高橋新吉「戯言集」改訂復原版(昭和29年/1954年)・後編 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

高橋新吉(明治34年/1904年)1月28日~
昭和62年/1987年6月5日没)
『ダダイスト新吉の詩』(大正12年/1923年)
肖像写真・21歳
 連作長篇詩「戯言集」の背景や成立過程は前回にご紹介した通りですが、高橋新吉(1901-1987)が昭和3年に発症した統合失調症は深刻に慢性化したもので、昭和3年(1928年、高橋27歳)末~昭和6年(1931年、高橋29歳)末までの三年間を窓もない禅寺の二畳一間の座敷牢に完全監禁されるという、薬物療法のない当時にあってもほとんど患者を廃人と見なした極端な療法が行われました。現在であっても薬物療法で安静させるのがやっとの、慢性化の上に急性悪化のはなはだしい患者は隔離室への隔離療法が行われますが、急性悪化による隔離療法はほぼ三週間で一応解除されます。数か月から数年に渡る隔離監禁は身体的な健康自体を損ねかえって病状を悪化させるからですが、慢性化症状は理性を失うので重度の錯乱を伴い、隔離から解放されても閉鎖病棟で発作時には拘束を行わざるを得ない場合もしばしばあります。高橋新吉は数回の上京・帰郷をくり返して東京に定住した大正11年(1922年、高橋21歳)から何度も暴力事件を起こし、第一詩集『ダダイスト新吉の詩』(大正12年/1923年2月刊)の刊行時には「ダダを宣伝する」ために日常的に暴力事件を起こして留置場に入っていたほどで、青年前衛ボヘミアン詩人ならではの奇行として性格的なものと見られていましたが、昭和3年秋の愛媛県への帰郷時にははっきりと統合失調症(当時の呼称では精神分裂病)と医学的診断を下されました。薬物療法開発以前の当時では都会にしか専門の精神病院はなく、また禅寺での参禅療法・監禁療法と専科の精神病院での療法は大差ない状態でした。11歳で母を亡くした高橋は小学校校長の父との父子家庭で育ち、帰郷ののちの禅寺への入院も父が頼りでしたが、高橋新吉の入院から1年後の昭和4年(1929年、高橋28歳)の9月に高橋の父は急逝し、高橋は父の死を自分の入院が原因の自殺と受けとめます。高橋の病状はますます悪化し、結果的に三年間にもおよぶ監禁療法生活が行われます。座敷牢生活中に連作長篇詩「戯言集」の創作が続けられたのも異例ですが、退院後に高橋が創作力を取り戻したのも医学上には本来不可能な、ほとんど類のないことでした。高橋は高橋を兄貴分と慕っていた中原中也(1907-1937)との生前最後の別れをのちのエッセイで回想していますが、長男を乳児のうちに亡くして錯乱状態に陥り昭和12年初頭に1か月の入院生活を送った中原の病状への言及はあえて避け、間もなく郷里の山口県に帰郷する中原との最後の対面(詩人仲間との飲み会)で酔って絡んでくる中原をぶん殴って出てきた、という背景にはおそらく精神病院入院体験をめぐる中原の甘えかかりがあったものと思われます。高橋は通常なら創作への復帰が不可能な病状をくぐり抜けてきた詩人でした。

