肉まん、または三つの誓い | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 そろそろ中華まんじゅうの美味しい季節になってきました。あんまん、カレーまん、ピザまんと種類は多々ありますが、筆者の場合は肉まん(豚まん)一択で飽きません。家で蒸して食べるようにスーパーなどで6個入りの袋詰めで売っているものでは、肉まん三つに他の種類三つで混ぜてある場合もありますが、そうした時は肉まんとピザまんの詰め合わせを選ぶこともあります。中華まんじゅうは点心で、いわばおやつに属するものでしょうが、筆者は小食なので中華まん二つも食べれば一回の食事になります。すでに自活していた貧乏夜間大学生時代は、アルバイト生活をしていた昼食は、秋~冬場はコンビニで肉まん一つを買ってせいいっぱい、という時もありました。筆者は身長170cmですが、当時は体重も40キロ台だったと思います。手製のサンドイッチならまだしも、干し芋やチョコレートだけで昼食にしていた時もありました。食欲盛りの二十歳前後に、よくそんな粗食にして小食で昼間は働き、夜は学校に通いつつ、学校近くの千代田区界隈のシネクラブ(アテネ・フランセや日仏会館、ドイツ文化会館、イタリア文化会館、イメージフォーラム、などなど)で映画を観まくるだけの体力・気力があったものです。

 住んでいたのは築数十年の風呂なし木造アパート、寝るだけに帰るような場所でしたが、それで毎日2冊は読書し読書メモや映画メモをノート見開き分びっしり書いてから寝る、または当時つきあっていた彼女のアパートに泊めてもらうといった具合に、それでも生きているだけで満足していたのかもしれません。まともな食事を摂っていたのは休日にデートする際だけでしたが、それで十分でした。生活はいつもその月暮らしでしたが、何の不安もありませんでした。筆者の流れ着いた先は大学卒業もできないままアルバイト先の雑誌編集部への正社員登用、そして雑誌のフリーライター稼業でしたが、これも回遊魚がたまたま網に引っかかったようなものでした。

 その場しのぎの生活で手一杯だったので、筆者は自動車免許の取得や海外旅行の経済的・時間的余裕もなければ、住居にエアコンを取りつける機会もありませんでした。そこで決めたのは、

一、自動車運転免許を取らない
二、海外旅行はしない(飛行機に乗らない)
三、エアコンなしで暮らす

 --と、ささやかながら馬鹿みたいな誓いでした。うち、「自動車免許を取らない」は、やはり自動車免許を持たず、自動車不要と同意する女性との結婚で問題なく済みました。ただし彼女がエアコンを持っていたので、結婚生活を送っている間はエアコンのある生活になり、また妻の郷里や冠婚葬祭の関係で飛行機に乗り、国内とはいえ関東から九州を訪ねる機会があって、「二」は多少の妥協を重ねることになりました。離婚後は再び一人暮らしでエアコンなしの生活を送っていましたが、一昨年~昨年秋に三度に渡って床上浸水被災に見舞われ、扇風機や冷風扇、暖房器具もやられてしまったので、この際もう仕方ないと、家財保険でエアコンを取りつけることになりました。結局、「一、自動車免許を取らない」だけが、完全に完徹したままということになります。ただしそれはあくまで筆者の生き方なので、別れた妻とともに住む娘たちにはぜひ自動車免許は取っていてほしい、と思いもします。

 肉まんからだいぶ離れた話題になってしまいましたが、肉まんをおやつと見るか、食事と見るかというのと、「自動車免許なし、海外旅行せず、エアコンなし」という生き方というのはひとつながりに思えます。それともこうした感覚は、「清貧」ではなく「貧すれば鈍す」なのでしょうか。だとしても、これを貧者のひがみとされるとしても、筆者には「生きる」豊かさの基準とは何か、よくわからないのです。