追悼、キース・レヴィン(ex.P.i.L.) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

パブリック・イメージ・リミテッドのギタリストであるキース・レヴィンが逝去。享年65歳 

 パブリック・イメージ・リミテッドのギタリストであるキース・レヴィン(1957-2022)が亡くなった。享年65歳だった。 訃報は作家にしてライターのアダム・ハモンドによって発表されており、キース・レヴィンは現地時間11月11日に亡くなったという。
「大きな悲しみと共に近い友人で、伝説的なパブリック・イメージ・リミテッドのギタリストであるキース・レヴィンが11月11日に亡くなりました」とアダム・ハモンドは述べている。 「間違いなくキース・レヴィンは最も革新的で、恐れを知らない、影響を与えたギタリストの1人でした」
 アダム・ハモンドは次のように続けている。「キースは音楽界において新しいパラダイムを作ろうとして、ジョン・ライドンとジャー・ウォブルという意欲的な協力者と共に見事にそれを成し遂げました。パブリック・イメージ・リミテッドのファースト・アルバムの1曲目に収録された“Theme”は9分を超える作品で、オルタナティヴ・ミュージックのあるべき姿を定義することになりました」
「パブリック・イメージ・リミテッドの最も重要な時代を築く手助けをしたのと同様に、キース・レヴィンはミック・ジョーンズと共にザ・クラッシュを結成し、初期のサウンドに大きな影響を与えることとなった。今日、我々が聴いている音楽は、認知されているにせよしないにせよ、キース・レヴィンの作品に依るところが大きいのです」 アダム・ハモンドは次のように締めくくっている。「愛とお悔やみをパートナーのケイト、姉妹のジル、家族と友人に捧げます。世界は彼という才能を失って暗い場所になりました。私の世界も友人を失って暗い場所になりました」

 1970年代初頭にイエスのローディーをやった後、1976年にミック・ジョーンズと共にキース・レヴィンはザ・クラッシュを結成し、当時のバンドであるザ・ワンオーワナーズを抜けてバンドに加入するようにジョー・ストラマーを説得したことで知られている。 キース・レヴィンはザ・クラッシュをレコーディング前に脱退して、セックス・ピストルズが解散後のジョン・ライドンと、パブリック・イメージ・リミテッドを結成している。 1983年にパブリック・イメージ・リミテッドを脱退した後、キース・レヴィンはソロの音源やプロデュースを手掛けている。 訃報を受けて、ジャー・ウォブルは「安らかに、キース・レヴィン」とツイートしている。

 プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーは回想録『テナメント・キッド(原題)』でキース・レヴィンに書いた部分を抜粋している。「キース・レヴィンの天才的なギターは叫ぶように神経を逆撫でし、ザ・バーズのようなアルペジオがバイカーのようにジャンクなスピードボールと共にスピードを上げ、基準を押し上げる。スージー・アンド・ザ・バンシーズのジョン・マッケイとパブリック・イメージ・リミテッドのキース・レヴィンはロックのギター演奏を再発明した。この2人以降、ギターの弾き方を誰しもが考えざるを得なくなった。これこそが未来だった」
(「NME JAPAN」2022.11.14より)

