(2)「サド侯爵」というテーマ | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 前回は軽くマルキ・ド・サド(サド侯爵)として知られるアルフォンス・フランソワ・ド・サド(1740-1814)についてご紹介するつもりが、書いているうちにまとまりがつかなくなり、軽い読み物としては長すぎる文章になってしまいました。日本でサドの紹介者としてもっとも大きな働きをした人は、半世紀以上を経た現在でもその一連のサド翻訳、サド研究が読まれている故・澁澤龍彦(1928-1987)氏ですが、サド研究のフランス本国での進展、特に現代思想的解釈の広まりにより、1980年代以降には澁澤氏の紹介したサド像、またその翻訳も、1950年代までのサド研究による澁澤氏流の創作的側面の大きさが、新たな世代のサド解釈によって疑問視されるようになりました。澁澤氏が昭和28年(1953年)に東京大学仏文科を卒業した時の修士論文は『サドの現代性』だったそうですが、昭和34年(1959年)~昭和39年(1964年)の『悪徳の栄え』裁判有罪判決によってもともと抄訳だった翻訳をさらに改訳し、そのサド翻訳選集を一種の雅文体で統一したことは当時の翻訳紹介としては読者に受けいれられやすくなったものの、澁澤氏の没後にサドはもっと即物的な文体でさまざまな翻訳者によって全訳されるようになったので、澁澤氏一手独占ではないサドの読まれ方はまだ端緒についたばかりと言えます。20世紀以降の文学者にとって重要なのはサドの異端性ではなく世界文学としてのサドの遍在性であり、サド的な想像力をいかに文学の可能性として読み解くかということです。そうした視座に立って見渡した時、澁澤龍彦訳サド選集や澁澤氏によるサド研究・サド侯爵像は古典的に完結しすぎているのです。しばしば文法的な支離滅裂を意に介せず、卑語・猥語にあふれるサド作品を澁澤訳は流麗な雅文体に移したものでした。澁澤氏が最初からサドを摘録抄訳したのは原著が長大すぎくり返しが目立ちすぎるからですが、それは日本未訳作品でもサミュエル・リチャードソン(1689-1771)の『クラリッサ・ハーロウ』1748、ガートルード・スタイン(1874-1946)の『アメリカ人の成り立ち』1934など近・現代小説の古典とされながらも澁澤氏のサド抄訳と同じ理由(長大すぎ、くり返しが目立ちすぎる)で短縮編集再刊しかされていないように、必ずしも難点とは言えません。ただし澁澤氏のサド理解もサド作品の「現代性」を1950年代初頭までのサド研究からまとめたもので、その先見性は大きな業績としても、堀辰雄の愛読者だった澁澤氏の見た現代性そのものがジャン・コクトーや、シュルレアリスムへの関心と理解の延長にあるものでした。サドの本質的な野卑さや怪物的な想像性は丁寧に美粧され、刈り揃えられることで日本の文学読者に提供されたのです。澁澤訳サドは詩歌と小説の違いこそあれ、いわば上田敏『海潮音』、堀口大學『月下の一群』など名訳アンソロジーの系譜に連なるものでした。詩歌翻訳が妥当でなければ森鷗外訳『即興詩人』『ファウスト』『諸国物語』などの古典名訳が上げられるでしょう。澁澤氏によるサド翻訳、またサド研究はいわば「澁澤版サド」という一つの作品です。ただし現在のように日本でサドが広く読まれるには、澁澤氏が果たした役割を負う適任者は他にいなかったでしょう。何かを伝えようとする意識による言語は、いわば広告の言語です。暴走するサドの想像力はその域を逸脱していました。当初からその意図があったかは計れませんが、少なくともサド裁判を経て、 澁澤氏は戦略的にサドの広告化に向かったと考えられます。それは日本の高度成長期とベビーブーマー世代の青年層膨張期に軌を一とするものとなったのです。伝達意識による言語の広告化、広告言語こそサドから遠いものはなくてもです。資本主義市場の余剰価値はそのままでは売れなさそうな物を価値ある物に見せかけるマーケティングのプロたちによって操作されています。そのようにサドも1960年代~1970年代の日本において珍奇な物に飛びつく読者のための異端文学として売り出されたのです。

