌詞違いの改作にとどまらない、活動休止まで数年の最後期ラリーズを代表する新曲にして名演になっています。アナログLPならまるまるLPのAB面におよぶ、とんでもないスケールを誇る後期ラリーズの数少ない新曲「海のように」を、ぜひお聴きください。