 高橋は山雅房の『現代詩人集』第一巻(昭和15年/1940年7月刊)で連作長篇詩「戯言集」のみを改訂再録し、最初の全詩集『高橋新吉詩集 (創元選書版)』(昭和27年/1952年2月・創元社刊)以来『定本高橋新吉全詩集』(昭和47年/1972年10月・立風書房刊)でも初版詩集に併載されていた単独詩篇12篇は除いており、また連作長篇詩「戯言集」全67篇は初版以来何度も配列の入れ替えや抄出がありますが、これには初版詩集が出版社側によって改竄刊行された事情があり、歴史的意義から改竄刊行の初版型をあえて収録したのは昭和57年/1982年7年刊の青土社版『高橋新吉全集』第一巻しかありません。ここでは『高橋新吉詩集 (創元選書版)』を底本にして高橋新吉自身の了承・校閲を得て創元選書版で割愛された遺漏詩篇を補い、本来高橋新吉が意図した「戯言集」を復原した草野心平編の『全詩集大成・現代日本詩人全集』第12巻(昭和29年/1954年4月15日・創元社刊)を底本にしました。創元選書版は初版『戯言集』から47篇を自選した抄出版であり、各篇は通し番号ではなく☆印で区切られていますが、『現代日本詩人全集』は創元選書版全詩集『高橋新吉詩集』では削除された20篇を一~二十とし、創元選書版47篇を二十一~六十七の番号にくり下げて初版詩集を復原しています。残念ながら「戯言集」最初の改稿(本来の高橋の生原稿への復原)が行われた山雅房版『現代詩人集』第一巻(昭和15年7月刊)を閲見することがかないませんが、山雅房版『現代詩人集』への各収録詩人への割り当ては約30~40ページなので、『高橋新吉詩集(創元選書版)』の47篇版(『全詩集大成・現代日本詩人全集』の二十一~六十七)と同一内容と推定されます。以前ご紹介した初版型詩集『戯言集』は出版社側の用紙節約から「詩文集」とされ、巻末の単独詩篇12篇のみ行分け詩で、連作長篇詩「戯言集」は散文詩型(詩文)に改竄されていました。実際は連作長篇詩「戯言集」も行分け詩(と散文詩の混交)として書かれていたので、高橋新吉本人によって行分け詩の連作長篇詩に復原されたものが『高橋新吉詩集(創元選書版)』『全詩集大成・現代日本詩人全集』版以降の定本になっています(のち『定本高橋新吉詩集』でさらに配列の復原改訂がされますが)。ぜひこの連載の最初にご紹介した初版型と読み較べてみてください。筆者は先に読んだのがこの復原改訂型なのもあってか、もともと高橋の初稿通りに復原したというこの復原改訂版の方が改行効果が効いていて、より感銘の深い詩になっていると思います。

『高橋新吉詩集(創元選書版)』

『全詩集大成・現代日本詩人全集』
第12巻(昭和29年=1954年4月15日・創元社刊)

 戯 言 集
 (『全詩集大成・現代日本詩人全集』版)
 高橋新吉

 三十五

生れたばかりに私は 生きてゆかなければならない
生れなかつた方が どれ丈よかつたか知れない
生きてゐる事は叩かれる事であり 圧し潰される事であり 馬鹿にされる事である


 三十六

生きてゐる事は 死んでゐる事よりも不幸な事だ
それで君は今生きてゐる
それで此れより以上の不幸が 君に起りつこない
生きてゐる事は最大不幸だ


 三十七

埋められた棺桶の中で目を覚ました男
其の男は私の経験した心を嘗めたであらう
そして死んで行つたであらう
私も此の牢の中で朽ち果つるであらうか
此の牢の中で 今夜にでも死ぬかも知れない
しかし死なぬかもしれぬ それで私は此の牢の中で死にたくないが故に 鉛筆の屑をなめながら之を書く
トウシビの灯をかき抱くやうにして 私は自分の生命をかき抱いてゐる だが此んな事を書く事は 私を此の牢から出す障害と却つてなるかもしれない
自分の頭が信ぜられぬ程悲惨な事があらうか 自分で自分を疑はなければならない


 三十八

私は父の悲痛な さびしさうな顔を
未だに忘れる事が出来ない
お父さん
許して下さい
私が生れ出た事
此れはお父さんにとつては 死を予定した出来事だったのです


 三十九

殺しあう事も 憎みあう事も
みんなさびしいからなんだ
誰もかも みんな じつとして居られないのだ
みんなは一つの塊りなんだ
それが 割れたり壊れたりするんだ


 四十

山鳩よ ひよろひよろと鳴け
川魚よ 涙を溜めてピチピチと泣け


 四十一

それで
私は実につらい口惜しい
それで
私は実に恐い情けない
それで
私は実に生きて居りたいのだ


 四十二

私は死を考へると まだたまらない気になる
死ぬのが何うしても厭なのである
しかし之は 私の狂つた頭丈の考へる事であって
私の肉体は 日々死を迎へるに忙しく
日々腐りつつあり 死に達せんとする準備を営みつつある


 四十三

たとえ何んなに穢いまづいめしでも
三度々々欠かさずに食べられる事は 重大な原因だ 此れは人間同志が限りなく感謝しあつて好い事だ


 四十四

人間は自分の死を 惜しまれ なげかれ
とてもたまらない事のやうに思はれるやうな人間にならなければならない


 四十五

私は今何と言う苦しい気持で生きてゐるかを誰も知らない 誰にもわかつて貰へない事だ
私は今何を考え 何を夢みているかを誰にも知つて貰う事の出来ない事だ
私は事実何も考えてもゐなければ 何事も夢見ていない