 19世紀帝政ロシアには、おそらくサドとは無縁に正真正銘狂気の小説家だったニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)の狂死による大長篇『死せる魂』(1842-)完結篇草稿の焼却(そのため『死せる魂』は第一部の他は、第二部の断片しか残されていません)がロシア文学史上でサドに相当する存在でした。サドの最大の影響は20世紀小説ではマルセル・プルースト(1871-1922)の『失われた時を求めて』(1913-1922年)にもっとも明瞭です。またジェイムズ・ジョイス(1882-1939)『ユリシーズ』(1922年)、トーマス・マン(1875-1955)の『魔の山』(1924年)にもサド作品の反映がありますが、ゴーゴリばかりか澁澤訳サドからプルーストやマン、ジョイスに進む、またプルーストやマン、ジョイスからゴーゴリや澁澤訳サドに進む読者はほとんどいないでしょう。一方、サドやゴーゴリをすでに読み、大作『失われた時を求めて』や『ユリシーズ』『魔の山』を通読した読者はサド作品やゴーゴリとプルースト、マン、ジョイスの照応に気づかずにはいられません。文学史とは新旧の作家による想像力のリレーによって形づくられます。故・澁澤氏がおそらく意図的にサド紹介に際して排除したのは、あくまでサドを異端文学として強調するための、それら他の文学者とサドの想像力の並行的関連性でした。
・サド侯爵の肖像画
 サドを下敷きに書かれた20世紀英語圏の小説にロレンス・ダレル(1912-1990)の『アレクサンドリア四重奏』四部作(『ジュスティーヌ』『バルタザール』『マウントオリーヴ』『クレア』1957-1960)、『人食い』1949や『罠』1961、『もうひとつの肌』1964、『ブラッドオレンジ』1970を始めとするジョン・ホークス(1925-1998)の諸作、トマス・ピンチョン(1937-)の『V』(1963)、『重力の虹』(1973)があり、また『ロリータ』(1955)で知られるウラジミール・ナボコフ(1899-1977)もその系譜だと思いますが、20世紀の作家の場合には、サド作品のように大きな背徳が行われているのに具体的な背徳や全体像が明らかではない、とサド的な要素はむしろ曖昧にされ、サド的な想像力の肥大化は明確な認識が不可能ではないか、と発想が変わってきています。それにはずばり全編の骨格がサドのパロディと言えるプルーストの『失われた時を求めて』が20世紀の小説動向を変えてしまい、ジョイスとフランツ・カフカ(1883-1924)からの影響と混じりあったことが大きいと考えられます。サドを通らず自分自身が20世紀フランスのサドだったのはルイ=フェルディナン・セリーヌ(1894-1961)とジャン・ジュネ(1910-1986)くらいのものでしょう。またサドの提起したテーマをもっとも真正面から受けとめたのが『無神学大全』1949、『エロティシズム』1957のジョルジュ・バタイユ(1897-1962)であり、バタイユの秘書モーリス・ブランショ(『レチフ・ドラ・ブルトンヌ』『ロートレアモンとサド』1949、1907-2003)であり、プルースト研究から直々にジョイスに師事して文学的想像力の臨界点に向かったサミュエル・ベケット(『ゴドーを待ちながら』1952、『モロイ』三部作1951-1953、『事の次第(「それはいかにして」「どんなふう」)』1961、1906-1986)らは、ダレル、ホークス、ピンチョンらに先行するものです。前回に触れたように、サドは文学史~思想史的には1830年代に定着するロマン主義の走りに当たる存在で、フランスの伝統的ユマニスム思想を裏返した立場にいた人だったと思えます。サドは自分の知性がおよばないことまでは想像力を広げられませんでした。当時の基準で背徳的なことを書いていても物事の見方は現実的で、サド自身は体質的にはアンシャン・レジーム時代劇の生き残りであっても、フランス革命後に共和制に移行した新時代への認識から自己にも現実にも疑いはなかった、明晰な理性の時代の人でした。