ホフマンスタール「夜明け」(1907年) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Hugo von Hofmannsthal (1874-1929)


 夜明け
 フーゴー・フォン・ホフマンスタール

いま鈍色(にびいろ)の空の隅に 雷雲は
小さく くずれて 震えている。
いま病人は「夜が明けた、さあ眠ろう」と考える
そして あつい瞼を閉じる。そのとき小屋では
若い牡牛が朝の冷気を吸おうと
太い鼻孔をつき出す。いま静かな森では
浮浪者が去年の落葉の柔らかい寝床から
顔も洗わず身を起し 図太い手で手頃な石を
一羽の鳩に向って投げつける 鳩は寝ぼけて
飛び去り、浮浪者は 石が重く鈍い音を立てて
大地に落ちるのを聞いて 自分でびっくりする。
いま川水は 忍び去った夜を追い、闇の中へ
落ちようとでもするかのように
目もくれず、荒々しく、冷い息を吐いて流れてゆく。
そのとき川の橋の上では
救世主と聖母が ひそひそ
語り合っている。声は低いが
二人のささやかな語らいは空の星のように
永遠で 不滅である。
救世主は十字架を負いて ただ「わが母上」と言う。
すると聖母は眼を据え、「ああ わが息子」と答える。
いま天は大地と沈黙の 重苦しい対話を交わす。
すると重い 老いた身体の中を
おののきが走る。
いま 大地は新しい一日を始めようと準備する。
いま 幻に似た夜明けの光が上る。いま
一人の男が裸足で女の床から忍び出て
影のように駆け、旅人のように 窓から
自分の部屋へよじ上り
壁の鏡に映る自分を眺める そして突然
蒼ざめ 夜を通して 変り果てた姿に驚く
まるで 昨夜 今までの良い少年を
殺してしまい、それを嘲笑うかのようだ
そして殺された少年の桶の中で
手を洗いに来たかのようだ
そのためか窓はこんなに重苦しく 大気の中の
すべてのものが こんなに奇妙に思われる。
いま 小屋の戸が開く もう夜が明けたのだ。

(原題"Vor Tag", 1907年。野村琢一訳)

 フーゴー・フォン・ホフマンスタール(またはホーフマンスタール、1874-1929)はウィーンの貴族家に生まれ、18歳でオーストリア文壇にデビュー、「詩のモーツァルト」と称された詩人・劇作家・小説家です。この詩「夜明け」は1907年刊の『全詩集』(1903年の第一詩集『選詩集』の増補版)に初収録された、詩人時代の最後期に書かれた作品で、以降ホフマンスタールは詩劇、小説、散文、批評、エッセイ、戯曲に広く乗り出していくことになります。日本語訳で読める作品集では、昭和48年(1973年)~昭和49年(1974年)にかけて河出書房新社から刊行された『ホーフマンスタール選集』全四巻(『1・詩/韻文劇』『2・小説/散文』『3・評論/エッセイ』『4・戯曲』)がもっとも網羅的な準全集で、また日本語訳のある評伝には、ホフマンスタールよりひとまわり若い世代に当たるオーストリア出身の作家、ヘルマン・ブロッホ(1886-1951)の遺作となった『ホフマンスタールとその時代~二十世紀文学の運命』1947-1951(日本語訳=筑摩書房・昭和46年/1971年)があります。ブロッホはホフマンスタールを19世紀文学から20世紀文学への橋渡しとなった文学者として論じていますが、ご紹介した「夜明け」は日本語訳でも瑞瑞しさが伝わってくるホフマンスタール詩集でも白眉の一篇で、巨視的な自然描写から徐々に視点を移動していき、最終的に少年の童貞喪失を描いて強い印象を残す、見事な作品です。

 ホフマンスタールはシュテファン・ゲオルゲ(1868-1933)に次いで、詩人としてはドイツ語圏における遅れてきた象徴主義詩人と見なされる存在ですが、この「夜明け」のような詩は象徴主義詩の発祥国フランスのボードレール、マラルメ、コルビエール、ヴェルレーヌ、ランボー、ラフォルグなどにもなければ、ボードレールが師と仰いだポーやポーの同国人ホイットマン、またイギリスのロマン派詩~象徴主義詩にも見られない発想のものです。北村透谷、島崎藤村ら日本の明治以来の詩においても言わずもがなですが、唯一、蒲原有明(1876-1952)の『有明集』(明治41年/1908年1月刊)収録の「智慧の双者は我を見て」「茉莉花」「月しろ」などが(これらの詩篇は明治40年/1907年創作と、ホフマンスタールと同年です)にこの「夜明け」と似た詩想、技法が見られるのは驚嘆すべき符号で、なぜホフマンスタールと有明に同時に共通する発想が表れたのかは悠に比較文学的課題になり得ます。有明は上記の自作を「愛欲の煩悶から生まれた詩」と明言しています。以上、好きな詩を写してみました。有明の詩と較べても、ちょっと出来すぎなところが少し気になりますが。