蒲原有明「茉莉花」「月しろ」明治40年(1907年) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

蒲原有明・明治9年(1876年)3月15日生~
昭和27年(1952年)2月3日没(享年76歳)

 茉莉花
 
(むせ)び嘆かふわが胸の曇り物憂き
(しや)の帳(とばり)しなめきかかげ、かがやかに、
或日は映(うつ)る君が面(おも)、媚(こび)の野にさく
阿芙蓉(あふよう)の萎(ぬ)え嬌(なま)めけるその匂ひ。
 
(たま)をも蕩(た)らす私語(ささめき)に誘はれつつも、
われはまた君を擁(いだ)きて泣くなめり、
極祕の愁、夢のわな、――君が腕(かひな)に、
痛ましきわがただむきはとらはれぬ。
 
また或宵は君見えず、生絹(すずし)の衣(きぬ)
(きぬ)ずれの音のさやさやすずろかに
ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、
 
茉莉花(まつりくわ)の夜(よる)の一室(ひとま)の香(か)のかげに
まじれる君が微笑(ほほゑみ)はわがの痍(きず)
もとめ來て沁(し)みて薫(かを)りぬ、貴(あて)にしみらに。
 
(「新思潮」明治40年=1907年10月発表)

 月しろ
 
(よど)み流れぬわが胸に憂(うれ)ひ惱みの
浮藻(うきも)こそひろごりわたれ黝(くろ)ずみて、
いつもいぶせき黄昏(たそがれ)の影をやどせる
池水(いけみづ)に映るは暗き古宮(ふるみや)か。
 
石の階(きざはし)(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、
沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、
かつてたどりし佳人(よきひと)の足(あ)の音(と)の歌を
その石になほ慕ひ寄る水の夢。
 
花の思ひをさながらの祷(いのり)の言葉、
(ぬか)づきし面(おも)わのかげの滅(き)えがてに
この世ならざる縁(えにし)こそ不思議のちから、
 
追憶(おもひで)の遠き昔のみ空より
池のこころに懷かしき名殘(なごり)の光、
月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。
 
(「文庫」明治40年6月発表・初出題名「月魂(つきしろ)」)

 この二篇は以前にもご紹介しましたが、全詩集『有明詩集』からの代表作「恐るべき力で虚空を…」「わが眼」をご紹介した上で再び読み返してみると、より蒲原有明(1875~1952)の詩が明治時代にどれほど高い完成度に達していたかがわかるので、再度ご紹介いたします。この恋愛詩二篇は全四八篇・訳詩四篇を治めた有明の明治41年(1908年)1月刊行の第四詩集『有明集』のうち、詩集巻頭の連作ソネット(14行詩)「豹の血」八篇中、傑作と名高い作品です。有明はのち、昭和22年(1947年)刊行の自伝的長編小説『夢は呼び交す』で『有明集』刊行の前後を回想していますが、当時32歳になっていた有明には10年前に棄てた恋人があり、かつての恋人は有明と別れたのち結婚するもすぐに未亡人となり尼僧になって有明を訪れたそうで、有明は淡々と綴っていますがその罪業感は非常に大きく、前年の明治39年に結婚していた有明を心身不調に陥らせたほどでした。『有明集』編集・校了中の明治40年12月から翌年3月まで有明の体調不良は重篤な腎臓病にまでおよび、有明は詩集刊行の前後はずっと病床に臥していました。また「茉莉花」は娼窟の女性との恋愛詩ですが(第一連「咽(むせ)び嘆かふわが胸の曇り物憂き/紗(しや)の帳(とばり)しなめきかかげ、かがやかに、/或日は映(うつ)る君が面(おも)、媚(こび)の野にさく/阿芙蓉(あふよう)の萎(ぬ)え嬌(なま)めけるその匂ひ。」の四行で早くも内面描写から娼窟に場面転換する技法は、ぬめり絡みつくような母音・子音の音韻を重ねた文体からも鮮やかな効果を上げています)、詩行からはこの娼窟は阿片窟を兼ねていたことがわかり、創作時には有明は結婚してはいたものの、かつてこの詩にあるような「わが心この時裂けつ」とまで苦悶するような恋愛体験(有明自身の弁では「性慾」「愛慾」)があったことがうかがえます。「茉莉花」「月しろ」とも表現は極端に凝縮され、特定の女性との関係をモデルにしているというよりも有明の数次に渡る恋愛体験の煩悶から抽象化され発想されたものでしょうが、言葉の官能性と韻律の音楽性の追究が極まった恐るべき作品です。この二篇は連ごとに時間的推移が描かれているにもかかわらず、時間は完全に連ごとの表現の中で凍結している印象を受けます。また音調面でも、「茉莉花」の「また或宵は君見えず、生絹(すずし)の衣(きぬ)の/衣(きぬ)ずれの音のさやさやすずろかに」の子音S音の連続による頽廃した煩悶感、「月しろ」の「石の階(きざはし)頽(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、/沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、」の母音i音・e音の連続による崩落感はほとんど日本語表現の音韻実験の限界にまで迫っており、有明を他の明治時代の詩人から隔てる孤高の存在にしています。これらの詩の生まれた背景は岩波文庫で読める最晩年の自伝的長編小説『夢は呼び交わす』で、「茉莉花」や「月しろ」発表から40年を経て初めて明かされたことですが、感性の面では自然主義詩人、技法においては象徴主義詩人だった有明にとって、これらは心情的な「恋愛詩」ではなく、もっと直接に心身を蝕む狂気に近い「性慾」の詩、逃れようもない「愛慾」の詩だったことを感じとっていただけたら幸いです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)