 半月あまりの遅ればせながら、キース・レヴィン(Keith Levene, 1957-2022)の冥福をお祈りいたします。レヴィンが在籍したパブリック・イメージ・リミテッド(P.i.L.)は、今では信じられないほど日本での人気が高く、阿木譲の「Rock Magazine」と並んでスノッブなロック・リスナーの雑誌と悪名高かった渋谷陽一の「rockin'on」誌の読者アンケート人気投票(1981年8月号)では、1位クラッシュ、2位P.i.L.、3位JAPAN、4位ポリス、5位RCサクセションというほどの人気バンドでした。イギリスの最新流行をリードするバンドと目され、当時オーディオ機器のテレビCMに代表曲「Carieering」が使用されていたほどです。レヴィンの経歴はNME JAPANの訃報の通りですが、ボビー・ギレスピーの指摘のようにレヴィンはオリジナル・パンク~ポスト・パンク・シーンにあって、先駆的な役割を果たしたウィルコ・ジョンソン(ドクター・フィールグッド、1947-2022、やはり今月11月21日逝去)に続き、トム・ヴァーレイン(テレヴィジョン)、アンディ・サマーズ(ポリス)、アンディ・ギル(ギャング・オブ・フォー)、またギレスピーが上げたジョン・マッケイ(スージー&ザ・バンシーズの初期2作のみの参加でシーンを退いたため過小評価されがちのマッケイを上げたのはギレスピーの慧眼です)と並んで、'70年代末のもっとも革新的なロック・ギタリストの一人でした。ジョン・ライドンがホークウィンドのローディーをやっていたのが知られていますが、レヴィンもまたイエスの『Yessongs』ツアー時のローディーでスティーヴ・ハウのギターに心酔していたというのも興味深く、水谷孝(裸のラリーズ)のギター・プレイを聴かせたかったものです。レヴィンがパブリック・イメージ・リミテッドに在籍していた期間は1978年~1982年でクラウトロック色が強く、アルバムはP.i.L.の初期5作『Public Image Limited (First Issue)』1978、『Metal Box (Second Edition)』1979、『Paris in the Spring』1980、『Flowers of Romance』1981、『Commercial Zone』(非公式アルバム、1984)きりでしたが、レヴィン21歳から26歳のこの5作でレヴィンの演奏はこの先も長く聴き継がれていくでしょう。『Commercial Zone』はその後P.i.L.のジョン・ライドン側によって非公式アルバムとされ、レヴィン脱退後に収録曲全曲がセッション・メンバーによって公式アルバム『This Is What You Want... This Is What You Get』1984に改作された悲運のアルバムでしたが、P.i.L.側からクレームがつくまでは『Commercial Zone』はキース・レヴィン自身のインディー・リリースによって正式な新作として迎えられ、渋谷の宇田川町にタワー・レコードがあったリリース当時も店頭に堂々と注目の新譜として並び、『Flowers of Romance』以来三年ぶりのスタジオ盤の新作として、前年にリリースされていたレヴィン脱退後の来日公演のライヴ盤『Live in Tokyo』1983より好評を得ていた、P.i.L.最後の傑作と言えるアルバムです。レヴィンへの追悼に、『Metal Box』リリース時のテレビ出演ライヴ映像と、幻の非公式アルバム『Commercial Zone』を上げておきましょう。アルバム先行シングルとして1983年に全英5位のヒットとなった「This is Not a Love Song」も公式アルバム『This Is What You Want...This Is Want You Get』収録ヴァージョンは再録音で、ヒットしたオリジナル・ヴァージョンはジョン・ライドンによって再発売を拒否されているためにレヴィン在籍時の『Commercial Zone』でしか聴けません。あくまで「This is Not a Love Song」はレヴィン在籍時のアルバム先行シングルがヒット・ヴァージョンです。筆者もP.i.L.というバンドはレヴィンの脱退とともに終わった、と思っているリスナーの一人です。
Released by PiL Records Inc.(Keith Levene) XYZ-007, January 30, 1984
Produced by Public Image Ltd & Bob Miller
(Side One)
A1. Mad Max - 4:11
A2. This is Not a Love Song - 4:27 *UK♯5
A3. Young Brits - 3:40
A4. Bad Night - 3:29
(Side Two)
B1. The Slab - 3:36
B2. Lou Reed Part I - 3:58
B3. Lou Reed Part II (Where Are You?) - 2:50
B4. Blue Water - 3:30
B5. Miller High Life - 2:38
[ Public Image Limited ]
John Lydon - vocals
Keith Levene - guitar, synthesizers (bass on "Bad Night" and "Lou Reed Part 2")
Pete R. Jones - bass (on "This Is Not A Love Song", "Mad Max", "Solitaire" and "Miller Hi-Life")
Martin Atkins - drums, percussion
Robert E. (Bob) Miller - sound effects (on "Miller Hi-Life")