 四十六

あなたの考へは凡て 死の恐怖から出発している
だから正しいとは言へない
私は何も外に考えて居らない
此の牢の中から出て行きたいのだ


 四十七

あまりに何事も大事に取扱い 思い過ごすな
何事も
自分の死も 子供の死も 兄弟の死も 親の死も
それらの事を 蝿のヒツタ糞のやうに
又は曇つた日の音楽のやうに考へろ


 四十八

生きてゐて下さい 命を粗末にとりあつかわないで とは誰しも思つてゐる事だ
だが他人の命を粗末にないがしろにしないで 生きてゐる人は一人も居ない 又生きられるものでもない
我々の知恵も力も凡ての本能も 只自己擁護と永続とに役立ち 分別される丈のものであるやうだ


 四十九

死に向かつて行く態度 之は好くない
死とよそよそしくするにも及ばないが 死と富にあまり近接し過ぎる事も好くない
死に圧倒されて 阿呆になつた男の言つた事だ
死とは私のものぢやない 貴君のものだ


 五十

私は死ぬまで此の牢屋の中から出る事が出来ないか
死ぬまで此んな辛い生活をしなければならないか
此の不安は二六時中私の頭脳から消え去らない


 五十一

ミイラ取りがミイラになつたやうな工合に 八幡の薮知らずに這入つたやうな工合に 私はどうもがかうが叫ばうが  誰も取り合わないやうな目にあつてゐる
此れで私は感謝して満足して生を終るべきであるか


 五十二

物の成長を見る事 それは我々には楽しみだと言へる
しかしながら草が繁茂し 樹木の実が熟するのも それは我々の屍体が腐敗するのと同じ行程であつて 時の流れに抗する事が出来ない事を思はす丈ではないか


 五十三

あなたが先に死なうが
私が先に死なうが 心おきなく死ねるやうにしておきませう


 五十四

死は私ばかりを狙つて居るのぢやない
ところで青年諸君 死は今私の腹の中に逃げ込んでかくれてゐるんだ 石でもつて 叩きしやいでくれたまへ


 五十五

死の準備はしとかなくちやならんし
バケツは修繕しなければならん


 五十六

下駄を履いた足だけを 世の中に出して見せるのだ
太陽のそばへもそれで以て歩いて行くのだ


 五十七

凡てを新しくする事 此れは必要だ 凡てを固定せしむなかれ と云ふよりも 凡て固定しているものは一つもない
ところが此れは大変ないつはりだと私は思ふ
凡てが固定してゐるのだ 一切が宿命だとも思へる


 五十八

私の考へは 言葉に現す事が出来ない
適当な言葉が見つからないのだ
お互いに死ぬまで生きて居りませう
あなたは其のかはり めしを炊いて毎日食べさせて下さい 私はじつと遊んで居りますから


 五十九

生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きてゐる事は 滑稽な事だ


 六十

私は絶望の真ん中に居る
そして絶望の右と左には鍋とはがまが居る 犬か豚の食うやうな食物にあまんじて
私は生きてゐなければならない 決して私は安楽にめしを食つて生きてゐるのぢやない


 六十一

短夜を
 つまり私は 一枚の着物に過ぎなかつた


 六十二

我々はきつと生れかはる事があるのであります
それはキリストが再臨するばかりでなく
我々は既に誰かの生れかはりなのであります


 六十三

牛や馬や豚よ
おう牛や馬や豚よ
鳥が鳴いてゐるのを君達は何んな風に聞いてゐるのか


 六十四

世の中は斯うしたものか それで先に急いで死んだ人が利口なと言う事になる
私はでも死ねない
死の幸福を先に先にと延ばして 苦しみもがき あへいで生きてゐる


 六十五

そんな世迷ひ言や 厭世家めいた事を言ふのは 君の心に余裕があると言ふものだ
煙が廂を匍つてゐる


 六十六

人間はあまりに今まで魚を食べ過ぎた
それで私は魚の食べものにならう
海に死んで


 六十七

海を丁寧に覚えてゐる人間があらうか
夢なんか丁寧に覚えてゐたところで 何にもならないのだ
ところが 人生も又夢の如きだとすれば
何うしたら好いか

(連作長編詩「戯言集」完)

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)