サドには背徳についての巨大な想像力がありましたが、その想像力優位の虚構性への指向によって、サドと同時代の作家だった『パリの夜~革命下の民衆』1788-94のジャーナリスト作者ニコラ・レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ(1734-1806)、『危険な関係』1782の作者フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロ(1741-1803)のような、頽廃への感受性は稀薄だったと目せます。またサドはあまりに強烈な現実にさらされたため、17世紀にすでにパスカルがたどり着いていた形而上学的な「神の実在への賭け」(前回参照)への問いとは無縁でした。サドほど生きることと書くことが一致した存在はありませんが、神による秩序が実在しなければ、サドの反逆や放蕩、背徳は意味を失います。前回まとめてみた、サドの生涯と作品の簡略な年表を再び掲載します。
・『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』初版見開き
◎1740年 : サド、伯爵家にて誕生。
◎1763年(23歳) : 七年戦争(1756-1963)の軍役から大戦終結にて除隊、結婚。2男1女を得る。
◎1776年(36歳) : 領地に劇場設立。
◎1777年(37歳) : 実父の逝去によって家督相続、祖父代を継ぐ侯爵位に就く。
◎1778年(38歳) : 死刑判決(宗教侮辱罪、殺人未遂罪、猥褻罪)、収監。処女作『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(~1785年、未完)。
◎1790年(50歳) : フランス革命(1789年7月~1795年8月)恩赦にて釈放。
1793年末~1794年末(53歳~54歳) : 収監(反共和制的言動による)。
◎1795年(55歳)~1802年(62歳) : 釈放、匿名出版専業作家活動。作品『閨房哲学』1795、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』1787-1797、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』1797-1801。
◎1803年(63歳)~1814年(74歳) : 『美徳の不幸』『悪徳の栄え』の作者としてナポレオン命令による逮捕・終身刑、収監、獄死。

 38歳で貴族派閥の密告によって逮捕・収監され、74歳で獄死するまで、サドの収監期間は31年にもおよびます。有閑貴族で自宅領に劇場を設立するなど文学趣味のあったサドが、今日知られる膨大な異常背徳小説の作家になったのは、死刑囚として監禁されたバスティーユ監獄の中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を書き始めてからのことでした。ここでサドには国会と人間性への憎悪とともに、行動の自由を奪われた収監状態の中で、権力・狂気・監禁・性のテーマを唯一許された思考の自由、想像力の自由によって創作活動を開始します。『ソドム百二十日』は12メートルの巻紙原稿までに膨れ上がって未完に終わりましたが、処女作にすべてがあるとの言葉通りの本格的処女作でした。サドの作品は基本的にはサドの望むことがすべて実現される異世界小説であり、現実への復讐心を具体化したユートピア小説です。そこに『幻想詩篇』1854のジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)や『悪の華』1857のシャルル・ボードレール(1821-1867)、また『地獄の季節』1873や『イリュミナシオン』1875のアルチュール・ランボー(1854-1891)にある現実からの疎外感、罪障感、敗北感との違いがあり、ロートレアモン伯爵(1846-1870)の『マルドロールの歌』1869が例外的にサド的な哄笑に満ちたユートピア的作品であることと対照を見せています。これら象徴主義期のフランス詩人は不完全な形であれサド作品を閲読したでしょうが、象徴主義の時代には文学者はすでにテーマの内面化に踏みこんでおり、匿名詩人ロートレアモン伯爵(実際は貧農出身の地方領事の子息のボヘミアン詩人で、貴族でも何でもありませんでした)の言語遊戯的作品(長篇小説の長さに匹敵する長篇散文詩集)が偶然サド作品の本質を引き継いだ創作になったのは長い間理解されませんでした。23歳で病没したロートレアモンこと本名イジドール・デュカスは自費出版作品を3冊(うち1冊は本名名義)残しただけで生前の反響は皆無ばかりか20世紀の1920年代(没後50年!)まで注目されなかったため、伝記的事実の判明や唯一の肖像写真発見は1980年代までかかった謎の夭逝文学者だったのです。1970年代までは同名(イジドール・デュカス)の同時代の政治活動家の経歴と混同されていたほどで、つまりサドについても1950年代から今日までは長足に新たな研究が進みました。澁澤龍彦訳では序章のみの抄訳で翻訳刊行された『ソドム百二十日』の巻紙原稿についても、写真でその実物が公開されたのは1990年代以降に当たります。刑務官在職経験のある佐藤晴夫(1923-2009)氏によって同書が削除なしの全訳が刊行(邦題『ソドムの百二十日』)されたのは1990年のことでした。
・『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』の巻紙原稿
 以降佐藤氏は1991年に『ジュスチーヌ物語又は美徳の不幸』、1992年に『閨房の哲学』と『ジュリエット物語又は悪徳の栄え』、1994年に『アリーヌとヴァルクール又は哲学小説』と削除なしのサド作品の全訳を進め、『閨房の哲学』は2007年、2014年、2019年に異なる訳者によって全訳刊行され、岩波文庫でも1996年に植田祐次訳の全訳『短篇集 恋の罪』、2001年には同訳者によって『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』が収められました。水声社からは全訳・新訳で1996年から『サド全集』が刊行され、未完ながら2021年までに未訳作品を優先に訳出が進められ、全11巻予定中現在までに6巻分が刊行されています。25年かかっても無削除新訳全集刊行がようやく半分を過ぎたばかりなのも本来のサド紹介の困難さを物語るようですが(またここまでで佐藤晴夫氏の全訳分を足せばほぼサド全作品の無削除全訳は達成されたと言えますが)、サドの無削除全訳刊行や全訳版の岩波文庫への収録、全訳全集刊行が実現したことこそが、半世紀以上に渡って読まれてきた澁澤龍彦抄訳サド選集や故・澁澤氏のサド研究の一番の功績だったかもしれません。水声社版『サド全集』を、未刊分を含めて一覧にしておきましょう。
◎水声社版『サド全集』全11巻(続刊の訳者は2022年12月現在の予定)
01『ソドム百二十日あるいは放蕩学校/閨房哲学』橋本到/中村英俊訳 (続刊予定)
02『美徳の不運/司祭と臨終男の対話/ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』植田祐次/余語毅憲訳 (続刊予定)
03『新ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』鷲見洋一訳 (続刊予定)
04『ジュリエットの物語あるいは悪徳の栄え(上)』真部清孝訳 (続刊予定)
05『ジュリエットの物語あるいは悪徳の栄え(下)』真部清孝訳 (続刊予定)
既刊
06『恋の罪、壮烈悲惨物語』私市保彦/橋本到訳、2011年10月刊行
07『こぼれ話、物語、笑い話/オクスティエルナ伯爵あるいは放蕩の危険』橋本到/太原孝英訳、2021年6月刊行
08『アリーヌとヴァルクールあるいは哲学的物語(上)』原好男訳、1998年9月刊行
09『アリーヌとヴァルクールあるいは哲学的物語(下)』原好男訳、1998年9月刊行
10『ガンジュ侯爵夫人』橋本到訳、1995年2月刊行
11『フランス王妃イザベル・ド・バヴィエール秘史/ザクセン大公妃アーデルハイト・フォン・ブラウンシュヴァイク』原好男/中川誠一訳、2014年11月刊行

(以下次回)